小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

九月二十七日

2011-07-31 | 嘉永二年

主人は学校の当番なり。
昼前、権七に田中へ重を返しに行かせ、帰りに「岡伝」で砂糖を取ってこさせた。
また「同五」へもやって米を一臼ついてきた。
良蔵は昼過ぎに書役所から呼び出しがあったとかで行く。
明日は松江に行く予定なので夜になって寿司を作る。
昼間は着物の裾直しで大忙しだった。
「魚九」でカマス三を一匁と十八文、「魚久」でくずし(ちらし寿司?)一匁三分で取る。
「直覚」では花もめんを六尺切ってもらい代金は五分八厘だった。
三浦に断り(なんの?)を入れた。少々不快な感じを受けたようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九月二十六日

2011-07-28 | 嘉永二年

快晴。今朝は二時前から起きた。
ご飯を炊いて食べるとすぐに四時になった。
岩一郎はゆっくり丹念に支度をこしらえて五時頃に出て行った。
今日の試合は不出来だったと、腹痛をおこして十時頃に帰ってきた。
御前で出された握りめしをそのまま持ち帰った。
主人は四時頃から田中へ行く。
庄助が大雅の掛け物を持ってきたのでみんなで見る。
夜になって庄助は帰っていった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九月二十五日

2011-07-26 | 嘉永二年

母君はお寺参りに行かれて本居に寄られた。
また、山本へも寄られたがいずれもすぐにお暇された。
山本には庭の菊を見るようにとしきりに勧められたが帰ってきたそうだ。
歌を二首席で書いてきたとのこと。大平の十七回忌だったとか。
お留守の間に風呂を焚く。
明日の槍術のご見聞に岩一郎が出るので何かと忙しい。
清吉が来る。
今日は岩橋の用事で和歌へ何度も往来したらしい。
八時頃に帰って行った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九月二十四日

2011-07-24 | 嘉永二年

少し曇っていたが、あたたかく晴れる。
四時前から橋本に行く。酒を出しておくれだったが夕方には帰った。
芳右衛門が門の戸をもらいに来た。押し寿司を二つ頂いた。
後から芳太郎が来た。
その時庄助が掛け物を持ってきたので一緒に一杯呑んだ。
庄助が持ってきたのは常信の柳と鷺の二つの掛け物だ。庄助は先に帰った。
昨日、村井多右衛門から小鳥(雀?)五、松茸少々送られたので肴にした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九月二十三日

2011-07-22 | 嘉永二年
一時雨
昼前に芳右衛門殿が来る。門扉のことで用があるとのこと。
酒を出そうと拵えにかかるが帰ってしまわれた。
良蔵は岩右衛門にて鰹一匹とってくる。
岩橋鉄助(徹助?)が唐紙と半紙を持参した。
夜になって藤助と金蔵が来た。
造り肴、すし、取り口など三鉢持ってきた。
こちらも「上九」から造り肴を取ってくる。
深夜零時頃まで話す。酒も一升取った。楊貴妃の絵が仕上がる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする