中津城黒田官兵衛(如水)の築いた石垣3

2016-05-25 08:19:50 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が初めて大名となって築いた中津城や石垣は、戦国時代ゆえ何時戦が起こるかもわからない世の中であった。

築城名人と言われただけあって各所に工夫がみられています。

今残っているお濠の水は城の傍に流れている山国川支流の中津川から引き入れており、周防灘に近いところから、潮の干満により水量が変わるようになって、水の入れ替わりによりいつも澄んだ水がお濠を満たしていたのでした。

その通水口は薬研堀とよばれ、海水が入ったり出たりすることにより、フジツボや牡蠣が張りついています。

 

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中津城黒田の石垣2

2016-05-19 08:45:26 | Weblog

中津城の石垣は黒田官兵衛(如水)が築き、細川忠興が増築した。

その時、忠興が石垣の内側に増設した跡が見える場所があります。

戦時中、軍が城内に本部を置いたため、堀を埋め立て通路とした時に石垣を切り取ったのです。

排水路など当時の施工法がありありと見えます。

 

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中津城黒田の石垣

2016-05-14 09:02:15 | Weblog

中津城黒田官兵衛公築城の石垣は、城の南側にも残っています。

水面から石垣上部の間の半分くらいが官兵衛築城の石垣で、その上部は官兵衛公の後に入封した細川忠興が増築した石垣です。

数年前、堀と石垣の修復、調査した時に、判明したものです。

中津城の黒田の石垣は九州最古の穴太積の石垣で、大変貴重な遺産と評価されています。

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黒田官兵衛(如水)と光姫(照福院殿)像4

2016-05-05 09:02:14 | Weblog

黒田官兵衛(如水)公と光姫(照福院殿)様像の除幕式には、多くの関係者の皆さんが駆けつけてくださり、良く造ってくれたととても喜んで戴き、大いに盛り上がりました。

その中で、中津の歴史と文化を学ぶ会(本徳会長)の皆さんも参加してくださいました。

官兵衛が大河ドラマに決定して、観光客が爆発的に増えたことから、ボランティアガイドを結成され、中津の史跡や歴史的な解説をされている皆さんです。

揃いの赤いユニフォームで親切なガイドをされていますので、中津へ来られたらぜひ一声かけてください。

勿論ガイド料は無料です。

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黒田官兵衛(如水)と光姫(照福院殿)像3

2016-04-28 08:23:58 | Weblog

光姫(照福院殿)様像除幕式には、中津黒田武士顕彰会の祝儀舞と中尾英治さんの居合いが披露された。

黒田の石垣の前に設置された官兵衛(如水)光姫(照福院殿)像の前では奥塚中津市長などご招待の方々が見守る中、正調黒田武士、自作・軍師官兵衛を力強く舞いました。

幸いにも爽やかな春の好天気に恵まれ、お集まりのお客様の皆さんとも、夫婦和合の聖地としてのパワースポットとして、全国の皆さんへアピールして行ければと祈念した次第です。

多くの皆さんのご訪問をお待ちしています。

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黒田官兵衛(如水)と光姫(照福院殿)像2

2016-04-24 07:04:33 | Weblog

黒田官兵衛(如水)公と光姫(照福院殿)様の像の除幕式の記事が、大分合同新聞に大きく掲載されました。

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黒田官兵衛(如水)と光姫(照福院殿)像

2016-04-20 08:39:29 | Weblog

この度、中津城黒田の石垣の官兵衛(如水)公像の隣りに、官兵衛(如水)公正室光姫(照福院殿)様の像を建立しました。

私共中津黒田武士顕彰会の小野会長がライオンズクラブ国際協会337−B地区(大分県、宮崎県)ガバナーに就任したことから記念事業として、何か残そうとして光姫様像を官兵衛公の傍に建立しました。

戦国時代、多くの大名が側室を置いた中、官兵衛(如水)公は側室を置かず光姫ただ一人を生涯にわたって愛したことから、夫婦和合の新スポットとして全国の良い夫婦や良い夫婦となりたい若いカップルやご夫婦の方々が、訪れることを願っています。

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黒田官兵衛(如水)と黒田の石垣3

2016-04-18 09:10:16 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が築いた西側の石垣にも、古墳や廃城の石を使用しているのが見て取れます。

今月14日21時ころと16日未明に熊本・大分地震が発生し、中津もかってない大きな揺れを感じました。

熊本県各地、大分県由布市などで家屋倒壊、道路の断裂など大被害が起きています。被害に遭われた方々の無事を祈ります。

中津城の石垣は、、、、まだ見ていませんが多分大丈夫と思います。

明日19日は、中津黒田武士顕彰会小野会長が今期ライオンズクラブ337−B地区のガバナーに就任した記念事業として官兵衛正室「光姫」像を建立した除幕式を行う予定です。

少しでも明るい話題になればと思いつつ、行います。

 

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黒田官兵衛(如水)と中津城黒田の石垣2

2016-04-12 08:36:17 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が築いた中津城の石垣の特徴は穴太積みだけでなく、その積石にも見えます。

官兵衛(如水)は秀吉の九州島津征伐の武功で、豊前国六郡12万3千石の大名となり、中津に城を築くことになりました。

戦国時代は常に殺るか、殺られるかの厳しい日々であり、戦に明け暮れる中、早急に居城を築く必要がありました。

またそれは、近辺にない大きな城を築き、新領主としての威厳を示すことでもありました。

官兵衛(如水)は中津川上流の廃城跡や古墳の石を船で運び、中津城の石垣に使ったのです。

積石には写真のように古墳に使っていた加工したあとが見て取れます。

官兵衛の合理的な発想がうかがえます。

 

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黒田官兵衛(如水)と中津城黒田の石垣

2016-04-06 08:09:04 | Weblog

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の放映が終わっても、中津には未だに各地から大勢の観光客が訪れています。

官兵衛(如水)が築いた中津城の石垣は、近江の穴太(あのう)衆により築かれた、穴太積と言う独特な石垣です。

写真の右側が黒田官兵衛(如水)の築いた穴太積の石垣、左が官兵衛の後に城主となった細川忠興が増築した石垣です。

穴太積は奥のほうまで石が入り込んでいる仕組みなので、崩れにくい堅牢な石垣です。

戦国時代に城郭造りの名人として、その名を馳せた官兵衛(如水)の傑作と言われています。

 

 

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