(静岡市清水区興津東町)
薩埵峠から往還坂、そして承応三年(1654)に整備された中道を進み、興津(おきつ)宿東町へ入っていく。下っていくと、右手に白髭神社の文字、そして海岸寺の六地蔵が立っていた。更に民家の間を東海道中道は続いている。
往時は凡そ4mの道幅があったというが、現在は明らかに狭くなっている。東海道線の踏切を渡り、西へ進んでいると、向こうのほうから犬がやってきた。吠えるでもなく、尻尾を振る訳でもなく、そのまま誘導されるように進むと、休憩スペースのようなところに着いた。そこは中道と上道、下道が合流するところであった。せっかくなのでそこで一休みをし、その間もその犬はおとなしく佇み、触っても特段反応もない。そしてまた歩み始めると、見えなくなるまでこちらを見送ってくれていた。
往時は、夏季は駕籠で渡り、冬季は仮橋であったという興津川を渡り、興津宿の中心に入っていく。
薩埵峠から往還坂、そして承応三年(1654)に整備された中道を進み、興津(おきつ)宿東町へ入っていく。下っていくと、右手に白髭神社の文字、そして海岸寺の六地蔵が立っていた。更に民家の間を東海道中道は続いている。
往時は凡そ4mの道幅があったというが、現在は明らかに狭くなっている。東海道線の踏切を渡り、西へ進んでいると、向こうのほうから犬がやってきた。吠えるでもなく、尻尾を振る訳でもなく、そのまま誘導されるように進むと、休憩スペースのようなところに着いた。そこは中道と上道、下道が合流するところであった。せっかくなのでそこで一休みをし、その間もその犬はおとなしく佇み、触っても特段反応もない。そしてまた歩み始めると、見えなくなるまでこちらを見送ってくれていた。
往時は、夏季は駕籠で渡り、冬季は仮橋であったという興津川を渡り、興津宿の中心に入っていく。
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