黒田官兵衛(如水)戦勝祈願 中津薦神社 3

2017-07-19 08:41:04 | Weblog

薦神社の神門は黒田官兵衛が福岡へ転封後、当地に赴任した細川忠興の寄進により創建されました。

 

この神門は国指定重要文化財に指定されています。

 

過日、細川元総理夫人佳代子さんと同席した会で、この神門の話をしました。

 

「細川忠興は転封して来た時にまず有力な神社仏閣に寄進したが、

それは彼らを取り込み、その情報力を重要視し,協力を要請したから」

と細川夫人は仰っていました。

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黒田官兵衛(如水)戦勝祈願 中津薦神社2

2017-07-10 09:09:26 | Weblog

薦神社は宇佐神宮の祖宮で、承和年間(834~848年)創建されて以来千年以上の由緒ある歴史を数えます。

養老3(720)年大隈、日向の隼人の乱に大和朝廷軍と宇佐神宮軍が薦神社の真こもをご神体として出陣し見事に征討した。

このほど世界遺産に認定された比咩大神(宗像三女神)が薦神社の本殿に祀られています。

境内の深い杜には樟の大木などが深閑と生い茂り、その中に鎮まる社は千有余年の歴史を感じさせます。

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黒田官兵衛(如水)戦勝祈願 中津薦(こも)神社

2017-07-03 09:26:55 | Weblog

中津市大貞に黒田官兵衛が戦勝祈願をした大貞八幡宮薦(こも)神社があります。

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黒田官兵衛(如水)戦勝祈願 鶴市神社2

2017-06-25 08:24:28 | Weblog

鶴市神社では、毎年夏のお祭りが多くの市民に慕われています。

昔、中津に広がる沖代平野を流れる山国川が氾濫し、多くの人々が亡くなっていた。

地域の長老が集まり、その氾濫を鎮めるために人柱をということになった。

その人柱に鶴と市太郎母子が進んでお役に立たんと自ら名乗り出た。

今でも毎年八月の終わりころ、お鶴と市太郎の霊を慰めんと、お祭りが催され、多くの市民が詣でています。

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黒田官兵衛(如水)戦勝祈願 中津鶴市神社

2017-06-19 09:19:43 | Weblog

中津城から南に二里ほど、国道212号線を行くと、黒田官兵衛(如水)が戦勝祈願をしたという鶴市神社があります。

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黒田官兵衛(如水)戦勝祈願4 若旗神社㈣

2017-06-10 08:43:27 | Weblog

黒田官兵衛(如水)率いる黒田中津残留軍は、1600(慶長五)年九月九日中津如水原から出陣した。

それは黒田二十四騎と呼ばれた栗山四郎兵衛、母里太兵衛などの侍大将に編成された九千もの(領内で応集)強力な軍団でした。

目指すは西軍に組する大友義統(よしむね/宗麟の息子)である。

東軍の黒田を落とせば太閤より召し上げられた旧領を復領してやるとの石田三成の甘言に乗って豊後に舞い戻って来たのだ。

官兵衛(如水)は出陣の際、中津城東方の若旗神社に戦勝祈願し、目出度く豊後石垣原にて大友軍を打ち果たした。

若旗神社には勝利のお礼として神田二十町歩、神酒株五十石、雄弓二張を奉納した。

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黒田官兵衛(如水)戦勝祈願 4 若旗神社 🉁

2017-06-01 07:51:55 | Weblog

中津市植野にある若旗神社は、 

関ヶ原の合戦時、

黒田軍の主力が関東の上杉征伐へ

出兵している間、

中津城に残った官兵衛(如水)が

領内の浪人たち九千名もの

招集兵団を編成し、

豊後の大友氏を責めるべく

後に中津城東方にある

如水原と呼ばれる小台地より

出陣した時に戦勝祈願をした

由緒ある神社です。

 

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黒田官兵衛(如水)と戦勝祈願 3 中津若旗神社🉂

2017-05-22 08:46:32 | Weblog

中津市植野にある若旗神社は承和2(835年)宇佐神宮の御分霊を勧請した由緒ある神社です。

黒田軍は関ヶ原合戦の折、息子長政が徳川家康について上杉征伐のため、関東へ出兵していました。

秀吉の薨去の報に接し、官兵衛は天下の争乱を予想し九州を平定すべく、中津城に残しおいた黒田二十四騎の精鋭の大半と招集した九千人の浪人たちで中津黒田軍を編成し、まず西側の大友氏と一戦を構えるために進軍しました。

その戦勝祈願に、この若旗神社にお参りしたのです。

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黒田官兵衛(如水)戦勝祈願2中津市若旗神社

2017-05-15 09:55:44 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が戦勝祈願をした神社の一つに、中津市植野の若旗神社があります。

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黒田官兵衛(如水)と戦勝祈願 闇無浜神社3

2017-05-03 08:33:36 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が戦勝祈願にお詣りした神社の中でも、歴史的に最も古い社がこの闇無浜神社です。

万葉集(759/天平宝字3年~)にもこの浜のことが載っています。

官兵衛(如水)は母の影響で幼時より文学に熱中したことがありました。

しかし、武家の棟梁として生を受けたからには、これからは兵法を学ぶべしとの箴言を受けやむなく文学から離れた経緯がありました。

関ヶ原の合戦が終わり、中津から福岡へ移封の折、福岡城が築城される間、太宰府の草庵に仮居しました。

官兵衛(如水)は比較的平安な時となった太宰府で、よく連歌会を催したほど、和歌に造詣が深かったのです。。

当時でも文武、智勇に優れていた武将でしたので、万葉集に詠まれていたこの神社はとくに親近感があったと思われます。

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