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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

大久保石見守墓所

2011-05-07 00:00:01 | いにしえびとの睡

(島根県大田市大森町)
 銀山川沿いには大久保石見守墓所及び寛政六年(1794)に建立された紀功碑がある。大久保石見守長安は、甲斐武田氏臣であったが、武田氏滅亡後、徳川家康に見い出され、初代石見銀山奉行に任じられた。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家が石見銀山を直轄することになり、慶長六年(1601)長安は初代銀山奉行となっている。慶長八年(1603)には佐渡奉行、次いで伊豆金銀山奉行を兼ね、慶長十八年(1613)駿府屋敷において六十九歳で死去した。 長安の死後、生前に長安が金山の統轄権を利用して不正蓄財をし、そのうえ謀反を企んでいたという理由で、長安の七人の子と腹心である雨宮忠長、戸田藤左衛門、原孫次郎、山田藤右衛門、山村良勝は処刑され、家財は没収された。然し、長安が不正蓄財を行っていたという証拠は殆どなく、本多正信・正純父子の陰謀とも言われている。 大久保長安の菩提寺として長安の一字を付け慶長十年(1605)同所に創建した浄土宗正覚山大安寺は、昭和18年(1843)水害で大破し、極楽寺に統合された。

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