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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

倉敷 高坪山

2006-11-13 00:00:02 | 城郭・城下町
(1988年11月8日の日記から)
 岡山での宿泊は、倉敷市東部、有城の山上に建つ公共宿泊施設である。ここから倉敷市街を望めるが、付近に点在する山々は島の様、水田平地が海の様に見える。それもその筈で、中世までは海であり、それぞれが島であったといわれている。
平安末期には平氏二千艘の船団、源氏二万人の軍勢で源平合戦が繰り広げられたところであり、各山々は城塞であったのである。この宿泊施設のある「高坪山」も、川田氏の城があり、源平水島合戦の際には陣地が置かれた。
 夜、倉敷市街へ出かけてみた。然し人口41万を有する市でありながら、倉敷駅前の商店は早々に扉を閉め、ひっそりと静まり返っていた。賑やかか?と思えるのは一部の夜間飲食店のみであった。
 翌日、美観地区へ向かった。周辺は平日にも関わらず人々でごった返していた。やはり観光地は、まちにとって必要である。
 先ず、ギリシャ様式とロダン・カレー市民の彫刻が目につく大原美術館へ。ここは倉敷紡績創始者大原孫三郎と、画家児島虎次郎が収集した美術品を中心に展示。本館、分館、陶器館、棟方館、芹沢館、東洋館と観覧したが、各所行列を成していて雰囲気に浸る暇すらなかった。それでも印象の残った絵画を羅列してみると、クールベの秋の海、ル・ジダネルの夕暮の時、セガンティーニのアルプスの真昼、コロ・フオルテのミロンの風景、ミレーのクレヴィユの断崖、等であった。
 続いて古代ギリシャ、エトルスク・ローマ時代の蜷川美術館と西洋近代美術彫刻の倉敷美術館、日本郷土玩具美術館を観覧。そして倉敷川を渡り、典型的な倉敷建造物の考古館へ。館内には主に吉備地方の遺物が展示されているが、その中に、私が所有し謎に思っていた土器が展示されていて、弥生時代の「飯蛸坩」と書かれていた。
この考古館は全体的に研究者の書斎の拡大版といった面持ちであり、落ち着いている。
  そして最後に路地裏の蔵景を見ながらひと時の物思いに耽った。

(関連記事:倉敷-Jeans city- 瀬戸大橋与島

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