前回人のほうのGeraのことを書きました。
今回は雑誌とか本とかいえるかどうか分かりませんが、
そちらの方のことを書きます。
いつ、どうしてそうなったかは分かりません。たぶん誰かの家で飲みながら話し合ったのでしょう。
本を出そうと言うことになりました。
金がないので、コピーで15部つくり、5人以外でも理解者に配ろう、と言うことになったようです。
各自書いたものをリコピーで焼き、それを編集担当に送ります。
編集担当がそれを製本して、それぞれに送り返します。表紙はわたんちゃんが作ってくれました。
これが書いた方のGeraです。
どうしてかわたしの手元には1号はありません。
2号から20号までが残っています。
Geraの5人で山口県の油谷湾へ研修旅行と称して行ったことを特集しています。
これが第2号です。1965(昭和40)年10月に発行しています。編集はわたし。
このGeraから「広報痴典」は生まれました。
それは次回に。
今回は雑誌とか本とかいえるかどうか分かりませんが、
そちらの方のことを書きます。
いつ、どうしてそうなったかは分かりません。たぶん誰かの家で飲みながら話し合ったのでしょう。
本を出そうと言うことになりました。
金がないので、コピーで15部つくり、5人以外でも理解者に配ろう、と言うことになったようです。
各自書いたものをリコピーで焼き、それを編集担当に送ります。
編集担当がそれを製本して、それぞれに送り返します。表紙はわたんちゃんが作ってくれました。
これが書いた方のGeraです。
どうしてかわたしの手元には1号はありません。
2号から20号までが残っています。
Geraの5人で山口県の油谷湾へ研修旅行と称して行ったことを特集しています。
これが第2号です。1965(昭和40)年10月に発行しています。編集はわたし。
このGeraから「広報痴典」は生まれました。
それは次回に。