小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

一月七日、八日

2018-02-21 | 嘉永六年 癸丑日記
一月七日 

天気良し。
三浦殿の家来?岡田又右衛門より手紙がくる。
朝方、夕方とも質素にもどるという知らせ。
何事もなし。



一月八日 

おおいに快晴。
有田、塩谷、大蔵事、安兵衞がくる。
雄輔は昼から直川へ参る。
夕方帰り、主人と一盃吞んだ。
話したいことがあると岩橋へでかけ十時過ぎおおいにに酔って帰った。
提灯を借りてきた。
三浦公がお帰りになる。
質素にして嘉家作りまでは提灯をともしていたが、御門に入ってからは暗くして帰られたとのこと。

 ※嘉家作丁(かけづくりちょう)
 紀ノ川左岸に)位置し、和歌山城の北部、本町御門外大和街道(大坂街道)(国道24号線)に沿う町で
 城下入口の宿場であった。参勤交代の折の最初の宿場。独特の形で一部は現在も保存されている。




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