一月の第二土日の二日間に開催の韓流グルメフェスタは日本一決定戦と銘うって代々木公園のオリンピック公園側で69店舗が参加、ほかにも物販ブースやキッチカーなども出ているまずまずの規模の催しで、最近の韓流ブームもあって賑わっていた。冒頭写真は会場内を歩道橋から120度パノラマで撮ってみた写真である。
パンフレット
会場内
事前にテレビニュースで紹介していて、その日は女房はパッチワークの講習というので常に暇なるワタクシのほうは、そちらに出掛けて昼はその中のどこかで食べてこようかと。運動不足改善も兼ねて渋谷駅からは往復エッチラオッチラと歩きにして坂道を登って行って、NHKの前を通り抜けた先に会場があってテントが並び、11時過ぎにはもう大勢の皆さんが既にパクついている。一店が一テントの狭いテント内での料理だからどれも簡便な韓国料理ばかりと思われるが、やはり韓国唐辛子を使った赤い色の料理が多いのは当然か。
各店の売上把握のためだろうけど事前に1枚100円のチケットを買ってそれで食べられるというスタイル、それだと買い過ぎても返金しないというからまずはどんなものがどういう値段であるのか調べて、自分が食べたい買いたい物の総計をチェックしておかないとと、全部のテントを一周して目安をつけることに。
チケット制
いろいろ食べたくても若くはない身としては食べるのは2品に、物販ブースでは試食して旨かったレトルト食品を一つだけということで、沢山持ち帰ってもあまりに辛いものは苦手の女房に怒られちゃうからね。しかし料理ゾーンでは試食させるのは一部だけで、全部のテントでも試食できたらもっと愉快な催しになるのに、でもそれで腹を満たされてはイカンゼヨということですかな。見たところ多かった料理は豚の焼肉、スンドゥブを含むチゲ鍋、チジミ、トッポギなどで、一部には唐辛子が入らないものもあって牛骨らしい済んだスープのものや参鶏湯に韓国おでんなんていうのもあったが、辛くなさそうな方は味の想像がつかないのが多くて試食して美味しかったら食べたかったのにね。韓国人は本来狩猟牧畜の肉食系民族だから肉が中心の食文化のはず、トウガラシは秀吉の朝鮮出兵で初めて韓国に持ち込まれたものがあまり辛くない品種に変ったという話を聞くから、古くは辛い料理ではなかったとなれば、赤くない肉料理がメインの伝統料理で、それに加えて肉の偏食を補う野菜薬膳系を含めてアレンジするのが本来なのかもね。そう考えると和食だって江戸時代までは表向きは肉食は禁じられていたから、洋食を除いた今の日本料理だけと比べてもかなり違っていたはず、その中で伝統食として残ったものは時代を越えて好まれたものだけがということじゃないかな。フランス料理も革命で宮廷料理を担当料理人たちが職を失い、市民に食事を出すことに鞍替えして改良を加えて生まれてきたというから、一般市民が食べだしてからは高々二百数十年のこととなる。それにヨーロッパの食生活が満たされるようになったのは、コロンブスの新大陸発見以来にジャガイモが渡ってきて普及してからで、その当時の日本人より食生活は悲惨だったという話もあるから、西暦1500年頃の食事内容はいずこも今とは相当に違っていたのでは、でも中華料理とインド料理についてはもっと古くからの歴史がありそうな気がするけど不確かなんで。
韓国煮込み
炭火豚焼肉
石焼三段バラ肉
サムギョプサル
トッポギ
鐘路ホットク
韓国のり巻
韓国おでん
干しタラのスープ
結局僕が食べたのはスンドゥブラーメンなるものとキムチチゲ鍋の二つだけ、スンドゥブは試食したレトルトのほうがコクがあったような、チゲ鍋の方はかなり辛くて外で風に吹かれているのに大汗をかいてしまった。こういうものはいくつかアレモコレモと食べちゃうと結構高いものにつく、立喰いだからとか1品を見ると安いとばかりは決して言えないところがある。
スンドゥブラーメン
キムチチゲ鍋
昼時を過ぎてから舞台ステージでは音楽に合わせた演技が始まったようだが、年寄には関係ないことでと誰かのセリフじゃないけれど、興味なしということで最後にレトルトのスンドゥブの元だけを買って帰って来た。全体の印象としては、これぐらいのイベントだとB級グルメ選手権ほどには盛り上がらない感じではあるな。
ステージでは
豆腐を入れるだけでいいと
ということでこの日の万歩計は13000歩に、一週間に二三日は万歩を超えるようにしなくちゃね。
<追記>
この日の夕刻に優勝者が発表されたそうで、スンドゥブチゲラーメンを提供していた上野のスンドゥブイジャカヤ食堂ポジャンマチャがグランプリ、恵比寿の焼肉パンの炭火焼肉トラジが準グランプリを受賞したということだ。それとこのフェスタは来年も同じ時期に開催予定とあった。