(愛知県西春日井郡清洲町朝日 国指定史跡 1990年3月6日)
清洲城から東へ向かい、貝殻山貝塚に到着する。
弥生前期にこの地で生活していた人々が食したカキやハマグリ等の貝類の貝殻と、獣骨を捨てた場所が貝殻山の貝塚である。また合わせて方形周溝墓及び弥生式土器が検出されている。昭和4年(1929)に最初の調査が行われたが、昭和47年(1972)名古屋環状2号線関連工事に伴って発掘調査が開始された。
貝殻山貝塚は、昭和46年(1971)に約一万平米が史跡指定され、昭和50年(1975)には出土品を展示する「清洲貝殻山貝塚資料館」を一角に設置し、屋外に竪穴式住居が再現された。
近年の調査によって、遺跡面積が約八十万平米に及ぶことが分かり、地域最大規模の遺跡であることが明らかになってきている。
この後は、美濃路清洲宿へと向かった。
清洲城から東へ向かい、貝殻山貝塚に到着する。
弥生前期にこの地で生活していた人々が食したカキやハマグリ等の貝類の貝殻と、獣骨を捨てた場所が貝殻山の貝塚である。また合わせて方形周溝墓及び弥生式土器が検出されている。昭和4年(1929)に最初の調査が行われたが、昭和47年(1972)名古屋環状2号線関連工事に伴って発掘調査が開始された。
貝殻山貝塚は、昭和46年(1971)に約一万平米が史跡指定され、昭和50年(1975)には出土品を展示する「清洲貝殻山貝塚資料館」を一角に設置し、屋外に竪穴式住居が再現された。
近年の調査によって、遺跡面積が約八十万平米に及ぶことが分かり、地域最大規模の遺跡であることが明らかになってきている。
この後は、美濃路清洲宿へと向かった。
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