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日本の将来

脳梗塞とリハビリ(2)

2017-02-25 | 日本の将来
脳梗塞とリハビリ(1)から続く。

3.リハビリテーション
(1)病棟の様子
小脳の梗塞は約3週間の治療で終了、自宅近くのリハビリ病院に転院した。この病院は4、5年前に小学校跡地に開設されたリハビリ専門病院である。カタログによれば、病床数は224、うち回復期リハビリテーション用132床、障害者用44床、医療用48床である。昔は子供たちの運動会で訪れた広々とした敷地、まさか自分がリハビリでお世話になるとは思わなかった。

(2)患者の顔ぶれ
筆者が入院した病棟は、回復期リハビリ棟の4階フロア、患者は40数名だった。患者数は入退院で常に変動するが、筆者が入院していた約2ヶ月半では女性が少し多めだった。

食堂に集まる患者の過半数は車椅子、次に歩行器や杖の人、自立歩行は5、6人だった。もちろん、車椅子から歩行器や杖に変わる人、逆戻りする人もあり、着席に必要なスペースが変化するので食卓の変動は日常茶飯事だった。車椅子での着席、手が不自由、食器の取扱い、薬の服用、食後の歯磨きなど、食事が始まると看護師・介護士さんたちスタッフは大忙しである。

患者の年齢層は30から80歳代、推定だが60歳代以上が圧倒的に多かった。リハビリの原因は脳卒中、脳手術、骨折など様々だが、食堂に初めて入った時の印象は、老人ホームのような感じだった。首に前掛けをかけて食事をとる人びとに、日本の将来を見た気がした。

79歳を迎えた筆者は高齢者よりさらに高齢の後期高齢者である。しかし、長年の独り旅で身に付けた「自分の身は自分で守る」と「余裕があれば他人を助ける」は忘れまいと本能的に考えた。また、その考え方がリハビリの本質だと後で気付いた。

(3)リハビリ生活の中身
入院中は、朝食=7時頃、昼食=12時頃、夕食=18時頃、消灯=21時、以降朝6時の点灯まで読書灯やTVはNGになる。50歳代より若い世代には、長い夜を苦痛に感じる人もいる。また、夜間のトイレの介助や見守りなど、ナース・コールを掛ける人も多い。なお、食事時間を「頃」としたのは、ひと口ひと口と流動食やスプーンで食事を取る人には定時前から定時後まで介護士さんが付きっきりになるからである。列車の時刻表のようにはいかない世界である。

リハビリの内容と時間は、患者に応じて異なるが、平均して1日3回ほどのリハビリを受ける。リハビリは1回1時間、リハビリとリハビリとの間に少なくとも1時間の休憩が入る。しかし患者が立て込むと休みなしの場合もある。患者別のスケジュールは週単位で決まっている。

前回でも触れたが、リハビリはOT(Occupational Therapy:作業療法)、PT(Physical Therapy:理学療法)、ST(Speech Therapy:言語聴覚療法)に分かれている。筆者の場合は、OTとPTが多く、STは週2~1回ほどだった。

1)リハビリの目標
OT、PT、ST併せて100人以上の療法士の先生が指導する内容は、患者一人ひとりの目標に対応している。自立歩行ができない人、右手が不自由な人など、障害とその度合いは百人百様である。患者はそれぞれの目標に向かって日々のリハビリに励んでいる。

筆者の目標は、「自宅から2、300m圏内にあるスーパー、公共設備、駅への自立歩行」だった。この圏内で日常生活はこと足りる。

リハビリ中の頭の中にはヨーロッパの静かな広場、そこには商、公、教、文化施設が整い噴水が憩の場になっている。噴水の木陰で街の芸術家がキャンバスに向かっている。あるいは、エトナの中心街のようなコンパクト・シティーが頭に浮かぶ。

青い空に浮かぶ真っ白な雲、緑の丘に囲まれたコンパクトで静かな町(City)を思う。エトナは山岳地帯の町だったが、ダウンタウンに坂道はなかった。今まで忘れていたが、コンパクト・シティーの要件として水に強い平坦な土地を追加する。坂道や山の斜面はもっての外、数百年に一度の津波を恐れて、岸壁の町から山の斜面に移住するなどという構想は、素人の発想、NGである。移住先の安全をとるか?数百年にわたり寝起きを共にして実現する岸壁の繁栄をとるか?二者択一でなく、数世代をかけて新しい技術を開発する気構えで取り組むべき課題である。その課題は、Risk Seeking(リスクを積極的に取る)/Risk Aversion(リスクを回避する)の観点で幅広く分析すべきである。

この問題については、200~300年の計で日本の姿を計画すべきである。国交省の2050年を目標にするGデザインではあまりにも近視眼的にすぎ、薄っぺらな紙に描かれた空論に見える。もっとも、百年単位の視点で地球を見ると、泡沫(ウタカタ)のように儚い国が多い中、200年先にも日本とその国土が存在するように「自分の身は自分で守る」ことがまず大切である。「自分の身は自分で守る」ことに「反対」「反対」では話にならない。いわれのない不安でヒステリックになるのをパニック・テラー(Panic Terror)という。・・・語源=ギリシャ神話

坂道で思い出すが、日本語の「山の手」には高級住宅街のイメージがある。しかし、たとえばリオの山の手は高級住宅街どころか貧民街である。他にも、ダウンタウンに比べて生活に不便な山の斜面に掘立小屋が立ち並ぶ光景もある。また、日本の大都市近郊では、1960年代は見晴らしのいい憧れの新興住宅街だったが今では過疎化が進み、交通の便も悪い。陸の孤島に残された街並みと老人にとっては、かろうじて生き残った2km先のただ一軒の八百屋への買い出しも一日仕事と昨年NHKテレビが放映した。5、60年前には想像もしなかったとため息をつく80歳代のおばあさんの姿が忘れられない。

小脳(バランス感覚)の梗塞で歩行障害を持って初めて分かったことだが、車椅子や歩行障害者にとっては、坂や階段やエスカレーターは鬼門である。特に、混み合った下りエスカレーターでは降りるときが危険である。もちろん、筆者が入院したリハビリ病院にはエスカレーターは一台もなかった。

参考だが、皇居(含外苑:230万m2)ほどの広さがるヒューストン大学(270万m2)のキャンパスには、約150の建物がある。筆者が知る限りだが、校内には昔からエスカレーターが1台もない。すべての建物の入り口はスロープ付き、古い建物の観音開きの出入り口も90年代には自動化を終え、電動車椅子の学生も自由に校舎を移動できた。出入りが多い学生センターやヒルトンホテルもエレベーターだけである。筆者の記憶だが、エレベーターは必ず2台(門)以上、しかも大型で低速である。物資の運搬用も兼ねているようだった・・・目先の流れに妥協しないある種の思想を感じる。他方、人出の多いショッピング・モールにはエスカレーターもあるが、その脇にはガラス張りのエレベーターが待機している。エスカレーターだらけの日本の建物は、今は便利だが将来が気に掛る。【参考:ヒューストン再訪(5)、(8)50年の時の流れ

リハビリは一日に3時間ほどだけ、後はベッドや食堂で時間をつぶす。まさにKill Time(時間をつぶす)である。おまけに、読書もできない長く暗い夜が待っている。そこで、夜ごと世界の音楽で懐かしい昔を、ヘッドホーンを通して頭の中に再現した。絶え間なく流れる百数十曲の音楽は砂漠のオアシス、乾ききった頭脳に水、こころがすっかり若返った。音楽は本当にありがたい。

バランス感覚を失って身体は不自由だが、幸い思考力には目立った不具合はない・・・と思っていたがそうではなかった。・・・頭の中に生きる梗塞前の自分は今では過去の人=虚像、その虚像のベールを剥がして現在の自分の姿=実像を明かしていくのがリハビリ。リハビリは単なる体操ではない。

続く。

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