
元文年間六代藩主黒田継高が君臣の武功を後世に伝える為に家臣原種次に功臣二十四人の略伝の撰を命じた。黒田藩の中には音にも聞こえた勇士がずらりと勢揃いしその中でも黒田節で有名な母里太兵衛、朝鮮征伐や関ヶ原の合戦で大活躍した後藤又兵衛、黒崎城代の井上周防守、筆頭家老の栗山備後守など綺羅星のごとくであった。何れも生地姫路より黒田如水と共に戦場を駆け回り秀吉の高松城の水攻め、中国大返し、山崎の合戦、四国・中国平定、九州平定、小田原北条攻め、文禄・慶長の役では朝鮮で大活躍、如水の九州征伐そして天下分け目の関ヶ原の合戦と戦国時代にその名の漏れることはないほどの活躍であった。一つの藩にこれほどの勇士・豪傑が居たことは誠に持って奇跡に近い。それもすべて黒田如水という素晴らしいトップの手腕によるものであった。
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