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黒田官兵衛と福沢諭吉と中津城

2010-06-28 07:54:56 | Weblog
天正15年(1587年)豊前6郡(京都、仲津、築上、上毛、下毛、宇佐)12万3千石の領主となった黒田官兵衛は中津の地に中津城を築き始めました。その後関が原の勲功により筑前52万石の太守となった黒田家のあとを受けて入封した細川忠興(ガラシャの夫)が元和7年(1621年)中津城を完成させました。今でも黒田時代の石垣と細川時代増築された石垣の境目が中津城北側に残っていてはっきり目で確認されます。江戸時代が終わり明治4年(1871年)廃藩置県令の折、旧中津藩士福沢諭吉の進言により「松の御殿」を残し城郭や建造物は残念ながら破却されました。つまり黒田官兵衛により築城された中津城は福沢諭吉(国の命令ではあるが)により取り壊されたことになる。身分制度は親の敵(かたき)でござる。と下級武士出身の悲哀、辛酸が幼時より骨の髄まで染みこんで成長した福沢諭吉の言である。その象徴が中津城であったのかもしれない。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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画像しようについて (備前)
2013-10-03 13:28:01
こんにちは。

この度黒田官兵衛人気にあやかり福岡から日帰りバスツアーを企画しています。
募集型のツアーなのでチラシ等を作成し募集をするのですが、そのチラシにこちらのブログにあります中津城の画像を無料で使用させていただけないでしょうか?
参加者からは参加費を徴収しますので利益が発生します。

あまりにも綺麗な画像でしたので、宜しくお願いします。
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