コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

結論を急がないこと。

2009-08-14 09:51:20 | 
火曜日の講座にGEAR班の学生がふたり来てくれてたけど、私の発表を聞いてどう思ったかな。

プレゼンとして良かったでしょ、と言う気はないけど、君達の大きな課題だった「原稿読み」が無かった、と言うことに気づいてるかな。
実は、手元には流れのメモ(一部引用しっかり)があったんだけれど、時間が気になって見られなかったのでした……。

それでなぜ私の発表が曲がりなりにも成り立ったのか、と言う理由が昨日の記事の中にあるのだね。
話し慣れてる、とか、暗記してた、とか言う事じゃないぞ。

「調べる」とはどういう事か。
発表するとはどういう事か。
プレゼンは技術じゃないぞ。


必ずしも良い見本だとは言えないけれど、君たちが、本番までにそういうことを自分で見つけてくれたら嬉しい。





さて、少し内容の話。
私が言いたかったのは、知識じゃなく、関係を見つけて“モノガタリ”を構築する力のことだ、というのは、そこそこ理解していただけたんじゃないかと思う。
そして、私の専門は「江戸」という対象ではなく、大げさに言えば“歴史哲学”なんだ、ということも。


だから、正直プラモデルの歴史は二の次、なのだけれど、今回調べていて、色々軌道修正しなきゃいけないな、と思った。


冒頭の方で、“静岡はなぜ模型王国なのか”という疑問に対して、ネット記事や地場産品のガイドブックなどを引用して、大体これで間違いではないと思う、というようなことを言った。

たとえば、上記リンク先「R25」が紹介する「静岡市の地域産業課・稲葉さん」の発言。

「元をたどれば徳川時代。静岡市には浅間神社という大きな神社があるんですが、これが時の将軍により、寛永時代と文化時代の二度にわたり大造営を行っておりまして、その際に全国から様々な職人達が集められたようです。記録に残る“文化の造営”では60年もかかったそうですから、やがて職人が静岡に定住し、彼らが家具やひな人形、仏壇、蒔絵といった、現在も続く静岡市の地場産業の礎となったようです」
これは、まぁいい。
文化度造営のことに触れているのは良心的だ。

しかし、そのあと、熊山准という記者のまとめ。
特に駿河指物という木工の伝統技法が、プラモ産業のルーツとも。世界に誇る日本のプラモも、将軍様のおかげ?

これは直接の引用ではない。
誰の発言だろう。“稲場さん”が「……とも」言った、ということなのか。


静岡系と呼ばれる(らしい)プラモデルメーカーの多くが木製模型教材メーカーからの転身(または拡張)だった、というのはその通り。
静岡が木材の集積地であり、木工が盛んだったこと、そこに徳川家が関わっている、と言うのもその通り。

しかし、それらのメーカーのどこも、ある意味新規参入組であって、指物はおろか、伝統的な木工業者の末裔などではないし、今井~常木系の高級木製模型や教材はともかく、子供向けの飛行機や船の模型のルーツが指物の技術だとも思えない(指物が他で生きているのは講座で触れたとおり)。


この議論は、マンガのルーツが江戸の絵本にある、と言うのと似ている。
確かにそうみえる。
似ているけれど、しかし、資料をたどってみると、越えられない断絶がある。
断絶はあるけれど、確かに“遺伝子”は生きているのだ、と言えなくもない。

私は嘗て、近世実録とゴシップジャーナリズムの断続について触れたことがある。
これも同様。


歴史家は、ミッシング・リンクを埋める“遺伝子”の証拠を見つけ出せない限り、最終判断はしない。
細部の歴史を語るにも、もっと大きな背景をみないと。

風に立つさざ波を見て大きなうねりを見落とすと、命を落とすよ。

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3 コメント

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Unknown (しぞーか式。)
2009-08-14 14:34:00
> 特に駿河指物という木工の伝統技法が、プラモ産業のルーツとも。世界に誇る日本のプラモも、将軍様のおかげ?

最後に「?」がついているということは、たぶん記者の私見ですね。誰かに突っ込まれても、反証できるほど調べていないので、エクスキューズのために「?」マークをつけておいた、というところでせう。
一見確からしい俗説が一人歩きするのの、まさに典型ですね。
伝言ゲームをするうちに、「かもしれない」が「と言われている」になり、いつのまにか「である」になる、という。。。。。


ところで、浜松の「ものづくり」隆盛の原因を調べたことがあるのですが、当初の仮説では「浜松人のやらまいか精神のおかげ」が落としどころかなあ、と思っていました。しかし、実は、必ずしも浜松出身の人がものづくりを支えているわけではないのです。
浜松に移住して起業した社長さんたちの意見を総合すると、浜松にいれば、似た業種同士で仕事を回したり、材料を都合しあったり、技術を学んだりと、物理的な距離の近さがメリットを産むらしいのです。
こういうと、色気もなにもないんですけど、、、、、、。静岡の模型作りも、土地の持つポテンシャルに惹かれて、やる気のある人が集まった、というあたりが真実なのかもしれませんね。
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あわてて追伸。 (しぞーか式。)
2009-08-14 14:37:20
そういうわけで、職人集団をわざわざ連れてきたお殿様の遺伝子が今に繋がっている、というのは言い過ぎではないのかもしれませんね。
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真実 (コニタ)
2009-08-14 16:22:22
最終的には“科学的”検証には堪えられないところにしかないのかもしれません。

静岡の持ってる“気”とか、風水とか。


それでもこつこつやるしかないですねぇ。
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