とね日記

理数系ネタ、パソコン、フランス語の話が中心。
量子テレポーテーションや超弦理論の理解を目指して勉強を続けています!

江戸城の天守閣のこと

2013年06月18日 19時06分03秒 | 日記
江戸城の天守閣(CG)


先週末に勤務先のオフィスの引越しがあり、今週から「赤坂御用地」のすぐ近くのビルで働くことになった。

窓の外に広がるこの広大な緑あふれるエリアはどのような歴史的背景を持っているのだろう?赤坂御用地や皇居のことを調べているうちに、あることに気が付かされた。これはすでにご存知の方もいらっしゃるのかもしれないが、幾つになっても新しい発見というのがあるのだと思うと少し嬉しくなった。


それはむかし皇居にあった江戸城の天守閣のことだ。

ご存知のように現在の皇居には時代劇に登場するような江戸城や天守閣は建っていない。それはいつ頃に無くなったのだろうか?

天守閣があった場所は現在このようになっている。(皇居内)



この地図の赤い十字のあたりだ。



1945年の東京大空襲のときに焼失したという記録はないし、明治新政府が取り壊したという記録もない。これほど貴重な歴史的建造物をわざわざ解体するはずがない。だから天守閣は1923年の関東大震災で倒壊、焼失したのだと僕はずっと思っていた。確かに皇居内にあった御門の多くはこの震災で被害を受けている。でも天守閣の写真が残されていないのはどうしてだろう?幕末には白黒写真を撮ることができたはずだ。

トップに掲載したのはCG画像だ。時代劇に登場する江戸城の天守閣とだいぶ様子が違う。日頃テレビで私たちが見慣れているのはこれだ。



ところがこれは姫路城の写真である。江戸城はもう無くなっているので仕方なく代用しているわけだ。


ウィキペディアの「江戸城」という項目を読むと江戸城の天守閣が無くなったのはなんと1657年の「明暦の大火」による焼失のためだったという。江戸の城下町と江戸城のほとんどすべてを焼き尽くしたこの大火災でおよそ10万人が亡くなったそうだ。(焼失地域)第4代将軍「家綱」の治世のことである。(参考:徳川将軍一覧

幕府は災害復興を優先し天守閣はその後現在に至るまで再建されることはなかった。

この城は1457年に「太田道灌」によって平山城として築城され、1590年に徳川家康が入城し江戸城となった。江戸時代は1603年から1868年の265年間とされている。そのうち天守閣が存在していたのは徳川幕府の治世の初めの50年間にすぎない。

現在の天守台の位置にあったのは「寛永天守(記事トップのCG)」という建物で、初代家康から第3代家光の治世までに建てられた3つの天守のうち最後のものだそうだ。これらはそれぞれ異なる位置に建っていたという。「寛永天守」が建っていた期間は19年間にすぎない。

- 慶長天守(1607年に完成、家康)→ その後解体
- 元和天守(1623年に完成、秀忠)→ その後解体
- 寛永天守(1638年に完成、家光)→ 1657年に焼失

これはまさに江戸時代の「スクラップ・アンド・ビルド」である。ウィキペディアの「江戸城」の中の「天守」という箇所を読むと、この3つの天守についてさらに詳しく知ることができる。

だから徳川吉宗を扱った「暴れん坊将軍」や徳川綱吉の時代の「水戸黄門」など、第5代将軍以降を舞台とした時代劇に天守閣が映し出されるのは実におかしなことなのだ。NHKの大河ドラマはどうだったかはっきり覚えていないが、これからは注意して見ることにしよう。

ドラマや映画でこの天守閣が頻繁に映されるので、江戸時代の間じゅうずっと江戸城には天守閣があったのだと私たちは思い込まされてきたのだ。これは時代考証云々のレベルではなく、番組制作会社による意図的な演出だ。


恥ずかしながら僕はこの史実を知らなかった。案外このことを知らない人は多いのかもしれない。


江戸城の天守閣再建を目指すNPO法人というのも見つけた。「役員一覧」を見ると江戸城を築城した太田道灌公第18代子孫の方が会長をなさっていることがわかる。

江戸城再建を目指す会(認定NPO法人)
http://npo-edojo.org/

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2015年12月に追記:

江戸城の天守閣、高さ日本一だった…耐震構造も
2015年12月20日(朝日新聞)

黒々とした屋根と壁を持つ、高さ60メートルの天守閣に金のしゃちほこ――。

1657年に焼失した江戸城最後の天守閣「寛永度天守(かんえいどてんしゅ)」の往時の姿が、広島大学の三浦正幸教授(文化財学)の調査で明らかになった。

天守台を除いた高さは、当時の大阪城、名古屋城をしのぎ、日本最大。大地震にも耐えられる構造になっていた。三浦教授は「当時の技術の粋を集めた、まさに『日本一の建築物』」と話している。

寛永度天守は、3度築かれた江戸城の天守閣のうち、徳川幕府3代将軍・家光が寛永15年(1638年)に建てた最後の天守閣。地下1階、地上5階建てで、江戸の町の大半が被災した1657年の明暦の大火で焼失した。天守台の石垣は再建されたものの、財政難などで、その後、天守は建設されなかった。

調査は、皇居の東御苑に残る天守台に天守の復元を目指す認定NPO法人「江戸城天守を再建する会」(事務局・東京都)の依頼で行われた。




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江戸城は要塞備えた最強の城…「江戸始図」発見(2017年02月09日:読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170208-OYT1T50123.html?from=ytop_main1

江戸始図」でWebを検索する。

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8 コメント

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Unknown (YoshY)
2013-06-18 14:51:50
とねさんにしては異色の記事ですが、面白く拝見しました。小生もこのことは知りませんでした。徳川幕府がそれほど早い時期でも財政難で再建できなかったというのは意外に思いますが、太平の時代となれば天守閣をもつ必要性もあまり大きくはなかったということかも知れませんね。

毎回拝読しており、その度にもっと勉強しなければと発奮するのですが、持続性が今1つで・・・・(泣)。
YoshYさんへ (とね)
2013-06-18 19:12:45
お久しぶりです!
確かに異色の記事ですね。でも僕はNHKのタイムスクープハンターとかも好きで、毎回見ています。
天守閣はその後、何度か再建計画が持ち上がったようですが、いろいろな理由で実現に至らなかったようですね。

> 持続性が今1つで・・・・(泣)。

ブログだけ読むと僕は持続しているように見えますが、実際は始めたり、止めたりを繰り返しているのです。
財政難? (hirota)
2013-06-19 12:59:11
次の綱吉が財政負担の大きい生類憐れみの令という最先端の福祉政治をやれるくらいなのに財政難なのかなー?
Re: 財政難? (とね)
2013-06-19 13:51:13
hirotaさん
天守閣の役割は
1)敵陣や敵軍の監視
2)江戸市民に権威を見せる
の2つあります。
第4代将軍のころまでには、戦乱も落ち着き大平の世となっていましたし、江戸市民には幕府の権威もじゅうぶん浸透していました。
ですので大金をかけて再建する必要性が相対的に低下していたわけです。「再建しない」は実利を考慮した決定だったようです。
振袖火事 (T_NAKA)
2013-06-21 07:24:12
この天守閣を消失させた「明暦の大火」通称「振袖火事」の伝説が興味深いです。何故か「八百屋お七」に似ていますね。
こんな記事を書いてました。
http://teenaka.at.webry.info/200712/article_28.html
http://teenaka.at.webry.info/200712/article_31.html
お七伝説関連では
http://teenaka.at.webry.info/200703/article_8.html
http://teenaka.at.webry.info/200812/article_5.html
という記事を。。
Re: 振袖火事 (とね)
2013-06-21 11:18:28
T_NAKAさん

再び僕の書いたこの記事はT_NAKAさんの過去記事と近いところにいたわけですね。
4つの記事を読ませていただきました。明暦の大火の原因は3つの説があるようですが、そのなかでも「振袖火事」がいちばん本当らしいと思います。

全然話が違うのですが、僕の妹は成人式で着た振袖をクリーニングに出したのですが、そのクリーニング店が火事で全焼し、あずけていた振袖が灰になってしまいました。半世紀前の話です。
半世紀前の話って、、 (T_NAKA)
2013-06-21 13:45:33
「半世紀前 = 50年前」と理解し、その時成人式なんだとすると、妹さんはお幾つになられるのですか?「4半世紀前」の間違えなのでは?
Re: 半世紀前の話って、、 (とね)
2013-06-21 13:49:49
T_NAKAさん

あ、そうです。間違えました。
正しくは25年前、「4半世紀前」のことです。

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