黒田官兵衛(如水)と高取焼6 高取焼略考

2017-01-16 08:43:39 | Weblog

過日、藤香会の催しで戴いた高取焼の略考です。

 黒田官兵衛(如水)、長政が朝鮮出兵の際、井土という地で八山という陶工を見出し、筑前(ではなく、その時代は豊前国中津)に連れて帰ったことから、後の高取焼が誕生したようです。

高取焼は黒田藩御用窯として、今日まで営々とその技を受け継ぎ、今やその名声は筑前地方のみにとどまらず、全国的にも認知されるほどの銘品に育っています。

今後も益々多くの好士の皆さんに讃嘆される作品を創作されてゆくことを願ってやみません。

     *参考文献―福岡県史(編纂財団法人西日本文化協会)

 

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黒田官兵衛(如水)と高取焼5

2017-01-10 09:06:44 | Weblog

高取焼年表です。

注目すべきことは、文禄元年(1592)朝鮮人陶工八山が黒田長政に拝謁し、後藤又兵衛家臣桐山常右衛門が八山夫婦及び一子を連れて日本へ帰国したという記述です。

ご存知のようにその年、黒田官兵衛(如水)、長政は豊前中津城主でした。

関ヶ原の合戦(1600)までの8年間は、中津城下に棲んでいたことが考えられます。

長政が帰国した文禄3年(1593)年から慶長の役(1698/第二次朝鮮出兵)の間は大きな戦もなく、陶工たちの生活も落ち着いていたので、その間、黒田家は八山たち陶工に豊前国内で窯を築かせ、十分にその技を行使したのではないかと想像に難くありません。

さてその窯(黒田豊前八山窯?)は豊前国の何処にあったのでしょうか?

想像するだけでも楽しく興味のあるところです。

故に、古高取焼が幻窯たる所以でもあるのでしょう。

 

 

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黒田官兵衛(如水)ブログより新年のご挨拶

2017-01-01 13:22:46 | Weblog

2017年新年明けましておめでとうございます。

旧年中は、黒田官兵衛(如水)公顕彰のブログをご愛読して戴き、有難うございました。

大河ドラマ「軍師官兵衛」の放映により、天才軍師黒田官兵衛(如水)の人間像は日本中の人々の知るところとなり、益々魅力ある戦国武将としてその存在感を示して来ました。

大河ドラマで描き切れなかった官兵衛(如水)像をもっと掘り下げて行きたいと思っています。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

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黒田官兵衛(如水)公ブログより一年間の感謝

2016-12-31 10:57:01 | Weblog

激動の2016年も本日、大晦日を迎えました。

この一年間、黒田官兵衛(如水)のブログをご愛読して戴き、ありがとうございました。

大河ドラマが放映されて2年が過ぎました。

官兵衛ゆかりの地では、まだまだ熱い顕彰の催しがなされています。

当地、中津市でも多くの官兵衛フアンの皆様が訪ねて来られています。

中津城黒田の石垣傍の、「官兵衛・光姫像」も観光客の皆様の写真スポットとして大忙しです。

お正月にはお近くに来られましたら、ぜひお寄り下さい。

官兵衛公もきっとお喜びになることと思います。

来る年2017年が皆様にとって、今まで生きて来た年月の中で、最も記憶に残る素晴らしい年になりますように祈念申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。

一年間ご愛読して戴きありがとうございました。

これからも黒田官兵衛公のブログを宜しくお願い申し上げます。

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黒田官兵衛(如水)と高取焼4 ぐい呑み

2016-12-26 08:54:14 | Weblog

高取焼のぐい呑みです。

藤香会(黒田家家臣のご子孫の方々を中心に、黒田武士を顕彰する会)の記念行事で戴いたものです。

黒田家の家紋入りで、色合いといい、形といい、何か上品な趣がします。

末永く手元に置いて、ハレの時に取り出してまずは一献。

そのかみの黒田官兵衛(如水)、長政公を偲びつつ美味しいお酒を戴きましょう。

 

 

 

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黒田官兵衛(如水)と高取焼3 窯マップ

2016-12-18 08:40:54 | Weblog

黒田官兵衛(如水)と長政が文禄・慶長役(1592~1598/朝鮮征伐)の際、朝鮮人の陶工八山を日本に連れ帰ったことから始まった高取焼ですが、初期の窯の様子はまだ謎の部分が多く、良く分かっていません。

この地図では窯の年代が1580~1860年となっていますが、黒田家がこの地を治めたのは、豊前国六郡から筑前に転封した1600年(関ヶ原の合戦勝利)以降ですから、間違いだと思われます。

1600年までは豊前国中津城(大分県中津市)に居ましたので、高取焼の窯はそれ以降です。

ただ、文禄・慶長役(1592~1598)の折に朝鮮から連れて帰ったことから、陶工たちは中津(大分県)に1600年まで滞在したので、その間領内の何処かで官兵衛のために窯を創り、作陶していたことは想像に難くはないと思われます。

察すれば、高取焼のルーツは中津(官兵衛の豊前国六郡時代)ではないかという思いに至りますが如何でしょうか?。

ただ、1580年から窯があったとすれば、朝鮮の陶工八山ではなく、それ以前に別の陶工が窯を築いたとも考えられます。

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黒田官兵衛(如水)と高取焼2

2016-12-10 08:33:25 | Weblog

高取焼は黒田家が朝鮮出兵に際して、連れ帰った朝鮮人陶工八山(日本名八蔵重貞)によって筑前鷹取山(福岡県直方市)山麓一帯で焼かれたことによるが、その第一番目の窯を永満寺宅間、その後内ヶ磯に焼かせたことに始まる。

その後、白旗山、小石原鼓窯などで焼かれ、小堀遠州の指導を受けて銘品の名を得たものである。

ただ、その作品は長く謎に包まれ、初期作品は永く唐津焼とされていたが、近年の調査で高取焼と判明され、全国的に注目されることとなった。

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黒田官兵衛(如水)と高取焼

2016-12-01 08:28:41 | Weblog

文禄・慶長の役(1592~1598/秀吉の朝鮮出兵)の折、黒田官兵衛、長政は朝鮮の陶工「八山」を日本に連れて帰った。

その後、八山たち陶工はしばらく黒田家の領地である豊前国中津に居住していたが、官兵衛・長政が関ヶ原の合戦で武功をあげ、筑前52万石福岡藩へ転封したのでそのまま、共に福岡へと移った。

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黒田官兵衛(如水)と黒田節4

2016-11-25 09:02:31 | Weblog

この程、練習している正調黒田節の歌と踊りが、ビッグな催しに出演できることになりました。

来年の5月に開催される中津文化会館での出演です。

新しい歌詞で堂々と踊れるように、練習も頑張らねばなりません。

踊り子の中津黒田武士の皆さんは、仕事で忙しいなか、時間を見つけての練習です。

今からおよそ10年ほど前になりますが、踊りを発案したのは、黒田官兵衛(如水)を世に出したいとの一念で、それまで盆踊りも踊ったことの無いおっさんどもが、恥も外聞も振り捨てて取り組んだのが始まりでした。

今では、大観衆の前で歌ったり踊ったりするのに、快感を覚える?ほどになってしまいました。

人間の悲しい性??を身に沁みて感じているこの頃であります

 

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黒田官兵衛(如水)と黒田節3~新歌詞~

2016-11-10 08:42:36 | Weblog

福岡県民謡「黒田節」の歌と踊りを今、練習しています。

『黒田節』

1.酒は飲め飲め飲むならば、

     日の本一のこの槍を

  飲み取るほどに飲むならば 

     これぞ真の黒田武士

2.峰の嵐か松風か、

     尋ぬる人の琴の音か

    駒ひきとめて(駒をひかえて)

     聞くほどに(立ち寄れば)、

     爪音しるき想夫恋 (謡曲/小督の物語からの作)

筑前民謡「黒田節」は今日まで酒席や祝いの席で、黒田武士の誇りとして、またそれは今様として越天楽のメロディーにのせて歌われてきましたが、今まではこの2番までが特に知られています。

しかし、その他にもまだ数々の歌詞がありますが、踊りに相応しい勇壮な歌詞が欲しいと思い中津黒田武士顕彰会で作詞しました。

3.酒は飲め飲め飲み干して、

  天下の秋(とき)を語るべし

  この世に生を受けたなら

  飲みて果たさん我が使命

三番をまた元の母里太兵衛の物語に戻し、武士の生き様を描くことにしたので、エンディングもキリッと締まった姿形で納められそうです。

これで、黒田節も武士の勇壮な踊りとして、皆さんの前でご披露できるのではないかと思います。

唄も我ら顕彰会の専属歌手浦橋英男の美声に乗せて、バッチリCD録音できています。

中々のものが出来上がりました。

何時か何処かで「新正調黒田節」の歌と舞でお会いしましょう。

*中津黒田武士顕彰会の作には、「豊前中津の黒田武士」と「軍師官兵衛」があります。「軍師官兵衛」はYou Tubeで「軍師官兵衛踊り」で歌と舞が観れます。ぜひ一度ご覧ください。

 

 

 

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