
(御幸宮 御諸神社 京都市伏見区御香宮門前町 旧府社 社殿:国指定重要文化財・府指定文化財 御香水:名水百選54番)
名張を後にし、伏見を訪れた。京都とはいえ、いにしえの「京」のあった各場所からやや離れた地であるため、独特の風紀を持っているようにも感じた。
貞観四年(862)この地より良い香りの水(御香水)が湧き出し、清和天皇が「御香宮」と名付け、社殿を造営したという。神功皇后を祀る。
文禄元年(1592)豊臣秀吉が伏見城築城の際、城内に鬼門除けとして神社を移転したが、徳川家康によって元に戻されている。境内には慶長十年(1605)家康が寄進した本殿、寛永二年(1625)紀州徳川頼宣が寄進した拝殿、元和八年(1622)徳川頼房が寄進した表門(トップ写真:旧伏見城大手門)等がある。また、慶応四年(1868)鳥羽伏見の戦いの際には、官軍(薩摩藩)の本営が置かれている。(旧大手筋本鳥居囲碁礎石)
(県文 拝殿 蟇股(かえるまた))
(重文 本殿)
(能舞台)
この後は、明治天皇陵へ向かった。
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