flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

多聞城

2013-02-24 00:00:26 | 城郭・城下町

(奈良市多門町・法蓮町・川上町)
 東大寺転害門から北西に向かうと多聞山がある。現在は若草中学校となっているが、かつては松永氏の城郭があった。三好長慶臣松永久秀は、永禄三年(1560)佐保丘陵の眉間寺跡にこの城を築く。永禄八年(1565)永禄の変で三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)と組んで足利義輝を暗殺するも、後に分裂。三人衆は筒井順慶と連合軍を組み、久秀との戦いが始まった。永禄十年(1567)には順慶と三人衆連合軍が陣を敷く東大寺に多聞城より襲撃し、火を放って勝利した。その後、織田信長が足利義昭を奉じて上洛。久秀は信長に拝謁し、信長に属することになった。多聞城は織田方に渡り、明智光秀そして柴田勝家が城主となった。天正三年(1575)には織田氏臣塙直政(ばんなおまさ)が城主となったが、翌年の石山合戦で討死。筒井順慶が大和国守護となると多聞城は廃城となった。その頃久秀は、信長に謀反を起こし信貴山城の戦いで自害している。
   眉間寺時代の墓塔
 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« よまんまいかー号 | トップ | 解脱院地蔵堂 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿