二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

シシルイルイしかばねを越えて、その2

2012-04-24 11:01:19 | ■工房便り 総合 
先日作り上げた、ほぉさんの言うグラン二胡。

多分このあたりで、作る上で、あるピークは越えた気がします。

伝統という、砦は越えた気がします。打ち破るという、或いは抜くという表現が正しいのだと思いますが、それだと如何にも伝統的な二胡と敵対しているように感じられるかもしれないので、越えたという表現にします。

この越えたという表現にしても、人によってはその上に行ったのかという風に取られかねませんが、上に行ったということではなく、より幅が広く音楽に対応できるようになったということかもしれません。

さすがに今までの作りの二胡は、如何に高音が出にくくとも、多少の雑音があろうともそれこそ、民族楽器という意味が解るほど、中国音楽に適していると思うのです。

中国音楽があったから、二胡がその民族の好みに合わせて作られたとも言えますし、二胡がそのような音だからこそ、二胡の民族的な音楽ができたともいえると思います。

私がなぜ、あえて伝統的な作りをせず、グラン二胡など目指したかと言いますと、私自身がチェロや、フルートなど洋楽器を普通に生活の中で楽しんでいたというのはかなり影響しています。

16歳ぐらいから、ジャズ喫茶などに入り浸り、私の音楽の志向というのが、やはり洋楽器に向いていたというのも大きいのかもしれません。

そのうえ、ビートルズや、プレスリー、が日常的に聞かれる世の中でしたから、私の音の志向というのは、言うまでも無く洋楽器に向いていたと思います。

多分、この文読んでおられる方の多くがそうであったと思いますし、若い方は猶更でしょう。

三味線の、二上がり、三下がりなどの調子などはふつう生活のどこの部分にも入ってはいなかったのではないでしょうか。

では何故二胡なのか、というところでしょう。

そこはやはり東洋人なのでしょう。

音楽としては、クラシックや、ジャズ、ロック、ポップスなど聞き慣れていたとしても、身体の中に、絶対音階とは違う5音階というのが何処か残っているのかもしれません。

私なども、絶対音階から外れそうで、外れないブルーノートや、アルゼンチンの、港で始まったと言われる、古い、それこそ微妙に音程と合わない、タンゴなどに非常に魅かれます。

多分、絶対音階というのが、作られたものであり、効率と合理、それと、多数の楽器を組み合わせる上で、より違和感のない音階という形になったからかも知れません。

人の自然に出していく声で歌うと、音が音階を上がって行くときは、下がる時より、音が上がり気味になるのだそうです。

ドレミファ、、ドーー。と歌う時の最後のドーーは、ドシラ、、レドーーー。と下がり始めた時のた時のドより、多少高いのだそうです。

これは絶対音感を持たない人に限りかもしれません。

しかし感覚的には、解りますね。

鍵盤楽器以外は、或いは、カーヌーンや揚琴などの、多弦の打楽器以外は、吹き方や指の当て方で、同じ音を弾いたり吹いたりしたとしても、音は上下します。

二胡はそれだから安定しないとも言えますが、苦労しますよね、音程を合わせるの。

でもフルートなどでも、少しかぶせ気味に吹くと音は下がります、尺八などもだから上下に振ったりもしますね。

トランペットやホルンなど、口の締め方で音程を決められる楽器は尚更ですね。

多分感覚的に、音が上がって行く時には、少し上げたいのではないでしょうか。

日本の音階にしろ、インドの音階にしろ、上がる時と下がる時に音が変わるなどというのは、東洋の音楽には付き物です。

その点ヨーロッパ人というのは、確実性が好きなのでしょうか?

或いは、ピアノが全盛のになる以前は、やはり同じように、音階は多少上下したのでしょうか。

今、絶対音階が主力となって来た、現在において、この音程の変わりやすい民族音楽が、どこの国の物であろうと、かなり世界中で密かにもてはやされるというのは、その身体の中にある自然な動く音階というのが、それらの音を懐かしがっているのかもしれません。

確かに、音楽的には完成度は無くとも、どこか人の心を惹きつける力を持つのではないでしょうか。

だからこそ、この60年洋音楽に晒されて来た日本でも、若い人さえ、二胡にひかれるというのはあるのかもしれません。



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4 Comments

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音程 (Pちゃん2号)
2012-04-25 00:11:54
「絶対音階」とは平均律のことでしょうか。確かに中国音楽では平均律からはずれた音がよく出てきますね。でも、そのことと「音程が甘い」ことは別だと思うのです。平均律より高い音、低い音があっても、それはその地方独特の音階だったり、メロディーの流れでそうなっていたり、決して間違った音ではなく、その曲の中では正しい音なんだと思います。二胡は音程をとるのがむずかしいけれど、幅がある分、微妙な違いをきちんと表現することが要求されているのではないでしょうか。
Pちゃん2号さん (nishino)
2012-04-25 09:52:24
そうですね、ヨーロッパの音階、平均律、Aを440(今は441、とか442)絶対音とした場合の、ですね。でも今は多分これがいわゆる音階の基礎に世界中なってきているのでしょうね。

平均律 (Pちゃん2号)
2012-04-26 09:47:13
う~ん、そういう意味ではうちの師匠はかなりの少数派なのかもしれませんね(もちろん、喜洋洋のような曲ではどの先生もシとシのフラットの中間の音を出すよう指導していると思いますが)。
レッスン中、チューナーを見て音程を確かめることはありません(そのかわり開放弦を使って音を合わせる方法は教えてくれました)。「平均律やめて~~~!」と言われたこともありますし、新しい曲を習うたびに、この音はちょっと高めにとったほうがきれい、とか、この音は低めに、とか指示が飛びます。琵琶の方は、フレットが平均律で並んでいてどの調でもひける、というのが自慢(?)なのですが、それでも琵琶師匠は、ここの短三度は広めにとるように、とか、この曲のファの音は高め、とか言うことがあります。
平均律 (nishino)
2012-04-26 10:59:53
多分今の日本人は皆、ヨーロッパの平均律を普通に音階と考えていると思いますよ。

音楽的に、相当つっこんで考えている人だけでしょうね。音階そのものが、色々昔はあったと。

日本音階にしろ沖縄音階にしろ、中国の音階にしろ、それぞれの感性に基づいて作られていますし、下手をすると、演奏家それぞれで、違ったりもするのでしょうから。
だからこそ、平均律というのをヨーロッパの人が作り上げたのではないでしょうか。
ピアノなどは、演奏の度に微妙に変えると言うのは出来にくいですから。

でも、わたしは、どちらも否定しているわけではありませんよ。むしろ民族音楽の其々の音階が、そして二胡の微妙に変わる音程というのが、感覚的には人を惹きつける付けるのではないかという話です。

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