黒田官兵衛(如水)と福岡市立美術館2 青山琵琶ほととぎす

2016-07-20 07:38:29 | Weblog

福岡市立美術館にある北条家秘蔵の青山琵琶「ほととぎす」です。

秀吉が北条攻めをした時、堅牢な小田原城を攻めあぐねた秀吉は余りにも長期化するので焦っていた。

たまらず秀吉は官兵衛(如水)に北条攻めを命じる。

官兵衛は秀吉の命にて単身小田原城に乗り込み、城主北条氏政、氏直親子を説得し、見事に開城させました。

その褒美として、北条家から拝領した北条家伝来の秘宝(名刀日光一文字・吾妻鑑・北条法螺貝・青山琵琶)のうちの一つ、平家琵琶として有名な青山琵琶「ほととぎす」です。

この「ほととぎす」は、戦乱の世にあって生き残った逸品でした。

福岡市立美術館へ行きましたら、この青山琵琶は見逃してはならない素晴らしい北条家宝ゆえ、じっくり見て欲しいと思います。

 *今年のNHK大河ドラマ真田丸の中で、秀吉の北条攻めを真田信繁が成したと三谷幸喜脚本ですが、三谷さんも官兵衛に申し訳ないと弁明しています。

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黒田官兵衛(如水)と福岡市立美術館 如水居士像

2016-07-15 07:38:30 | Weblog

福岡市大濠公園のほとりに福岡市美術館があります。

先日、そばの能楽堂に能を観に行ったときに訪れました。

常設館の中に、黒田家資料がありゆっくり見てきました。

 これは有名な如水居士像です。

如水像や長政像は藩の専属絵師によるものと、何やら何処かの地にて想像や肖像画を真似て描かれたものが各地に残っています。

福岡市立博物館とここ福岡市立美術館に残されているものが双璧であり、良くその表情を表していると言われています。

福岡市立博物館には黒田家遺品の常設館があり母里太兵衛が福島正則から飲み取った名槍「日本号」と共に肖像画もありますので、福岡市に行かれたときには、ぜひこの二つの館を訪れることをお勧めします。

 

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黒田官兵衛(如水)と藤香会2

2016-07-11 08:39:55 | Weblog

藤香会さんは定期的に「藤香会だより」を発行して、藩祖黒田官兵衛(如水)や初代藩主長政を中心に、黒田家ゆかりの史跡や福岡の歴史的な物語などを紹介しています。

賛助会員を募集していますので、黒田武士に興味のある方は会員になる事をお勧めいたします。

 

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黒田官兵衛(如水)と藤香会

2016-07-05 07:59:28 | Weblog

福岡の藤香会さんからご案内が来ました。

旧黒田藩士のご子孫の会である報古会が、藤香会と名称を変えられて広く市民の方々にも入会をお勧めしています

黒田藩祖黒田官兵衛(如水)歴代藩主・黒田家のご遺徳とご事蹟を顕彰して行くことなどをを目的とした会です。

 

 

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黒田官兵衛(如水)公と光姫(照福院殿)様像4

2016-06-26 07:40:06 | Weblog

黒田官兵衛(如水)公の正室光姫(照福院殿)様の石像建立の写真を、福岡市在住の小池(櫛橋)様にお送りしましたら、大変驚かれ、感激されたとのご連絡があり、しばらく小池様とお話しました。

小池様は官兵衛に嫁いだ正室光姫の実家である櫛橋家のご子孫であり、ご先祖は藤原姓、歴史上の有名な藤原鎌足、平安時代中期の能筆家である三蹟(小野道風、藤原佐理/すけまさ、藤原行成)のなかの一人藤原行成の正当な血を受け継いでおられ、時の天皇家より「櫛橋」のお名前を戴き、今に続いている名家です。

小池様自身も大変素晴らしい能筆家で、その筆跡は流石に三蹟の血を受け継ぐだけのものであります。

また、光姫は以前このブログでご紹介したように「みつ」が正式の呼称です。

NHK大河ドラマで「てる」としたのは、従来歴史家が福岡市にある黒田家をお守りしている光雲(てるも)神社から推測した「てる」と呼んでいたからです。

放映直前に「みつ」と判明しましたが、時代考証が間に合わず、脚本上変更がかなわなかったようです。

*写真の左側より小池(櫛橋)様、黒田家第16代ご当主黒田長高様、小野(中津黒田武士顕彰会)さん。

 

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黒田官兵衛(如水)公と光姫(照福院殿)様像3

2016-06-20 07:31:19 | Weblog

光姫(照福院殿)様の像には右手にお数珠が下げられています。

中津黒田武士顕彰会の後藤さんが用意してくれました。

こんなところにも細かい心遣いがなされています。

お数珠のある姿とない姿では大いに違っています。

京都にある実物の照福院殿様の肖像画にはちゃんとお数珠を持たれているのですが、像ではどうしたものかと悩んでいたところでした。

改めて見てみると画龍点睛の感がして、大いに満足しています。

早速、光姫様のご子孫である福岡ご在住の櫛橋(小池))玲子様に写真をお贈りしました。

喜んでくださったなら嬉しいです。

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黒田官兵衛(如水)公と光姫(照福院殿)様像その後2

2016-06-15 07:54:46 | Weblog

黒田官兵衛(如水)公の像の台座に新しく黒田家の家紋である「黒田藤」が取り付けられました。

見れば見るほど、素晴らしい出来栄えです。

光姫像を新しく建立した時に、石家さんが好意で黒田藤紋を作ってくださいました。

何となく官兵衛公も気に入ってくださっているようでした。

多くの皆さんに見て欲しいものです。

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黒田官兵衛(如水)と正室光姫像その後

2016-06-06 13:08:46 | Weblog

黒田官兵衛(如水)公と正室光姫(照福院殿)様像の横に、お二人の由緒碑が出来上がりました。

立派な御影石製です。

これで観光客の皆さんが来られましても、お二人の睦ましい謂れが良くお分かりになる事でしょう。

世界中の若いカップルや、ご夫婦の方々が当地を訪れて、

「二人仲良く幸せな生涯を送れますように」と

お願いすれば、必ずや官兵衛(如水)公と光姫(照福院殿)様は、その願いをお聞き届けてくださることでしょう。

 

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黒田官兵衛(如水)が築いた石垣4

2016-05-30 08:18:51 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が築いた石垣は九州最古の穴太積石垣ですが、残っているお濠は僅かです。

内濠、外堀も殆ど埋め立てられ、裁判所や学校などが建てられ、市街地化しています。

お濠の近くは重臣、上士、下士家臣の住居が並び、その周囲に寺院や商家が取り巻いていましたが、今でも城下町の面影を残している街並みも残っています。

 

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中津城黒田官兵衛(如水)の築いた石垣3

2016-05-25 08:19:50 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が初めて大名となって築いた中津城や石垣は、戦国時代ゆえ何時戦が起こるかもわからない世の中であった。

築城名人と言われただけあって各所に工夫がみられています。

今残っているお濠の水は城の傍に流れている山国川支流の中津川から引き入れており、周防灘に近いところから、潮の干満により水量が変わるようになって、水の入れ替わりによりいつも澄んだ水がお濠を満たしていたのでした。

その通水口は薬研堀とよばれ、海水が入ったり出たりすることにより、フジツボや牡蠣が張りついています。

 

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