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韓国客船沈没に思う(臨時)

2014-04-28 | 地球の姿と思い出
韓国客船の沈没に思う
2014年4月16日、韓国の客船が多くの乗客を乗せたまま沈没した。まず、なすべきは犠牲者の救助と収容、これが最優先事項である。操船者全員逮捕などと話題をそらしてはいけない。

テレビで生々しい事故の映像を見ていると、いろいろな船乗り言葉が「ほのるる丸」元三等航海士の筆者を刺激する。その刺激で、ここに50年前の筆者がよみがえる。【参照:「今日からブログを始めます」(2010-08-26)】

1)ラッシング(Lashing:荷物の固定)
貨物船が港で荷役をするとき、航海士の最も大切な仕事は、積荷のラッシングである。実際の作業は、荷役会社の作業員と本船の乗組員の仕事であるが、航海士は陣頭指揮を取る。

ダンネージ(Dunnage:荷敷き板)、角材、ワイヤー、ロープ、チェーンなどで積荷を固定する。荷崩れの恐れがある重量物やデッキ・カーゴ(甲板積貨物)のラッシングは特に入念に、時には営業担当者や荷主も立ち会って出来ばえを確認した。重量物の積載では、積込み時の船体傾斜角度を10mほどの重り付き釣り糸で求め、単純な方法で重心の位置を計算した。

なお筆者の時代(=ほのるる丸時代)の話だが、船体の安定性は船の状態に応じて様々な方法でチェックした。例:Cargo Plan(貨物積付図=貨物の荷印、数量、重量、揚地、積載位置等を色別で示す船倉図面)と出港時の燃料、清水、食料&喫水(船首/船央/船尾+海水比重)から計算する方法、航海中のローリン周期や回頭中(旋回中)の船体傾斜でチェックする方法、重量物積載時の船体傾斜と喫水+海水比重から計算する方法などがあった。

2)荒天・・・ローリング(横揺れ)&ピッチング(縦揺れ)
東回り世界一周航路は、大圏コース(球面上の二点間最短コース=円弧:球面三角法)で太平洋を横断する。横浜を出て金華山沖からアリューシャン列島に向け北上、そこからアメリカ大陸に沿うように南下、パナマに向かう。

冬のアリューシャンは低気圧の墓場(低気圧が行き着き消滅する地域)といわれいつも荒れている。荒天が激しいときは通り抜けに3日程かかった。客船は静かな貿易風帯を東進するので、航海は快適だがその航程は長くなる。

大荒れの北太平洋では、片舷30~40°のローリングを繰り返す。大きなローリングでは、傾斜計が最大目盛(43°)を振り切るが、なぜか43°の数字が今も記憶に残っている。また、不思議なことに恐怖心はなかった。

激しいローリングとピッチングで、ときどきスクリューのレーシング(Racing)とハンマリング(Hammering)が起った。レーシングはスクリューが水面から飛び出し空転すること、スクリューにかかる水圧の変化でエンジンが高速と低速回転を繰り返す。時には船首が波頭に大きく持ち上げられ、船体が船尾方向にずり落ちる形で後退した。もちろん、速度計はマイナスになっていた。

ハンマリングは船首が波頭とぶつかり、水を浴びた犬のように150mの船体が10秒ほど身震いする。船体の共鳴(共振)である。ストッパーをかけ忘れた自室の引き出しは飛び出していた。(引き出し下部に1cmX3cm程のストッパーがあり、このストッパーを垂直にして引き出しの飛び出しを防ぐ)

このような荒天はめったにないが、荷崩れしないかとハラハラする。しかし、荷崩れしない。もちろん、船内に手摺りがなければ歩けないが、船酔いでは仕事にならない。握り飯が続くが、出るだけましと乗組員たちは感謝した。大学の同級生2人は、練習船の船酔いが辛くて宮崎の航空大学校に転校した。
 
【参考】
航海士は、荒れ模様になればローリング周期で船の安定性(復元力)をチェックする。この周期は、船ごとに異なるが、「ほのるる丸」の場合は12~13秒以上が危険な周期、もちろん、キャプテン(船長)に報告する。(「ほのるる丸」:長さ約150m、幅約22m、ブリッジ眼高約16m:水面上の目の高さ)
【経験】
名古屋港ですべての荷物を下ろし、軽荷状態で神戸に向け出港した。(軽荷状態:Light Condition⇒重心が高めになるので風波には要注意)

伊良湖岬を通過し太平洋に出たとき、突然海が荒れ始めた。筆者(三等航海士)が当直中のこと、ローリング周期が12秒、直ちにキャプテンに報告した。キャプテンは4番タンクにバラスト(海水)注入を命令、無事に神戸に入港した(バラスト注入で重心を低くした)。神戸で4番タンクの清掃に二百万円近くかかったと今も記憶している。

3)一流と三流の違い
一流の船会社や船乗りと三流の違いは明確、一流は航海中に荷崩れを起こさないとキャプテンに聞かされた。

三流会社の船では、荒天でハッチ(船倉)の積荷が暴れだすことがある。荒天で荷崩れを起こしても、海が収まるまで危険なハッチには入れない。最悪の場合は、転覆もあると聞いた。

筆者は4年間三等航海士を務めたが、幸い積荷の損傷事故は一度も経験しなかった。

4)キャプテン・ラスト(Captain Last:キャプテンはすべての人を退船させて最後に退船)
「船長最後退船義務」は「キャプテン・ラスト」の2語で広く世界に知られる通念である。

日本の船員法12条「船長最後退船義務」は、1970年の改訂で「義務」はなくなった。しかし、11条「在船義務」はそのまま残り、12条の解釈を含む議論が多い。その議論は長くなるのでここでは省略する。

遭難船から私服でこそこそと逃げ出す。それは、やはり「キャプテン・ラスト」に後ろめたさを感じるからであろう。その後ろめたさは、その先の人生に禍根を残す。船乗りが腕に巻く金筋は身分と責任の証し、金筋が多いほど責任が重いと教えられた。Captain LastはOfficer(士官)の基本的な責務である。

筆者はキャプテン・ラストを、船に限らず「最後まで逃げ出さない」で納得のいくまでなすべきことをなすと理解している。神は人に「あなたはいかに生きるか」と問いかける。その問いに筆者(船乗り)は「キャプテン・ラスト」と即答する。

ヨーロッパでは危険な河川航行が多い。当然、スタン・バイ(総員部署に付く用意)も多くなる。いつ何が起こっても対応できるように制服のままの仮眠が続いた。

韓国客船のキャプテン、羽田沖逆噴射のJALキャプテン、彼らは制服姿でなかった。もし筆者が救助すれば、直ちに現場に追い返す。それは、本人のためである。 

参考知識:復元力
液体に浮かぶ浮体、たとえば船には必ず重心と浮心がある。下の図は重心と浮心の関係を示している。

図:重心と浮心の関係⇒復元力

図の説明:
重心=船全体の重量の中心:重心に働く力は船を押し下げる方向に働く。
  重心にかかる重さ(トン)=排水量(トン)・・・1トン=1000Kg
  船が傾いても重心の位置は変化しない。しかし、積荷が荷崩れすると重心の位置は変化する。
浮心=水面下の容積の中心:浮心に働く力は船を浮上させる方向に働く。  
  水面下の容積×海水の比重=排水量(トン)=船の重さ(トン)に等しい。
  船が傾けば浮心の位置は変化する。
 
A 重心が低い場合
船を傾けると浮心が右に移動する。この時、重心は浮心の内側に作用するので、船は梃(テコ)の原理で元の姿勢に戻ろうとする。この「元の姿勢に戻る力」を復元力(Stability)という。

B 重心が高い場合
船を傾けると重心が浮心の外側になり、ますます傾きが大きくなりそのまま横転する。

重心が低い船の復元力は大きく(強く)、ローリング周期は短い。高くなるにつれて周期が長くなる(=復元力が弱くなる)。さらに高くなると僅かな傾きがさらに大きくなって船は横転する。ローリング周期が短い船をクランク・シップ、長い船をテンダー・シップと云う。テンダー・シップは、揺れが穏やか(tender:柔らか)で乗り心地は良いが、復元力が弱く危険である。

以上で(臨時)を終り、次回 ハノイ旅行に続く。

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日本の将来---5.展望(3):バンコクの日本食材が人気

2014-04-25 | 日本の将来

4月10日から続く。

今回は、都市の住みやすさと大きさを比較する。

下の表は、マーサー(注)「2013年世界生活環境調査‐都市ランキング」から引用したものである。ウィーンは、表に示すように2011年と12年で1位、また、表にはないが2010年と2013年(最新)でも1位だった。ウィーンだけでなく、上位10番までは毎年同じような顔ぶれである。【注:マーサーはアメリカのコンサルティング会社】


この表の上位を占める都市の大まかな人口は次のとおりである。
1位ウィーン:170万人、2位チューリッヒ:37万人、3位オークランド:130万人、4位ミュンヘン:130万人、5位バンクーバー:57万人
これらの都市の人口は200万人以下、ウィーンは京都(150万人)程度の都市である。巨大なニューヨークや東京は、毎年40~50位辺りに現れる。

ウィーン、チューリッヒ、ミュンヘンは古くて落ち着いた大人の街、典型的なヨーロッパの都会である。そこは、垢抜けた人々、石畳の広場と建物、静かな路面電車が行き交う空間である。毎朝、ていねいに磨いたショウ・ウインドウの専門店が並び、その街独特の文明と文化が生まれ育つ。【補足:文明=ハード系(道具、設備、建築、技術、工場など)、文化=ソフト系(言語、習慣、芸術、学問、ルールなど)】

下の図は、1963年のロンドン地下鉄(Tube)の路線図である。船乗りとして筆者が初めてロンドンを訪れたときの記念品である。その歴史は古く、1854年頃から建設が始まったという。地下鉄の乗換駅では地底深くに延びるエスカレーター、そのエスカレーターでは人は右端に立ち左側を急ぐ人に譲るというルールがあった。地下鉄というハードにルールというソフト、そのソフトはパリやウィーンなどに共通だった。


歴史ある西欧の近代都市とは対照的に、ここ3、40年で急速に発展した若くて成長盛りの都会がある。中心地のショッピング・センターは子供連れでにぎわう。

たとえば、筆者が仕事で2012年まで行き来したバンコクも急速な近代化を遂げた街である。

1970年代後半、初めて仕事で訪れたバンコクは、主な道路はあちこちで工事中だった。この頃は、欧米や日本のODA(政府開発援助)で道路網の建設と社会インフラの整備が始まった時期だった。

その後、2000年に長期滞在で訪れたバンコクは交通渋滞で世界に有名だった。渋滞の中には昔懐かしい旧式の日本車、ポンコツのトラックやバスがあふれていた。時には、ベトナム戦争で活躍した木造ボディーのトラックも見かけた。また、バス強盗が乗客の金品を強奪したという記事(日系紙)もたびたび目にした。

やがて、バンコクから周辺の工業団地に延びる高速道路が次つぎと開通し、ポンコツ車はいつの間にか消えてしまった。

下の写真は、通勤時間帯の市内の風景、金曜日の夜と事故以外の渋滞はまれである。


日本以上に広々とした高速道路網、その料金所に集まる車を見ていると、日本以上に日本車が多いと感じるほどである。世界のデトロイトを目指す政府の方針にもうなずける。

99年12月から運行し始めたスカイトレイン(市内高架鉄道)も2005年頃までは空席が目立ったが、景気が回復するにつれて、乗客が増加した。近年の通勤時間帯は下の写真のとおりである。最近、混雑で危険なためフォームドアを導入する駅が増えという。04年にはメトロ(地下鉄)も開通したが、スカイトレインとメトロともに延伸中である。


上の写真から分かるように、女性の社会進出は盛んである。たとえば、経理、生産管理、購買、品質管理、顧客管理などの女性部課長はよく見かける。筆者の知る大学院卒は、なぜか男性より女性が多い。また、全国の屋台ではおばさんが主役、一般に男性の影は薄い。

国王を心から尊敬するタイ人、皇室レベルでタイと親交のある日本、日本欧米の経済支援による社会インフラの整備、日系企業の進出と雇用機会の増加など、さまざまな要因でスーパーに日本食品が多くなった。【11年のデータ;日系企業3133社(工場1735社)、工業団地62ヶ所、推定日本人約7万人(短期出張や旅行者を含む)】

下の写真は、バンコクの大手スーパーの食品売り場である。数字はタイ・バーツ(約3円/バーツ)である。


街の屋台でもキッコーマンや味の素が当たり前、牛乳、ヨーグルトはコンビニの定番である。スーパーやデパ地下の食品売場では、にぎり寿司のパックなどに人気がある。

調味料だけでなく、下の写真のように日本の食品が出回っている。


家庭用クーラーや冷蔵庫が珍しかったバンコクでも、スーパーの家電売り場で炊飯器、冷蔵庫、クーラー、テレビ、パソコン、ケータイ、デジカメが安く手に入るようになった。家電が普及するにつれて、以前は屋台に頼っていた食事も自宅で作るようになった。【補足:一般家庭の台所は、流し台だけの簡単なものが多い。しかし、その食生活が変化し始めている。・・・筆者の見聞】

生活水準の向上、調理器具の普及と食生活の変化、食品添加物と残留農薬の心配、これらは食材への関心を高めた。「あの地区は農薬を多用するので野菜の虫食いが少ない」などという噂が、急速に普及したケータイで広がるとたちまちその野菜の売れ行きが落ちるという。

下の写真は、バンコクに4店舗を展開する日系スーパーの店内である。特に、写真のように日本直送の農産物には人気がある。「卵ご飯」に使える日本直送の「生卵」は日本人の隠れた貴重品である。


ここで、日本の農産物の輸出状況に触れておく。下のグラフは、NHKクローズアップ現代(2014/4/14)とFAO(国連食糧農業機関)と朝日新聞のデータから作成したグラフである。

2010年の日本の総輸出額は63.9兆円、そのうち農産物の輸出額は下のグラフに示す3400億円、単純計算では総輸出額の0.5%に過ぎない。日本の農産物は評判が良い割に輸出額は少ない。最近はTPPで悲観論もあるが、農産物の海外進出まだまだ有望である。


グラフ右下に示す日本政府の2020年の目標はわずか1兆円、その時の世界需要は680兆円で日本の目標は680分の1のシェアーに過ぎない。

話を戻すが、近代化に数百年を費やした西欧諸国、戦後の焼け野原から出発した日本、3、40年で発展したタイ、その道筋は国ごとにさまざまだった。しかし、程度とタイミングの違いはあるものの、現在の地球は、成長の次にくる高齢化の局面にさしかかっているのは間違いない。その高齢化は、人間だけでなくハードとソフトにも進み始めた。「歴史は繰り返す」は昔の話、現代ではそうではない。たとえば、移民の受け入れも時代遅れの手法である。そもそも、移民に出る側でも高齢化が進み移民にでる余裕がなくなるかも知れない。

幸か不幸か、急速な発展を遂げた日本は、トップバッターの形で急速な高齢化に直面している。下のリストは、2100年を視野に入れて筆者がこころに描くなすべき事項を示している。


ここで、横浜発明振興会の発展を祈り、このセミナーを終了する。今後はこのリストに掲げる項目を具体的にこのブログで展開する。

なお、予定を少し変更して、次回はハノイ旅行の紹介、その後に上のリストの項目を順次検討する。

続く。

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日本の将来---5.展望(2):日本の人口(1925‐2105)

2014-04-10 | 日本の将来
3月25日から続く。

ここで、総務省統計局のデータで日本の過去と将来の人口を説明する。

下のグラフによると1925年(大正14年)に約6000万人だった人口は、60年後の1985年(昭和60年)に約1億2100万人に倍増した。その後、成長率は鈍り2008年に約1億2800万人のピークを迎え、人口は減少に転じた。


現在も人口減少は徐々に進行し、2050年頃に1億人を割り込み、さらに2100年頃には4600万人とピーク時の3分の1近くまで落ち込むとみられている。

ちなみに、1903年(明治36年)の日本の人口は約4600万人、この頃の日本は日露戦争(1904年開戦)、欧米では、F.Taylorの科学的経営(1911)やF.Gilbrethの動作研究(1911)などで工業の近代化が進んだ時代だった。

1903年から約100年後の2008年には、1億2000万人、さらに2100年の人口は4600万人とまるでジェット・コースターのように急上昇と急下降を繰り返す。この間、1900年代の蒸気機関車や蒸気船に頼る時代はジェット機やグローバル・ネットワークの時代に進展した。近代化と人口増の100年に続き、老化と人口減の100年がやってくる。

ここで、近未来の40年先に目を移すと、下のグラフのように少子高齢化が具体的に見えてくる。


上のグラフでは、0~19歳の人口比率がすでに60年代から2000年にかけて急速に減少する反面、2000年頃から75歳以上の人口比率が直線的に増加し始めた。

下のグラフと表は、上のグラフを人数で表している。



上の表の2060年では、65歳以上の人口(11,279+23,362=34,641千人)が総人口(86,737千人)の40%を占めることになる。この3464万人のうち、65~74歳は1127万人でかなり大きな数字である。気力と体力のある65~74歳の人々が生産活動に参加すれば、統計上の悲観論も少しは改善する。

話は変わるが、少子高齢化の話題には「移民受け入れ論」が付きまとう。移民1000万人を受け入れるとの記事を数年前に目にしたが、最近も似たような記事に出会った。【参考:「移民受け入れで人口1億人維持『年20万人』内閣府試算」朝日新聞朝刊、2014/2/25】

下の図は、朝日の記事を再現したグラフである。政府の「選択する未来委員会」は年内に報告書をまとめて、15年以降に毎年20万人の移民を受け入れるという。

   

上のグラフで、移民の総数や出生率の意味が分らないが、もし出生率の回復で9136万人を達成できるならば、移民の受け入れは不要だといえる。

もし、出生率は回復せず、かつ移民を受け入れると2100年の総人口はどうなるか。この数字は記事にない。

この案は毎年20万人の移民を受け入れるというが、製造業の空洞化が進む国内に毎年20万人の雇用を創出できるのだろうかと疑問に思う。

雇用創出には東北地方だけでなく、他の自治体も苦労している。
富山県の例:国の交付金を活用して「緊急雇用創出基金事業」を実施しています。これにより、平成21年度から平成27年度までの7年間で合わせて17,500人程度の雇用創出を目指しています・・・富山県のHPから引用、ただし基金の金額は不明。

雇用創出ばかりではなく、ヨーロッパ諸国と違って、歴史的に多民族&多言語に馴染みがない日本、約1億1000万人のうち2~3000万人が移民系になれば、国の存亡にかかわる問題になる。

現在、日本ビジネスのグローバル化はめざましい。この流れと同時に、移民受け入れで日本の国民が多民族化すると、必然的に言語の問題が浮かび上がる。オーストリアのように、ドイツ語(国語)能力を移民の必須条件にしても決め手にならない。

日常生活とは別に、ビジネスでは英語が幅を利かすことになる。もともとグローバルな英語とローカルかつマイナーな日本語が並立すると、日本語が急速に退化する恐れがある。やがて、英語が準公用語または第二公用語になる可能性も出てくる。もし、準公用語/第二公用語になれば官庁や公共サービスや報道の英語化も必要になる。

さらに、移民系の人口が増えるにつれて勤勉、誠実、和、向学心、整理整頓を重んじる日本の国民性が変化する恐れがある。現在の国民性が生み出す日本固有の文学、芸術、建築、工芸品、技術や食文化は、有形・無形の資産であり、そこから優れた仕事や製品が生まれてくる。もし、この国民性が変化/退化すれば取り返しがつかない失敗になる。そのときの日本は、多民族が好き勝手に暮らす寄り合い国家、さらに国家財政が傾けば最悪である。

世界に知られた日本文学、芸術、建築、工芸品、工業製品や食文化を守り、それらを発展させて人類に貢献する。これが日本の道であって、ただの数合せ的な移民策は、移民を受け入れる日本国民と移民する人々の双方を不幸にする。

余談になるが、筆者は、船乗り時代から今日まで東南アジア、中東、欧米、太平洋諸国を渡り歩いた。ここ30数年間は主に日系工場の生産管理にかかわった。日系工場が生産する製品は現地では少々高いが品質は“買い”である。また、工場で働く人々の「行ってみたい国」や「研修を受けたい場所」は日本だった。また、欧米の下宿、アパート、ホテルでも「きれいに住む日本人」は歓迎、アラビアの田舎でも日本人と分かると屋台の焼き鳥を只で勧められた。50数年にわたる海外経験では、行く先々で多くの親切を受けたが、幸い不愉快な思いは一つもない。これは個人的ものでなく、日本と日本人に対する人々の信用である。

「数は力、力は金」を信奉する政治家や経営者はさておき、この地球には、人口が少なくても国民は文明を享受し、かつ経済的に豊かな国も多い。

筆者もよく知るオーストリアやオランダは、それぞれ真似のできないユニークな国々である。

オーストリアとオランダの産業は、すでにこのブログ2013-09-10と09-25で説明したので省略するが、3ヶ国の経済指標は下の表に示すとおり隣り合っている。しかし、これら3ヶ国の人口と国土は大きく違っている。


下の表は3ヶ国の概要である。山がないオランダの人口密度は約400人/平方Kmであるが、山国の日本やオーストリアと単純に比較できない。ちなみに、もし日本の人口が4200万人程度に減少すれば人口密度は約110人/平方Km、この数字は現在のオーストリアに近い。この程度なら、実際に住んでいても寂しくは感じない。


ここで言いたいことは、人口が多いことと国の豊かさは別問題、たとえば、GDPの総額より、国民一人当たりの額が大切である。


日本、オーストリア、オランダの一人当たり名目GDPと実質経済成長率は、グラフのとおりよく似ている。


現代は国際経済の時代、先進国においては特殊な事情で数年間にわたる特異な動きも、やがてグローバルな流れに乗って平均的な動きに戻っていく。


下に示すオランダの失業率は、オランダ病とワークシェアリングの功罪で80年代から2000年頃まで大きく変動したが、その後は小康状態だった。しかし、今後はふたたび悪化するとの見通しがある。


オランダ病の根底には、1960~70年代の好況と人手不足と主にインドネシア(旧植民地)からの寛容な移民受け入れがある。現在では一部、移民のゲットー化も進み、若い技術者が自国に失望して移民するケースもあるという。

続く。

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