広報落第生。

私はかつて自治体の広報担当者でした。仲間から「ぼやきのkohdai」と言われました。ブログでぼやきます。

本?の方のGera

2017-04-24 | 広報担当
前回人のほうのGeraのことを書きました。

今回は雑誌とか本とかいえるかどうか分かりませんが、
そちらの方のことを書きます。

いつ、どうしてそうなったかは分かりません。たぶん誰かの家で飲みながら話し合ったのでしょう。
本を出そうと言うことになりました。
金がないので、コピーで15部つくり、5人以外でも理解者に配ろう、と言うことになったようです。
各自書いたものをリコピーで焼き、それを編集担当に送ります。
編集担当がそれを製本して、それぞれに送り返します。表紙はわたんちゃんが作ってくれました。

これが書いた方のGeraです。


どうしてかわたしの手元には1号はありません。
2号から20号までが残っています。

Geraの5人で山口県の油谷湾へ研修旅行と称して行ったことを特集しています。
これが第2号です。1965(昭和40)年10月に発行しています。編集はわたし。

このGeraから「広報痴典」は生まれました。
それは次回に。

Geraの始まり

2017-04-18 | 広報担当
昭和30年代の終わりのころ、福岡県の多くの市は広報担当者が一人でした。
担当が複数は北九州市の合併前の5市、福岡市、久留米市(担当者が2人)くらいでした。

担当者が一人は寂しいものです。市役所内に話し相手もいません。理解者もいません。カメラを持って、よその課に行ったときにそこの係長に「あんたはよかねぇ、カメラ持ってよその課をブラブラするのが仕事やけん」と言われたことがあります。
広報担当はそのくらいの思われ方でした。

仲間になる筑後のわたんちゃん、行橋のこうちゃん、中間のはせさん、田川の赤ちゃん、豊前のうっさん、そしてわたしはひとり担当でした。5人とも役所では孤独だったと思います。
ぼやきや愚痴を話したかったのです。

わたしはわたんちゃんとこうちゃんが接着剤になり、あとの3人を結び付けて、Geraというグループが出来たと思っています。

Geraはグループの名前であり、雑誌?の名前でもあります。
最近の広報紙の編集では、ゲラ刷りがあるのでしょうか、知りませんが、活版印刷の時代はゲラ刷りで何回も校正をしたものです。

まだ出来上がったものではない、未完成、そんな思いでわたんちゃんが名づけたのではないかとわたしは思っています。

日帰りの会議や研修会のときにはメンバーの家などでアルコールを入れながら大いに語り合いました。

ブログも面白いほうがいい

2017-04-05 | リタイア後
72歳で写真講座に通い始め、それから写真を撮り始めた
西本喜美子さん(88歳)という写真家の紹介が朝日新聞に
出ていました。西本さんの言葉として「くだけた感じが好き。
人生も面白いほうがいい」がありました。

これを読んで、「ブログも面白いほうがいい」と思いました。
根っからまじめ人間のわたしです。面白味もありません。
でも、なんとかブログを少しでも面白くしたいと強く思っています。

考えに考えました。なんとかして、少しでもブログを面白くしたいと。

ひとつだけ面白いとわたしが思うことがあります。
仲間と出した「広報痴典」です。
これをブログに掲載して、視聴率いや訪問者を増やそうと思いました。

「なんだ、面白くするためより訪問者を増やすためか」の声が聞こえて
来そうです。

本音はそうです。訪問者が少ないとやる気が落ちます。
訪問者が多いと今日も書くぞと言う気持ちになります。

訪問者も本心はブログは面白いほうがいいと思われているでしょう。