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想像の旅---アレクサンドリアの図書館(1):ソクラテスと弟子たち

2017-07-25 | 地球の姿と思い出
「想像の旅---船乗りのホームポート」から続く。

ある晴れた日に、まぼろしの船「ほのるる丸」は筆者を乗せて、アレクサンドリアの古代図書館に向かった。インド洋と紅海を一跨ぎ、地中海の東側に到着した。そこは紀元前300年頃のナイル川デルタの西端、アレクサンドリアの沖だった。この頃の日本は、縄文時代の終わりから弥生時代の初期、銅や鉄器の製造が伝わり、稲作が始まる時代だった。

1.紀元前300年頃のアレクサンドリア
アレクサンドリアは、マケドニアのアレクサンダー大王(BC356-323)がこの地を征服、自分の名を残すためにBC332年に建設した都市、ギリシア人を送り込む植民都市だった。

アレクサンダー大王については歴史書に詳しい記述があるのでここでは省略するが、インド遠征からバビロンに帰還した大王は、BC323年に32歳の若さで急逝した。死因はマラリアなど、諸説紛々としている。

大王亡き後は、ギリシア系王朝プレトマイオス朝(BC306-30)の創始者プレトマイオス1世(在位BC305-285)がアレクサンドリアを統治した。しかし、この王朝の女王、美貌で有名なクレオパトラ7世(BC69-30)がアクティウムの海戦(BC31/9)で突然に最前線から離脱、アレクサンドリアに敗走した。その後自殺にいたるが、これを機に王朝も滅亡した。クレオパトラが毒蛇にわが身を咬ませる場面は多くの絵画に描かれている。

アレクサンドリアは、ギリシア文化とオリエント文化が融合したヘレニズム文化の都、BC300年ころに図書館が、続いてBC290年ころにはムセイオン(博物館)も建てられた。この頃のアレクサンドリアの推定人口は15~30万人、カルタゴ、ローマ、アテネと肩を並べる都市だった。時代は違うが、平安時代の京都もこの規模だった。【参考:オリエント=ローマの東方のシリア、古代エジプト、古代メソポタミア、ペルシアなど】

一方、紀元前5世紀から3世紀にかけてのギリシアには、人文科学・社会科学・自然科学の分野に偉大な業績を残した人びとが現われた。ピタゴラス(BC582-496)、ソクラテス(BC469?-399)、プラトン(BC427-347)、アリストテレス(BC384-322)、ユークリッド(BC330?-275?)、アルキメデス(BC287?-212)など、名前をあげれば切りがない。

参考だが、ソクラテスの弟子=プラトン、プラトンの弟子=アリストテレス、アリストテレスの教え子=アレクサンダー大王である。アリストテレスとアルキメデスはアレクサンドリアに滞在(勉学)、ユークリッドはアレクサンドリアで数学を教えていたことが分かっている。

彼らは哲人であると同時に論理学、算術、幾何、天文学などの先駆者だった。彼らが源泉となって、中世ヨーロッパの「教養科目」すなわち「自由7科=リベラル・アーツ(Liberal Arts)」が学問体系として成立した。リベラル・アーツは文法学、修辞学、論理学、算術、幾何、天文、音楽の7科である。中世大学の教養科目「リベラル・アーツ」は教育改革を重ねながらグローバル化の流れのもとで今も進化している。
【参考:筆者は、60年代の米国で、各国の留学生の履修科目と成績を米国基準で評価するデータベースの存在を知った。この流れの一端と理解した。】

2.古代図書館
ここからは想像になるが、街の様子は、石畳の道や広場をラクダや馬車が行き交い、素足の人は見当たらない。街並みはほとんどが平屋だが、人が集まる市場のような一角もある。海岸に面した大きな大理石の柱でできた建物は図書館らしい。

図書館の敷地はハッキリしないが、縦横100m×200mほどに見える。蔵書は70万件、大多数はパピルスである。パピルス1枚はA4版(約21x30cm)より少し大きい繊維質の筆記用紙である。それを20枚ほどつなげた長さ約4m、直径20cmほどの巻物である。(図書館の規模を試算したが詳細は省略)

コンピューターのない時代、蔵書の出し入れと収納効率を考慮すれば、著者別収納と分野別収納の組み合わせが適切である。たとえば、著書が多いプラトンの場合はすべての著書をプラトン専用の書棚に収納する。また、著書が少ない人の場合は、内容の分野別や言語別に収納、粘土板などは媒体別に管理する。さらに、絵画、工芸品、道具、武器などはムセイオン行き、あるいは薬草や医薬品は薬草園行きなどと行先を決めて収納する。

ここで図書館内の言語に話は変わるが、紀元前8世紀に遡る古代ギリシア語には方言が非常に多い。紀元前4世紀ころはアッティカ方言(アテネ方言)が古代ギリシア語の標準語になっていた。したがって、蔵書の分類もアッティカ方言を標準語とする多言語データベースである。ちなみに、ホメロス、プラトン、アリストテレスの著書もこの言語で書かれている。

所蔵品の言語は古代ギリシア語、古ラテン語、古代のエジプト語、アラビア語などの他にヒエログリフや楔形文字、絵文字、文様、絵画なども交じっている。多言語というよりは、多文明、非常に狭い地域で栄えた文明・方言や宗教も含んでいる。言い伝え、昔話、迷信や呪文・魔術系の所蔵品もある。さらに、ピラミッドやスフインクスの資料や異文明の度量衡換算表もある。

多種多様な書籍を効率的に扱うには、ある程度の省力化が必要になる。アリストテレスの「滑車」は機械工学の原理であり、図書館、ムセイオン、薬草園の設備にも使われている。また、蔵書を始め多くの所蔵品を湿気、害虫、砂塵、火災、盗難から守るために、床への直置きを避け、定期的な棚卸しと点検は欠かせない。

所蔵品の管理に多くの労力を費やすのは一種の社会事業でもある。ピラミッドの建設で始まったその流れは為政者の重要課題である。21世紀になっても失業者数を抑えるためにさまざまな形で受け継がれている。たとえば、途上国の“誰でも営業できる屋台”や先進国のゴミのない〝清潔な公共スペース”などは一種のセーフティー・ネットだと筆者は考えている。反面、保護・支援の名のもと、労働を伴わない“金品のバラ撒き”は為政者の人気取りには効果的だが、長い目では賢明とは言えない。

かなり大きな図書館とムセイオンの経済効果は大きい。図書館とその周辺に住む関係者や利用者の食料、住居、衣料、生活用品、仕事に必要は物資へのニーズが生まれる。さらに娯楽や教育などのニーズが加わり人・物・金・情報の動きが盛んになり、都市間や海外交易で街に活気が生まれる。

そのようなアレクサンドリアに立つ筆者は、周りの若くて元気な人びとにはいつかどこかで出会ったような気がする・・・それは開放的な途上国だった。

納豆とパクチー以外は何でも食べる筆者、食べ物には不満はない。身の回り品もあり合わせで十分、壊れたものは直せば使えるので周りの人びとに喜ばれる。しかし、言葉の不自由だけは困る。せっかくの世界旅行、できるだけ彼らに近づきたいので、少しでも多く「読み」「書き」「話し」、辞書も「引き」たい。

指さしや手まね、「Oui(ウイ)」と「Non(ノン)」だけでは独り相撲、意志疎通ができない。もちろんヒエログリフは言うに及ばず古代ギリシア語の知識は皆無の筆者、古代図書館の蔵書は「猫に小判」、お手上げである。

続く。

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