船乗りの航跡

地球の姿と思い出
ことばとコンピュータ
もの造りの歴史と生産管理
日本の将来

グローバル化への準備---英語と他の言語(13)&UH卒業

2013-05-10 | ビジネスの世界
英語と他の言語(12)から続く。

(3)アメリカの大学へのチャレンジ
夢には二つの夢がある・・・「夢を実現しようと自分なりに努力するとき、その夢は理想になる。しかし、ただ夢を描くだけでその夢を実現しようと行動を起こさなければ、その夢は白昼夢に終わる。(倫理説)」 また、「金があっても意志がなければ何もできない。しかし、金がなかっても意志があれば何かをなせる・・・びんぼう男爵のことばだったか?(バルザック、従妹ベット:La Cousine Bette,仏文学)」と大学で学んだ。

いま思えば、大学は理系だったが、これらの言葉は筆者の人生に大きく影響した。

四年にわたる船乗り生活で“感じるところがあって”国連の途上国支援にチャレンジしようと決意した。その夢を達成するためには、アメリカの修士号取得、次に実務経験、その上で国連に応募が必要、かなりタフ(tough)な目標だった・・・これは大きな夢、しかし、同じ夢でも白昼夢と理想は別物、理想には本人の努力で近づくことができると信じて夢に向かった。

1960年代の中頃、日本からの海外留学は稀な時代だった。母校、神戸商船大学の成績証明書と推薦状を始め、多くの人々の支援を受けて憧れのヒューストン大学から入学許可を受け取った:Congratulations on having been accepted to the University of Houston. April 25, 1966

あの頃、母校からNew York大学に留学した井上篤次郎先輩(NY大学、海洋学、Ph.D., 後の神戸商船大学長)は筆者の励みだった・・・後ほどの話だが、井上博士の波浪解析理論はInoue’s Formula(井上方式)として世に知られ、海底油田開発のプラットホーム建設などに必要とヨーロッパで知った。もちろん、筆者は畑違いだが先輩の功績を今も誇りに思っている。

ヒューストン大学の新学期は9月スタート、その前にオリエンテーションに参加するようにと連絡を受けた。そのオリエンテーションは、ホテルに泊まり込みで1週間、ヒューストン大学の紹介とアメリカ生活の説明が主な内容だった。また、オリエンテーションにはMichigan Test*と本人の英語力チェックが含まれるとあった。
【参考*:アメリカ留学には、TOEFLまたはMichigan Testの成績が必要だった。TOFELは留学希望者が住む国で受けるテスト、Michigan Testはアメリカ国内で受けるテスト。】

◇Michigan Test:
学部(Undergraduate)と大学院(Graduate)への入学希望者併せて約230人は一斉テストを受けた。

◇Sudden Test(突然のテスト):
オリエンテーションのトピック、たとえば「アメリカの大学生活」の説明の途中で予告なしのテストが時々あった。説明の途中で「今説明した内容を英文で記し、あなたの意見を書きなさい。」といった内容のテストだった。一日に数回の時もあったが、本人の英語力と人物評価**が目的にみえた。
【参考**:Depth of Extemporaneous Resource=即座の対応に本人の素養/人柄がでる】

◇オリエンテーションの終了と入学条件の決定
1週間のオリエンテーションを終えたとき、各学生の入学条件が本人に伝えられた。
大学院入学希望者の場合:(学部生の場合は不明)
1.大学院への入学OK、新学期の受講科目数に制限なし
2.大学院OK、ただし受講科目数は2科目まで(この場合、2年間で大学院を卒業するのは難しい)
3.大学院OK、ただし新学期の受講科目数は1科目だけ
4.四年制からやり直して、成績が良ければ大学院への入学OK(大学院入学は容易ではない)

オリエンテーションの最終日にInternational Student Adviser(留学生相談役)の紹介があった。筆者のAdviserは50代の非常に温厚な女性、たとえば受講科目の選定や個人的な問題へのアドバイスなど、卒業まで大変お世話になった。彼女の筆者への口癖は“Take it easy(落ち着いて)”だった。

幸い、筆者の入学条件は1.の“受講科目に制限なし”だった。当然、すべての時間を卒業に集中しようと、自炊とアルバイトなしの短期決戦を心に決めた。

決意から24ヶ月目になんとか目標を達成した。それは荒れる北太平洋のような激動の2年間だった。しかし、学ぶべきことが多く寝る間も惜しむ生活、一種の火事場の馬鹿力で乗り切った・・・独り者が命を賭けるときその決意は固かった。

日常生活で最大のカルチャー・ショックは、英語による授業やアメリカ生活でなく、コンピューターを利用する教育だった。それは理論(数式など)だけでなく、数値解や振動などを実際に見たり触れたりできる現実的な教育だった。コンピューターの知識ゼロからのスタートは大きなハンディキャップだったが、商船大学で学んだ電子・電波・制御の基礎知識と「ほのるる丸」の航海計器実務が役立った。

あっと言う間に流れ去った2年間、しかし、いつの間にか奨学金と学費減額(テキサス州税納税者になったから)、学内のブックセンターで購入する書籍の教職員割引、おまけに研究室も与えられた。当然、英語も身に付いていた。当初の目標=修士号を取得したので、博士課程に進みさらに学びたい教科(コンピューター関係)を履修しながら余裕あるアメリカ生活をエンジョイした。

ここで忘れてはいけないことだが、大学の教職員、留学生相談役、ホスト・ファミリーたちの役割は大きかった。彼らの存在でアメリカ社会との交流(地域イベント、音楽;ルイ・アームストロング、芸術、ボランティア活動、テキサス魂、メキシコ旅行etc.)が深まり、貴重な経験に今も感謝している・・・学問以外の学びも大きかった。

UH卒業のもう一つの副産物は「日本食離れ」だった。自炊をしなかったので日本食への未練がなくなった。その後、世界のどこに行ってもその地の食べ物をエンジョイできるようになった。ただし、納豆とパクチー(香菜)だけは今も受け付けない。

◇UHの卒業式風景
下の写真は、日本から参列した義兄が撮影したヒューストン大学(University of Houston 略称UH)の卒業式である。8月の卒業生は大勢になるため、式典は屋外で夕方から遅くまで続いた。ちなみに、ガウンの襟幅と色は昔からの決まり、水色は教育学、筆者のオレンジ色は工学の色だと教えられた。後方の学士たちは襟飾りなしのガウンだった。【参考:UHのアカデミック・ドレス⇒Academic Dress in the United States、ENCYCLOPEDIA

          卒業直前の筆者(右端)
          
          (筆者の義兄撮影、1968/8)

この写真を見るたびに思い出すが当時は$1=¥360の時代、日本はある意味では途上国だった。そのため、学費と生活費に必要なドルの送金には申請が必要だった。大学が在学証明を発行→日本に郵送→母がドル送金申請書に在学証明書を添付→都市銀行→審査&ドル送金というプロセスだった。

大学の事務局女性は筆者の顔を見るといつも“Letter of Good Standing?”と声を掛けてくれた。To Whom It May Concern(関係各位殿)で始まるLetter of Good Standing(順調な状態を証明する書状=在学証明書)が必要か?という意味だった。ちなみに、この大学で“Good Standing”は“学業を続けるにふさわしい良好な状態(学業成績だけではなく私生活と交友関係も含む状態が健全)”を意味することだと教えられた。

          UHTV(ジャーナリズム学部のTV局)から卒業式を市内にLive放映
          
          (筆者の義兄撮影、1968/8)

現在、UHTV(ヒューストン大学テレビ)はいろいろな授業を一般視聴者向けに放送している。筆者もUHキャンパス内のヒルトン・ホテル(ホテル・レストラン管理学部、UH直営)に泊まる時は、深夜まで文学や歴史の授業放送を楽しんでいる。

          この夜、新しい世界がスタートした(1968/8/23)
          
          (筆者の義兄撮影、1968/8)

今回で「グローバル化への準備---英語と他の言語」を終了。次回は、京都旅行でブログは休み、6月から「新緑の京都」に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---英語と他の言語(12):生産的思考

2013-04-25 | ビジネスの世界
英語と他の言語(11)から続く。

前回は、中学・高校レベルの数学の知識を前提に、日米両語で数式の読み方を紹介した。これで、簡単な数式が読めないという日本人の弱点を補強した。

次に問題になるのは、中身である。英語で数式の読み書きができるが、もし中身がお粗末であれば「TOEFLやTOEICはできるが、肝心の仕事ができない」ことの証し、これではビジネスの世界で胸を張って歩けない。

このことは、数学の問題だけでなく、コンピューター・プログラムや理路整然とした文章の作成といった分野にも当てはまる。

まず、数学的な思考過程を、下のヴェルトハイマーの問題【注1】で考える。

               ヴェルトハイマーの問題
               

上の図は、正方形ABCDと、その上に横たわる帯状の平行四辺形EAFCの面積の和を求めるという問題である。
【注1:ヴェルトハイマー(M. Wertheimer, 1880-1943)はドイツのゲシタルト学派の心理学者で生産的思考(Productive Thinking)を提唱(1920年)。代表的な推論形式である三段論法では、第三段の結論は、第一段の大前提に含まれているものの反復にすぎず、何ら新しい認識を示さないと指摘した。三段論法に対して、生産的思考の結論では、前提とは異なった新しいものが生産されると説いた。上の図は、数学的推理の際にも生産的思考が営まれる例として使われた。】

ここで、ヴェルトハイマーの議論から外れるが、筆者はこの問題を使って次の実験を試みた。場所はアメリカのある大学、その図書館から出てくる人にこの問題を解いてもらった。一種のランダム・サンプリング、一人が終われば、次に出てくる人にお願いした。

男女年齢学歴国籍が異なる十数人の回答から、さまざまな考え方があることが分かった。また、皆さんが非常に協力的で嬉しかった。

回答の幾つかを要約すると次のようになる。
1)正方形ABCDの面積(a*a)+平行四辺形EAFCの面積((b-a)*a)=a*b 2)三角形EBCの面積+三角形ADFの面積=a*b/2+a*b/2=a*b 3)三角形EBCを下に平行移動して長方形ADFBに変形、その面積=a*b 4)小三角形EAD’【注2】と小三角形FCB’などと図を細かく分解し・・・。
【注2:D’は線分ADとECの交点、B’は線分BCとAFの交点。D’とB’は原題(上の図)には示されていない。】

問題に直面して、次々と考えを巡らして解決に向かう推論過程(思考)は興味深い。すべての人がa*bに到達したが、それぞれの回答から推論過程を分析した。推論過程が最も短いのは、「平行移動」→「a*b」、長いのは、「正方形ABCDの面積=a*a」→「小三角形のAD’の計算」→「b:a=(b-a):AD’」→「AD’の計算」→・・・など、さまざまだった。しかし、問題の処理スピードの点では、推論過程が短いほど効率的な方法といえる。ちなみに、この実験は教育訓練と効果測定という分野に発展させたが、ここでは詳細は省略する。

一つの問題に対して多様な解決方法があることは、コンピューター・プログラムの書き方にも言えることである。一つの問題を解くとき、短いプログラムで目的を果たす人、長いプログラムを書く人、考え方を整理せず、思い付くままに書き進み、そのうち迷路に入りいつまでもプログラムを完成できない人など、さまざまである。一般に、プログラムが短いほど単純明快で処理スピードが速く、ミスも少ない。

幸い、コンピューター・プログラムの場合は、パフォーマンスに問題があれば最適化手法で改善できる。したがって、事前にプログラミングの注意事項を初心者に教えれば、効率の悪いプログラムは避けられる。さらに、プログラムのロジックをフロー・チャート化すれば、理路整然とした分かり易いプログラムを作成できる。

話は変わるが、ビジネス文書の作成でも、コンピューター・プログラムと同じように、簡潔で分かり易い文章が求められる。当然、ビジネスの相手は世界の人々である。風俗習慣や言語の違いを超えた思考の共通ルール、それは人類共有の論理学、その論理で組み立てた考え方はどこの世界にも通用する。

世界共通の論理の具体例は、演繹法や帰納法、三段論法、ブール理論(真偽表)、確率論などである。これらの論理は、数学・電子工学・統計学などの理論と深い関係にあり、一見難しそうだが、中学・高校レベルの知識で十分に説明できる。さらに、頭の中にある考え方をフロー・チャートに変換すれば、意外に短時間で理路整然とした中身に整理できる。

ここで大切なことは、頭の中の考え方を論理的な文章に組み立てる。この作業はまず母語でマスターすべきである。母語で身に付けた文章力は、外国語にも利用できるので応用範囲が広くなる。

次回の(3)語学の学習に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---英語と他の言語(11):数学と英語教育

2013-04-10 | ビジネスの世界
英語と他の言語(10)から続く。

2)世界共通の理論と言語
このブログの2013-01-25で、『国語=文学、という不思議』を紹介した(参照:「横書き文章読本」高橋昭男著、日経BP出版センター、1994年)。確かに、高校や大学の国語では日本文学、英語やフランス語では英米や仏文学の授業が中心だった。また、高校では論理的な日本語や英語の作文方法を学んだ記憶がない。

高校などで、アメリカの作家の作品を学ぶとき、その教材には日本語と英語の語学的な違いと学習者(日本人)と作家(アメリカ人)の考え方の違いが含まれている。それらは裏腹の関係にあり、語学的な違いと考え方の違いのどちらが、英語を難しくしているのかが分らなかった。その結果、日本語にない表現や言いまわしを丸暗記することになった。

このような混乱を避けるために、筆者はかねてから、易しい数学の教科書で英語を学ぶ方が効果的だと考えている。たとえば、数学の教科書(英語)で英語を学ぶことを考える。

初歩的な数学は世界の常識、その考え方やルールは日本人やアメリカ人に共通である。したがって、日本人とアメリカ人の考え方の違いは大まかに相殺され、英語の教材には日本語と英語の言語上の違いが浮き彫りになってくる。その違いをよく理解すれば、英語という言語がよく分かる。

下の図は簡単な一次関数と二次関数である。式(1)は直線、式(2)は二次曲線である。これらの数式は日米共通であるが、日本語と英語の読み方には違いがある。(以下、“読み方”または“言い方”をまとめて簡単に“読み方”という。)

          一次式の例
          
式(1)の読み方:
日本語=ワイ は に(2)エックス マイナス さん(3) に等しい。
 また、上の日本語を、“ワイ イコール にエックス マイナス さん”と読むこともできる。
英 語=Y equals two times x minus three.
 また、上の英語の"equals"の代わりに"is equal to"と読むこともできる。

          二次関数の例
          
式(2)の読み方:
日本語=エフエックス は エイエックス2乗 プラス ビーエックス プラス シー に等しい。
英 語=F of x equals a times x squared plus b times x plus c.

また、"f(x)"を"Function of x"(xの関数)と丁寧に読む人もいるが、一般に、"f of x" と読む。もし、s(x)でsがxの関数であれば、"function, s of x"と読む。また、"x squared"の代わりに"x to the second power"と読む人もいる。

ついでながら、数式でよく見かける下の図のような文字は、左から順に次のように読む。

          簡略化した読み方の例
          
日本語=ビー分のエイ、エイアイ(ai)、エイアイ(ai)・・・下付きと上付きの添え字は、一般に区別しない。
英語=a over b (エイオーバービー)、a sub i (エイサブアイ)、a super i (エイスーパーアイ) ・・・"a over b"の代わりに"a divided by b"でも良い、sub(サブ)はsubscript(サブスクリプト)の略、super(スーパー)はsuperscript(スーパースクリプト)の略、通常は、subとsuperのように略語で読む。

上の式(1)と(2)ともに、日本語と英語の読み方に多少の違いがあるが、文章の構造はほぼ同じである。その理由は、数学の記号(文字)と数式の書き方(一種の文法)は、日本語と英語の文法より優先するからである。その結果、式(1)と(2)の日本語と英語の読み方の違いは、主に両国語の言語上の違いといえる。

また、式(1)と(2)を生成するときには、言いたいことを一度日本語で考えるというステップを踏まず、いきなり数学の共通語(英語)で数式を書き始める。ただし、昔は日本語と数学の共通語にギャップがあったので、たぶん漱石の「坊ちゃん」や「山嵐」は、幾何学の式ではまず正弦や余弦を頭に浮かべて、次にこれらの単語をSineやCosineに変換して、黒板にSin θとかCos θと書いていたと思う。しかし、今では正弦や余弦は死語に近いので、いきなりSineとCosineという言葉を書き始める。

さらに、式(1)のxは独立変数、yは従属変数、aとbは定数と日本人もアメリカ人も認識する。しかし、言語の上では、独立変数:independent variable、従属変数:dependent variable、定数:constantの違いになる。これらの違いは、日本語と英語の直訳で片付く問題であり、厄介な意訳をするまでもない。

以上のとおり数式の生成では、日米の発想に大きな違いはないといったが、風俗習慣に起因する違いもあると断っておく。たとえば、ものの数を数えるとき、日本では正の字を使い、欧米やタイでは、下の図の下段のようにスラッシュ(/)を並べて数える。

          カウントの違い
         

ここで言いたいことは、英語教育では文学作品やエッセイだけでなく、初歩的な数学も教えることを提案する。それは単に数学と英語の力を付けるにとどまらず、英語で論理を組み立てる訓練にもなる。

この項は、次回の英語と他の言語(12)に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---英語と他の言語(10):地球上の言語と文字の種類

2013-03-25 | ビジネスの世界
英語と他の言語(9)から続く。

(7)言語教育の在り方
船乗りとして海外に船出して以来、今日まで多くの国のことばに接してきた。ことばは、その地の風俗習慣、人々の日々の生活そのものである。南の国や北の国の街並みとそこを行き交う人々、通りを流れる食べ物の匂い、人々の話し声や呼び声にその国を感じる。

毎日、当たり前のように使っていることばだが、ふと考えると、言語に関する多くの知識が欠落していることに気付く。なんとなく分かっているようで何も知らない、もう少し勉強しておけば良かったと今になっていろいろな思いが浮かんでくる。そこで、その思いを、1)世界の言語とコミュニケーション、2)世界共通の理論と言語、3)言語の生涯教育の3つの項目にまとめた。

1)世界の言語とコミュニケーション
人類の歴史は、おおよそ400万年と言われている。約400万年前の類人猿は、約50万年前のジャワ原人、約20万年前のネアンデルタール人、約3万年前のクロマニヨン人などへと進化を重ねた。その進化の過程は、高校の世界史に説明がある。

クロマニヨン人は、現代人とほぼ同じ体格、大脳の容積も約1,500cc(ゴリラは約500cc)、彼らは現代人の祖先といわれている。この頃には、人類の特徴としての二足歩行、火の使用、道具の制作、言語の使用はもちろん、死者の埋葬も行われていたという。

現代人の祖先たちは、約1万年前に採集・狩猟から農耕・牧畜社会に移行し、生活が安定し始めた。衣食住の安定と共に、文化的な活動をする余裕も生まれたと容易に想像できる。

文化的な活動の基本はことばと文字であるが、文献によれば、絵文字や楔形文字の歴史はせいぜい5,000年程度と比較的新しい。文字より先に発達したと思われる言語については、記録がないのでハッキリしない。

現在、この地球上の存在する言語の数は、5,000から7,000と言われているが、正確な数を把握できないのが現状である。しかし、これらの言語はインド・ヨーロッパ語族、ウラル語族、セム語族など、20~30の語族に分類できるとのこと、その作業は現在進行中である。

一方、それらの言語が使用する文字の種類は意外に少ない。中西印刷株式会社の「世界の文字」によれば、現用文字は28種類、歴史的文字は98種類とある。たとえば、ラテン文字の現用(現在の使用地域)は「ほぼ全世界」とある。日本文字は当用漢字・ヒラガナ・カタカナの混合体で現用は「日本」となっている。しかし、文字の分布と流れはコンピューター・ネットワークによる情報流で大きく変化していくと考える。

ここまでは人間同士の言語、いわゆる言語学(人文科学)の話だったが、今後は人間と機械のコミュニケーションや新しいタイプの翻訳ソフトも考えなければならない。これは、言語学が人文科学から科学技術の領域に進展することを意味している。

すでに、人類は1950年代からコンピューター言語を開発し、今やその数は200以上になっている(このブログ、2011-06-04参照)。この間に、文字コード体系も多くの言語に対応し、多言語データベースも実現した。これらの機械語(Machine Language)は、人工知能を介して人間とロボットやロボット同士あるいは人間と動物との間を取り持つ高度な翻訳ソフトに進展すると思われる。

現代人の言語と文字の系譜と今後の動向を、「世界の言語とコミュニケーション」として分かり易く解説する科目が義務教育に必要と考える。その内容は、従来の人文科学にとどまらず、コンピューターと通信技術の領域にも踏み込む科目であり、グローバル化に向かう日本人にとっては必須知識である。

次回の2)世界共通の理論と言語に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---英語と他の言語(9):文体(Style of Language)

2013-03-10 | ビジネスの世界
英語と他の言語(8)から続く。

4)文体(Style of Language)
文体には「だ・である調」と「です・ます調」がある。ビジネス文書では、「である調」が一般的であるが、「です調」や「ます調」でも問題はない。しかし、「である調」と「ます調」など、文体の混交は避けるべきである。

英語では「だ・である調」や「です・ます調」に該当する文体はない。手紙やビジネス文書や論文は、日本の学校で教わる普通の文体で書けばよい。しかし、使い古された表現や話し言葉のような文章は良くない。何よりも、自分の言葉(Original Thought)が大切だと教えられた。これは、日本語の作文でも同じである。

文体とは直接の関係はないが、日本語の敬語・謙譲語・丁寧語は難しい。また、人称代名詞の使い方も複雑である。しかも、人代名詞の主語を省くので文章が曖昧になる。何事も曖昧に、丸く収めるのが日本流かも知れないが、主語のない文章は外国語への翻訳が難しい。

5)内容(Content)
すでにこのブログのあちこちで触れたが、ここに作文やビジネス文書に当てはまるルールを再整理する。なお、このルールは日本語と英語に共通である。
◇パラグラフ
作文は幾つかのパラグラフ(段落)から成り立っている。それぞれのパラグラフは、一つの主題文(Topic Sentence)と幾つかの支持文(Supporting Sentence)から成り立っている。しかし、主題文だけで、支持文がないパラグラフもある。

◇主題文と支持文
主題文は、そのパラグラフの主題となる文章である。一つのパラグラフには、主題文は一つだけである。

支持文は、主題文の内容をサポート(支持、支援、裏付け、説明など)する文章である。支持文と主題文の順序は自由である。

◇率直な表現
主題文と支持文は、それぞれ「。(句点)」で終わる文章である。平易で分かり易い文章を心掛ける。つまり、Straightforward(真っすぐな、率直な、複雑でない、簡単な)で、Ambiguous(曖昧な、両義にとれる、多義の)言葉使いを避ける。StraightforwardでUnambiguousな表現は、日本の流儀に反するかも知れないが、ビジネスでは必要と割り切る。

◇短文
文章はできるだけ短くする。説明の重複や無駄な美辞麗句、不必要な丁寧語・敬語は排除する。古今東西、短文の名文は多い。

繰り返しになるが、アメリカでは32語以上の長文はダメと教えられた。日本語では、筆者の独断であるが、80文字以上の長文を書かないように注意している。

ここで、パラグラフの中身を例文で説明する。

【例1:三段論法を説明する1つのパラグラフ】
三段論法は、大前提と小前提と結論から成り立つ。たとえば、すべての政治家はウソつきである(大前提)。すべての首相は政治家である(小前提)。すべての首相はウソつきである(結論)といった論法である。ただし、三段論法の大前提と小前提の真偽を確かめないと結論を誤る。

解説:
上の文章は一つのパラグラフである。その中身は、1つの主題文と4つの支持文から成り立っている。
主題文=三段論法は、大前提と小前提と結論から成り立つ。
支持文1=たとえば、すべての政治家はウソつきである(大前提)。
支持文2=すべての首相は政治家である(小前提)。
支持文3=すべての首相はウソつきである(結論)といった論法である。
支持文4=ただし、三段論法の大前提と小前提の真偽を確かめないと結論を誤る。

【例2:三段論法を説明する3つのパラグラフ】
パラグラフ1=大前提を説明する1つの主題文+いくつかの支持文
パラグラフ2=小前提を説明する1つの主題文+いくつかの支持文
パラグラフ3=結論を説明する1つの主題文+いくつかの支持文

パラグラフ1~3の具体例は、長くなるのでここでは省略する。もし、支持文をさらに詳しく説明したいときは、支持文を主題文とするパラグラフを加えて説明する。

最後に、オー・ヘンリー(O. Henry:1862-1910)の短編小説"The Last Leaf"(最後の一葉、1907年)からパラグラフを引用して、主題文と支持文の関係を説明する。

【例3:The Last Leaf】
背景:
安い家賃(Low Rents)を求めて芸術家たちが集まるNYのグリニッジ・ビレッジの物語

登場人物
スーとジョンシー:
彼女たちは画家の卵で共同アトリエに住んでいる。二人の芸術、食べ物、着るものの趣味がso congenial that the joint studio resulted.

ジョンシーは重い肺炎にかかり、スーが看病している。ジョンシーは、窓の向かいのツタの葉がすべて散るときに自分も死ぬと決め込み、残りの葉の数を逆算している。The lonesomest thing in all the world is a soul when it is making ready to go on its mysterious, far journey.(世の中で最も寂しいものは、あの世に旅立つ準備を始めた心である。)

ベールマン:
40年も絵筆を振るうが、未だに傑作を描けない酒好きのドイツ系老画家。プロのモデルを雇えない若い芸術家から僅かなモデル料を得て家賃が安い地階で暮らしている。

パラグラフの引用:
・・・(前のパラグラフ)・・・.
 She arranged her board and began a pen-and-ink drawing to illustrate a magazine story. Young artists must pave their way to Art by drawing pictures for magazine stories that young authors write to pave their way to Literature.
 ・・・(次のパラグラフ)・・・

解説:
主題文=She arranged ・・・ a magazine story. (She=Sue、看病の合間に挿絵の仕事を始めた。)
支持文=Young artists ・・・way to Literature. (SueはYoung artistsの一人)

支持文は、芸術や文学の極致を目指して修業する芸術家や作家の卵の生活を上手く表現している。画家と作家の関係を関係代名詞(that)で効率よく24語の一文に収めている。

・・・(前のパラグラフ)・・・.
 The ivy leaf was still there.
 ・・・(次のパラグラフ)・・・

解説:
主題文=The ivy ・・・still there.
支持文=なし。主題文だけで改行して、次のパラグラフに移る。文章が1つだけのパラグラフは、読者に強い印象を与える。

ツタの最後の一葉は風雨に耐えてあの場所に残っていた。それもその筈、あの一葉は、夜の内にベールマンが建物の壁に描いたものだった。

ジョンシーは、いつまでも散らない最後の一葉に勇気付けられて肺炎が快方に向かった。他方、夜の冷たい風雨に打たれたベールマンは、急性肺炎で2日後に息を引きとった。ジョンシーに生きる気力を与えたあの壁のツタの葉は、彼の傑作(Masterpiece)だった。

次回は、言語教育の在り方に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---英語と他の言語(8):文章の形式(Form)

2013-02-25 | ビジネスの世界
英語と他の言語(7)から続く。

3)形式(Form)
文書の形式には、基本的な形としてブロック形式(Block Form)とインデント形式(Indent Form)がある。この2つの形式は、横書きの日本語、英語、その他の外国語の形式である。また、縦書きの日本語は、ほとんどがインデント形式であるが、ブロック形式の縦書きもある。

下の図は、横書きのブロック形式のサンプルである。このサンプルの言語は日本語であるが、英語や他の言語でもかまわない。このブログも典型的なブロック形式である。

 ブロック形式
 

ブロック形式の特徴は、パラグラフ(段落)の最初の文字を左詰めで書き始める。1つのパラグラフが終われば、空白行を1行入れて、次のパラグラフを左詰めで書き始める。

ブロック形式では、パラグラフとパラグラフを1行の空白行で分離するので文章は読み易くなるが、空白行の数だけ紙/画面スペースが増える。

縦書きの日本語のブロック形式では、パラグラフの最初の文字を字下げなしで書き始める。最初のパラグラフを書き終えたとき、空白行を1行入れて、次のパラグラフを字下げなしで書き始める。この要領は横書きと同じである。

次に、インデント形式を説明する。下の図は日本語の横書きのサンプルである。

 インデント形式
 

日本語の横書きの場合は、パラグラフの最初の文字を1文字右にずらせて書き始める。パラグラフが終われば、改行して次のパラグラフを1文字右にずらせて書き始める。パラグラフとパラグラフの間には空白行を入れないが、パラグラフの先頭文字が1文字右にずれているので新しいパラグラフを識別できる。日本語のインデント形式で、1文字だけ右にずらせるのは、原稿用紙の1枡からきていると思う。これに対して、英語の場合は、パラグラフの書き出しを3~5文字右にずらせるのが一般的である。

縦書きの日本語では、パラグラフの最初の文字を1文字だけ字下げして書き始める。パラグラフの終りで改行し、空白行なしで次のパラグラフを1文字だけ字下げして書き始める。パラグラフとパラグラフの区別は1文字の字下げで識別する。

インデント形式では、横書きと縦書きともにパラグラフの間に空白行を入れないので紙面は少なくなる。

以上、ブロック形式とインデント形式の基本形を説明した。実際には、インターネット上のニュース(日本語)のように、インデント形式でもパラグラフとパラグラフの間に空白行を挿入するケースもある。

ブロック形式とインデント形式ともに昔からの形式である。しかし、筆者の記憶では、80年代までは英文レターや日本語のビジネスレターでは、日付や差出人やレター本文もインデント形式だった。

80年代の後半に、アメリカのロータス・デベロップメント社がcc:mail(carbon copy:mail、シーシーメール)を発表した。このメールソフトは、国際通信ネットワークの普及と共にまたたく間に世界に広まった(しかし、日本語版はなかったと思う)。このソフトは、後のグループウェアの先駆けだった。

90年代初頭には、代表的な電子メールとして世界に定着したcc:mailは、ビジネスレターのカーボン紙を不要にした。同時に、従来の紙ベースのレターの形式にも影響した。

タイプライターによるビジネスレターでは、日付は用紙の右上、宛先は左上、件名は中央、結語と差出人署名は右下だった。この作業は、タイピストにとっては簡単な操作だが、紙を意識しない電子メールでは、右上や右下あるいは中央といってもその位置決めは難しいことだった。たとえば、レターサイズの紙を縦置きでプリントすれば日付が右上であっても、横置きの紙では中央になる。

そこで、cc:mailでは、From(差出人)、To(宛先)、CC(カーボンコピー)、Subject(件名)、Date(日時)はすべて左詰めになった。やがて、この形式は紙ベースのビジネスレターでも一般的な形式になり、結語(Regardsなど、日本では“以上”が多い)や氏名を左詰めで書く人が多くなった。また、レター本文も簡潔なブロック形式が多くなった。

次に、見出しと項目の番号の付け方を説明する。

一般の作文では、題目があれば見出しや項分けは必要でない。しかし、ビジネス文書や論文では、見出しや項目で文書の内容を分かり易くする必要がある。

下の図は、見出し(Heading)と項目(Item)のナンバリングのサンプルである。見出しと項目の違いは曖昧であるが、見出しは目次に書き出す大まかなもの、項目は見出しをさらに細かく分解したものといえる。

ここで説明する横書きのナンバリング方法はアメリカ式のため、縦書きの日本語には通用しないので注意されたい。

 見出しと項目の番号
 

上の図に示すように、見出しの一番左の位置をレベル1と呼び、右に向かってレベル2、レベル3・・・と呼ぶ。

レベル1の見出しは、見出し番号+.(ピリオド)+見出しの順序で書く。(例:1.背景、2.調査の範囲と・・・)。レベル2以降は、.(ピリオド)の代りに1スペース(1空白)を入れて見出しを書く(例:2.1 範囲、2.1.1 見出し)。

次に、見出しの下のレベルに現れる項目のナンバリングは、(1)、(2)、(3)・・・のように丸括弧の中の番号で項目を分ける。さらに、丸括弧の下のレベルの項目には、1)、2)、3)・・・のように片括弧の数字でナンバリングをする。

図には例示しなかったが、片括弧より下のレベルでは、項目の前に□や○などの記号を付けて識別する。Wordの箇条書きの行頭記号と同じイメージである。

最後に、図表番号の取り方を説明する。

ビジネス文書や論文などでは、図(FigureまたはFig.)や表(Table)を参照する。下の図は、図表番号のサンプルである。図番号と表番号は別々に採番する。図表番号+1スペース(1空白)+図表の名称を書き、全体にアンダーラインを付ける。図か表かの判断に迷えば、図とすれば無難である。

 図表番号
 

図と表がそれぞれ10件以下であれば、図番号と表番号はそれぞれ単純な1桁の連番で良い(例:図1、図2、図3・・・)。10件以内であれば、後で図表の追加/削除しても、大きな作業にならない。

図表が多い場合は、上のサンプルのようにレベル1の見出し番号と枝番で図表を管理する。見出し番号と枝番で管理すれば、図表の追加/削除に伴う他の図表番号の変更は、レベル1の見出し番号の枝番の変更だけで済む。したがって、変更作業を少なく抑えることができる。たとえば、図2-3を追加すれば、旧番号の図2-3を図2-4に変更、最後の図番まで番号を1つずつ繰り下げる。この変更は、他の見出し番号の図1-XXや図3-XXなどには波及しない。もし、図表番号が単純な連番であれば、変更作業は大きくなり、変更ミスが起りやすくなる。

図表の採番方法、注意点、論文への図表添付法を専門教科「線形計画法(Linear Programming)」の授業で教わった。後の実社会で役立ったので、今も”gonna”が口癖だったあの先生をよく覚えている。

ここで余談になるが、1990年代初頭からビジネス環境も大きく変わり始めた。仕事のチーム・メンバーも多国籍、たとえば、ドイツ人は小数点をコンマ(,)で表す習慣があった。文書管理をサーバーで一元管理するためにはサーバー(Document Server:各国とon-line接続)の運用ルール、仕事のやり方や成果物(文書)の標準化も必要になった。また、文書サーバーの管理では、文書のバージョン、機密(Authorization)、保管(Archive)を管理する専門家(常駐)のサービスも利用した。

テレワークの参考だが、タスク・フォースの仕事では、オンライン・ネットワーク+標準化+気心の知れたチーム・ワークがGood Jobを生み出す。(例:米英蘇独濠日の十数人が在宅(在国?)勤務+SFOで全員参加の月例打合せabt1wk、夜は3,4人がレンタ・カーで食事、誰かが輪番で食事代を負担、スコットランド人は時どき美人の奥さん同伴、楽しい、スーパーで安売りがあると皆とレンタ・カーで駆け付けた。街のあちこちに思い出は尽きない。)

文書管理においては、用語の統一はもちろん、文章の形式(Form)、レベル展開、項目のナンバリングのルール、図表番号の取り方など多くのルールを決める必要があった。当時、ルール決めでよくMilitary Standard(通称Mil Std:アメリカ軍の標準規格)を参考にした。なお、文章と段落(パラグラフ)の関係については、次の説明を参照されたい。

【参考2:文章の構造
 文章の構造は次のとおりである。この構造を理解すれば、文章の論理展開が容易になる。 
◇作文(Composition)=一つまたは複数の段落(Paragraph)で構成
◇段落=一つの主題文(Topic Sentence)と複数の支持文(Supporting Sentence)で構成
 ただし、支持文なしで主題文だけの段落もOK
 例:ここに赤いバラの花がある。(←主題文)このバラは今朝庭の花壇で見つけた。(←支持文)・・・
◇段落の並べ方を工夫して「三段論法」「演繹法」「帰納法」「起承転結」などを展開
◇文(Sentence)の要件=短く(32 Words以下)、簡潔(Straightforward)、曖昧でない(Unambiguous)・・・簡潔で多義にとれないSentenceが良い。

以上は、筆者がアメリカの大学で受けた「作文」の基礎教育・・・必須の実習科目(Lab)だった。(留学生を対象にする英語教育ではなかった。)

また参考だが、日本の国語学者(複数)によると、日本の国語教育に問題があるとの指摘がある。【「グローバル化への準備---英語と他の言語(5)2013-01-10」 の1)国語教育の現状を参照されたい。】

筆者も欧米人との比較で日本ビジネスマンの作文下手を痛感した。特に、コンピューター関係ではドキュメンテーション(文書化)が重要である。読んで分かる文書であれば、他言語への自動翻訳でも翻訳精度が向上する。効率的な国際ビジネスには国語教育が大切と国語の先生たちに認識していただきたい。

次回は、4)文体に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---英語と他の言語(7):Mechanics of Writing

2013-02-10 | ビジネスの世界
グローバル化への準備---英語と他の言語(6)から続く。

(6)作文のキーポイント
ここでは、筆者が今日まで実践してきた作文(Writing)のキーポイントを、
   1)構造(Mechanics of Writing)
   2)用語(Terminology)
   3)形式(Form)
   4)文体((Style of Language)
   5)内容(Content)
に分けて説明する。

この方法は、60年代にアメリカで受けた教育に、日米の民間企業や国際機関の経験を加味したものである。この説明は、一般的な文章から技術的な論文やシステム設計書の作文を対象にしている。また、個人の作文から複数の人が共同で仕上げる文書にも当てはまる。

1)構造(Mechanics of Writing)
何かを書こうとするとき、まず、文章の論理的な構造(メカニックス)を考える。自分が思うことをどのように表現するか、どのように論理的に展開するかと考える。

参考だが、この段階を機械やシステムの場合では構想設計または概要設計と言う。この構想設計が甘いと後々設計変更が必要になり、結果として駄作になるケースが多い。同様に、小説、詩歌、絵画などでも、最初の構想が大切だと思う。

最も一般的な文章の構造は、起承転結である。言い換えれば、文章の展開順序であり、起承転結の他にも、結論から書き出す方法、演繹法や帰納法、あるいは気の向くままに書く方法などがある。

この段階では、書く順序を下に例示するような目次案にまとめる。もちろん、1000字程度(日本語)の個人的な作文では、目次案などと言う大げさものでなく、構想は頭の中だけで済ませる。しかし、長文やビジネス文書の場合は、目次案は必須である。メモでもいいから、必ず紙に書き出し、チェックすることをお勧めする。下の例はビジネス文書の目次案、文書が完成したとき右側にページ番号を入れる。

 目次案
 

目次案の内容を検討するとき、たとえば起承転結をフローチャート(流れ図)に展開する。フローチャートの上で、作文の順序をあれこれと考えて、目次案を最終化する。これはコンピューターシステムの概要設計と同じ手法である。

実際のフローチャートでは、目次案の見出しだけでなく、見出しの中身を複数のキーワードに分解する。
たとえば:
  見出し=「背景」
  「背景」のキーワード=「調査の目的」「現場ヒアリング」「将来への対応」「期待効果」・・・
  「背景」をキーワードに分解して、中身をより明確にした。

作文では、一つのキーワードを一つの主題文(Topic Sentence)として、その主題文を複数の支持文で説明して一つのパラグラフを作る。ここでは、キーワードは省略するが、アメリカの作文教室では、キーワードを含むフローチャートを手書きで作成し、先生に説明し、添削とアドバイスを受けた。

この段階で作文の粗筋が見えるので、全体のページ数も推定できる。2~3人で報告書を書くときに、個人々々があれこれ悩むより、この方法で驚くほど速く文書が完成する。

2)用語(Terminology)
作文においては、使用する単語や言葉の用法に一貫性がなければ全体が支離滅裂になる。また、読者も混乱する。特に、複数の人が一つの文書を作成するときには用語の統一は必須になる。もし、外国語への翻訳が必要な文書の場合は、用語の統一で自動翻訳の精度も向上し、手間とコストを削減できる。

用語の統一は、国レベルでも実施している。たとえば、日本語では「公用文における漢字使用等に関する実施要領」(平成22年)の別紙は、「次のような代名詞は,原則として,漢字で書く。例 俺 彼 誰 何 僕 私 我々・・・」などと用語と書き方を示している。

アメリカでは、「用語と章立てのルール」として、Mil Spec(ミルスペック:Military Specifications and Standards:軍用規格)を利用する方法もある。また、国内外の民間企業や自治体には、独自の文書作成基準やルールがある。

ある地方自治体は、お役所の固い表現を平易な言葉に変えていた。
慣用語の平易化(1980年代後半頃の例)
一環として → 一つとして、忌たんのない → 率直な、追って → 後日、既定の → 定められた、かかる → このような、懸念 → 恐れ 心配、格段の → 特別の、幸甚に存じます → 幸いです、所存であります → 考えです、講ずる → 実行する 行う、所定の → 決められた、ご臨席 → ご出席・・・

ここで、用語に関する余談になるが、国連の専門機関での仕事始めは言葉合わせだった。

専門機関では欠員に応じて専門職を適宜任用するが、専門語は必ずしも世界共通ではない。たとえば、Technical Feasibility(技術的に実現できるかどうか)、Operational Feasibility(人が運用できるかどうか)、Economic Feasibility(経済的に成り立つかどうか)の意味が新任の専門職と国連の定義に違いがないことをチェックした。これは、いわゆる言葉合わせだった。

また、グローバルシステムの開発では、各国各社の参加者の用語を英語に統一、アメリカ本社の文書管理サーバーで集中管理した。日本ではあまり一般的な仕事ではないが、文書管理の専門家が内容や改訂版や機密を管理した。

用語統一の一部だが、日付時間の書き方、通貨の書き方(Yenか¥など)、計量単位のメートル法系への統一、英語句読法への統一やイギリス英語とアメリカ英語の違いをアメリカ流に統一した。

また、ドイツでは小数点の代わりにコンマを書くので、他の国では千の単位と間違う。そこで、小数点はピリオドに統一した。さらに、フィートポンド法のメートル法への統一も厄介な問題だった。プロジェクトではメートル法に統一したが、外部の組織と関連する問題は統一できなかった。この問題は、現在も国家レベルでは統一されていない。度量衡の統一は、法律、技術、経済、運輸などあらゆる分野に影響する大きな問題である。

さらに、コンピューターの文字コード(シフトJISなど)もユニ・コード(Unicode)で多くの文字を表現できるようになった。90年代初頭のキーボードには¥サインが存在しなかった。このような個々の問題に触れると切りがないので、ここでは省略するが、グローバル化には根の深い問題があちこちに潜在する。

用語統一の最後に、日本のグローバル企業の用語管理で気掛りなことを一言付け加えて置く。

このブログの2012-01-09で説明した基礎情報の英語化は進んでいない。それは、社内用語や業務規定や技術基準などの英語化とそのメンテナンスのことである。この作業には、人材確保とコストが必要で、片手間の仕事では片づかない。しかも、一企業だけの努力には限界があり、国家の基盤整備と連動すべき、水面下の氷山のような大きな問題である。

とりわけ、企業の基礎情報の英語版はグローバルな活動の土台である。その土台作りには、不断の努力が必要である。もし、世の表面的な流れに気をとられて、この土台固めとメンテナンスを看過すると、華々しい海外展開が砂上の楼閣に転じる恐れもある。

1960年頃、日本食を洋食器に盛り付け、ナイフとフォークで食し、本船(自分の船)は洋食であると言う新参外航船(外国航路に新規参入した内航船)があった。しかし、洋食には船内でのスープ作りとパン焼きが基本、厨房関係者は定期的にホテルで研修を受けた。たかが貨物船とはいえ、ほのるる丸の食事は仕事で来船するヨーロッパの人々にも通用した。ただ洋食器に盛り付けただけの日本食と同様、表面だけの英語化=グローバル化と誤解してはいけない。

次回、3)形式に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---英語と他の言語(6)

2013-01-25 | ビジネスの世界
前回の英語と他の言語(5)から続く。

5.「学生と社会人のための文章読本」倉田 稔、丘書房、1994年10月
引用文:
 「パラグラフ(=文節、分段)を作ると、読者が読みやすく、要点をつかみやすくなる。
 パラグラフ、つまり段落をつけること、改行することは、日本人は意識していないらしい。日本語論者がよく言う指摘である。だいぶ長くなったから、そろそろ改行しようか、と普通の日本人は考えるという。、、、パラグラフの意義の重大さは、アメリカの大学ではしっかり教えているという。
 さて、パラグラフを作らないと、作品にメリハリがなくなる。その上、読者はくたびれてしまうのである。
 パラグラフで文を切るのは:
 1、次の主題に移るとき、
 2、文が長く渡るとき、
 3、対話文・会話文を書くときである。
 すくなくても200字から300字くらいで作るとよさそうである。」(PP.36-37)・・・引用終り。

6.「横書き文章読本」高橋 昭男、日経BP出版センター、1994年3月
引用文:
 「『国語=文学、という不思議』
 中学、高校で、国語の時間といえば、ほとんど文学を学ぶ。国語=文学なのである。」(P.15)、、、「『パラグラフの活用』
 ここでは、段落(パラグラフ)の学習をしていく。パラグラフは、文書を構成していく中間構成単位として大切である。それにもかかわらず、パラグラフの考え方について、学校で学んだ記憶はあまり無い。比較的無視されてきた理論なのである。三島由紀夫や谷崎潤一郎の手になる『文章読本』(いずれも中央公論社刊)でもパラグラフについての見解を述べていない。現代の日本文学では、パラグラフの考え方は無視される傾向にある。」、、、「パラグラフの必要性を大きく取り上げたのは、以下の著書である。
 『理科系の作文技術』(木下是雄著 中央公論社刊)
 『日本語の作文技術』(本多勝一著 朝日新聞社刊)
 『日本語の論理』(外山滋比古著 中央公論社刊)
 『理科系の作文技術』で木下是雄氏は、17ページにわたってパラグラフについて述べている。
 『たいていの人間は、文書を書くときに、自分はふだん、どれぐらいの長さのパラグラフを書いているのか、ほとんど自覚していない。改行をつけるのも、全くでたらめである、だいぶ長くなったからそろそろ改行しようか、などと言って行を変えている。パラグラフの中をどういう構成にするかをはっきり考えたことはほとんどないのだからやむを得ないが、これではよい文章が書きにくいわけである。また、書けた文章がしっかりしない骨なしみたいになる道理である。
 まず、基本的文章を読んでパラグラフの感覚を各人が持つように努力することである。書く方でもパラグラフを書く練習がもっと必要であろう。段落の観念がはっきりしないから、文章に展開のおもしろさが生まれない。』」(PP.116-117)・・・引用終り。

以上、52冊の中からパラグラフを説明する6冊の書籍を、引用文と共に紹介した。論理的な書き方やパラグラフに触れる書籍は意外に少ない。

また、パラグラフと同様に、句読法(Punctuation)は重要であるにもかかわらず、国語(日本語)はそれを重視しない。これは筆者の長年の不満である。

句読法は、横書きのe-mailやビジネス文書の意味を明確にする。この意味で、次の「英語の句読法辞典」を紹介する。

7.「英語の句読法辞典」稲盛 洋輔、畑中 孝實監修、インターワーク出版、2003年6月
引用文:
 なし。
書籍の内容:
 次の16種類の句読点/記号を具体的に説明している。
 .(ピリオド)、,(コンマ)、?(クエスチョン・マーク)、" "(クォーテーション・マーク)、!(感嘆符)、:(コロン)、;(セミコロン)、-(ダッシュ)、-(ハイフン)、'(アポストロフィー)、A(イタリックA)、A(大文字A)、…(省略符号)、( )(括弧)、[ ](ブランケット)、/(スラッシュ)
 以上の句読点/記号の使用ルールは、一種の文法であり、英語だけでなく、ヨーロッパ系言語や横書きの日本語にも通用する。記号別に豊富な用法の説明があり、ビジネスの実務に有効な参考書である。
筆者のコメント:
 Web上の句読法横書き句読点の謎も参考になる。

 また、日本語の句読法として、文部省教科書局調査課国語調査室の「くぎり符号の使い方[句読法](案)(昭和21年3月)」をここに示しておく。この国語調査室の[句読法]は、主として縦書き用のルールである。横書き用には「点」「コンマ」「コロン」「セミコロン」の用法を説明している。

 さらに、句読点ではないが、e-mailやビジネス文書などでよく使われる主な略語を紹介する。
 do.(ditto、同上)、e.g.(for example、たとえば)、etc.(and so on, and so forth、エトセトラ、など)、i.e.(that is、すなわち)、n.a.(not applicable、該当しない)、w/(with、とともに)、w/o(without、なしに)、ASAP(as soon as possible、アサップ、できるだけ早く…多用は禁物)、FYI(for your information、参考まで)など。これらは世界的に通用する略語であり、翻訳せずそのまま使用する。特に、これらの略語を使った図表は、補足の説明文が少なく、項目(名詞)の英訳/和訳で済むので翻訳が容易になる。・・・筆者のコメント終り。

自然科学系やビジネス文書、さらに世界中を飛び交うe-mailは横書きである。これに対して、小説、新聞、週刊誌、経済誌、特に、官公庁の文書には縦書きが多い。一つの参考に過ぎないが、筆者が調べた「縦書き」「横書き」の比率は次の通りである。

横浜市立中央図書館の閲覧室の日本語の書き方・表現力に関する書籍、151冊のうち75%(113冊)は縦書き、25%(38冊)は横書きだった。「縦書き」の中には、技術論文や英語文書の書き方を説明する書籍もあった。日本は、まだまだ「縦書き」社会である。中には「縦に書け! 横書きが日本人を壊している」(石川九楊、祥伝社、2005年6月)と主張する意見もある。画一化と妥協の産物たるグローバル化に揉まれる日本、一読に値する書である。

2)日本の国語教育への感想
今回、日本の国語教育の現状を調べたが、筆者の感想は次のとおりである:
◇最初の6冊の著者はすべて国語の教育者であり、論理的な作文が大切だと考えている。しかし、
 教育現場はそうではない。筆者の目には、現在の教育現場は60年昔と変わりはない。浦島太郎は、
 筆者でなく、日本の国語教育と言える。
◇パラグラフの論理的な構築は、英語に特有の方法ではない。縦書きや横書きの日本語、あるいは
 他の外国語にも通用する。
 母語で論理的な思考やコミュニケーション方法の教育を強化すれば、他の外国語の習得が容易にな
 る。さらに、外国語を広く理解するには、言語類型論の知識も参考になる。【言語類型論を参照】
◇基本的な話になるが、今回の調査でパラグラフに関する用語が著者によりまちまちだった。
 たとえば、
 パラグラフ:段落、意味段落、文節、分段など
 トピック・センテンス:主題文、中心文、話題文など
 サポーティング・センテンス:支持文、展開文など
 文部科学省の学習指導要領で、これらの基本的な用語と定義を統一すべきである。
◇日本にコンピューター音痴やアレルギーが多い原因は、コンピューター教育の出遅れだけでなく、論
 理的思考を重視しない国語教育にあると思った。これらの強化は、グローバル化への必須条件であ
 る。

【参考・・・言語類型論-Wikipediaから引用】
語順 [編集]
グリーンバーグは1963年にSome universals of grammar with particular reference to the order of meaningful elementsにより、基本的な語彙の語順による分類を考案した。これは、一般的な他動詞文に必須の3要素を主語(Subject)、目的語(Object)、述語(Verb)とし、その語順により世界の言語を6つに分けるものである。
SOV型 日本語など。世界の言語の約50%を占める。
SVO型 英語など。世界の言語の約40%を占める。
VSO型 アラビア語など。世界の言語の約10%。
VOS型 トンガ語など。
OVS型 ごく一部の言語に見られる。
OSV型 ごく一部の言語に見られる。
ただし、言語の中には基本語順が定まっていないもの(例えば、SVOとSOVを同じ程度の頻度で取るもの)があり、この分類が完全に有効かどうかについては異論がある。・・・Wikipediaからの引用終り。

次回は、筆者が実践してきた作文のキーポイントを技法、用語、形式、文体、内容に分けて簡単に説明する。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---英語と他の言語(4)

2012-10-10 | ビジネスの世界
英語と他の言語(3)から続く。

(4)日本の外国語教育に思うこと
英語圏と非英語圏で仕事をしてきた今の感想は、世界各地で通じる英語は頼りになる言語と思う。しかし、多くの現地人を抱える工場では、現地語が最も大切な言語である。事実、非英語圏での英語は知識層の言葉、または喋りたいが喋れない言葉と思われることが多い。前回紹介した日系タイ工場の新任工場長が云うとおり、土地の人々に接するにはその土地の言葉が最も適している。

このように、英語と現地語はそれぞれ重要な言語、優劣は付け難いが、まず日本の英語教育を振り返る。

1)英語教育
筆者の中学の英語教科書は"Jack and Betty"、高校で基礎知識を3年、大学で英文学を3年と英会話を3年、延べ12年間も英語を学んだ。おまけに、大学の海洋気象学はノルウェーの教科書(英語)だった。当時、日本の海洋気象学は遅れていた。

参考だが、1960年代中頃のアメリカの大学院、留学生たちの母国での教科書を見せてもらった。ある国の国立大学でも、数学や幾何学を始め、専門の教科書は英語の海賊版だった。紙質が悪く、分厚く背表紙なしの擦り切れた海賊版を初めて見た。母語の教科書で教育ができる日本が羨ましいと彼らは云った。

延べ12年間の英語教育を振り返ると、高校で習った基本的な構文の他は殆んど記憶に残っていない。3年間のスイス人先生の英会話も効果はなかった。後のアメリカの大学では、前回のエピソード1のとおり、高校で覚えた英語で宿題や論文には困らなかった。一般に、理系の専門分野では文学的な難しい文章は書かない。

このような筆者の英語観に対して、英語の教育者や学者たちの意見は違っている。彼らの意見は、今の英語教育では多くの中学生や高校生は英語を使えないという。しかし、日常生活で英語を必要としない日本では、無理に英語を使う必要はない。

もちろん、必要があれば使うと云っても、始めはうまく喋れない。しかし、英語の基礎知識があれば場数と共に上手くなる。その基礎知識の習得に6年もかけるのは長すぎる。また、身に付けるか否かは本人の意志の問題である。

「英語が使えない」からオーラル・コミュニケーションを強化すべきと云うのが役所や先生たちの意見である。それらの意見は「日本の英語教育―これからどうなる?」などに見られるが、中には、「小学校から英語教育を始めるべき」という提案もある。しかし、日本の現状を考えると、過剰サービスに過ぎない先生たちの意見より、グローバル化に備えたインフラ整備が必要と思う。

2)日本人の外国語力
学校の英語教育はダメといわれる反面、日本企業や日本人の海外進出は今も衰えていない。その進出先は英語圏だけではない。

今日までにさまざまな国で、日本企業の駐在員、土地の人と結婚した女性とその家族、地球を漫遊するバックパッカーなどいろいろな人に出会ってきた。しかし、皆さん、日々の言葉には問題がない様子だった。言葉で悩むどころか、自分で見つけた道を逞しく進む人々が多い。中には、口先の美辞麗句でなく、言行一致で周囲から信頼される人も少なくない。それは言語教育論とは次元が違う人間性の話である。

人は必要に迫られれば言葉を発する。これは人間の本能である。この本能にその国の言葉の基礎知識が加われば、その人の会話力はたちまち上達する。もし、基礎知識がなければ、現地の語学学校に1、2年も通えば実用に耐える力が付く。

タイなどでの見聞だが、語学留学でなく必要に迫られて、働きながら街の学校に通う人のタイ語はほぼ例外なく上達する。日常生活や仕事が、学校で習ったタイ語の実地訓練になる。そこでは自分が「主」、タイ語が「従」になる。自分が「主」のタイ語には自然に力がはいる。しかし、必要に迫られない言語の教育では、言語が「主」、自分が「従」になる。そこには緊張感がなく、長く続けても効果はない。

3)日本のグローバル企業の公用語と使用言語
理想として、グローバル企業の日本本社と各国事業所のコミュニケーションには英語が適している。したがって、日本本社の公用語と使用言語は、それぞれ日本語と英語が望ましい。非英語圏の海外事業所では、日本語と英語と現地語が公用語と使用言語になり、英語が日本語と現地語を仲介する。

しかし、理想に反して現実はそうではない。また、日本と海外事業所の公用語を英語だけで押し通せない事情もある。それは、公的な書類には現地の公用語が求められ、コンピューターシステムも多言語データベースでその要件に対応する。

アメリカの2社のグローバルシステムでは、それぞれの取引先名、個人名、住所を英語(システム標準語)と現地公用語(正式名称)で登録し、製品名称は世界共通の英数字だけで表現した。また、勘定科目は世界共通コード、科目名称は英語と各国公用語とし、多言語データベースに登録した。

たとえば、このシステムの決算報告書は次のようになる。
   現地の決算報告書:現地の公用語⇒現地官庁用、英語⇒現地社員用
   アメリカ本社の連結決算報告書:英語⇒官庁と社員共通
もちろん、各国の財務諸表の計算方法は異なるが、欧米は国際会計基準(IAS)による標準化が進んでいた。たとえば、デッドストックの判定基準と在庫金額計算方法などの世界統一ルールも設定した。

会計ルール以外にも各国の法令(例:日本の印紙税法や下請代金支払遅延防止法など)をコンピューターシステムに反映したが、日本では英文法令の入手に苦労した。ただし、この話は20年も昔のことだった。

最近では日本法令の英訳とデータベース構築や国際会計基準の導入など、グローバル化へのインフラ整備が徐々に進みはじめた。とはいうものの、民間企業の公用語と使用言語の選択は、関係国の法令と公用語に関係するので、詳しくは法律の専門家に相談すべきである。この辺りを押さえておかないと、法律違反と罰金やユスリ・タカリに隙を与えるので注意したい。

なお、法令について参考になる情報をここに示しておく。

【日本の英訳法令】
現在、日本には約7,700の法令があり、その数と内容は年ごとに変化している。2012/9/1現在の主な内訳は、憲法(1)、法律(1,875)、政令(1,978)、府令・省令(3,495)、その他(416)、合計7,765だった。筆者が2012/10/4に調べたところ、このうち、332の法令は英訳済みだった。

法務省は使用頻度の高い法令から計画的に英訳しているが、次のような注意書きがあるので、参考にしていただきたい。

【英訳法令の注意点】
 この「日本法令外国語訳データベースシステム」に掲載している全てのデータは、適宜引用し、複製し、又は転載して差し支えありません。なお、これらの翻訳は公定訳ではありません。法的効力を有するのは日本語の法令自体であり、翻訳はあくまでその理解を助けるための参考資料です。このページの利用に伴って発生した問題について、一切の責任を負いかねますので、法律上の問題に関しては、官報に掲載された日本語の法令を参照してください。【出典:法務省の法令検索

【日本語の公用語としての位置づけ】
日本語自体が日本の公用語であるとの規定は曖昧である。ちなみに、フリー百科辞典ウィキペディアには、次のような記述がある。
 日本語:日本では法規によって「公用語」として規定されているわけではないが、各種法令(裁判所法第74条、会社計算規則第57条、特許法施行規則第2条など)において日本語を用いることが定められるなど事実上の公用語となっており、学校教育の「国語」でも教えられる。【出典:日本語 - Wikipedia

次回「4)語学教育に望むこと」に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---英語と他の言語(3):不朽のThe Elements of Style

2012-09-25 | ビジネスの世界
英語と他の言語(2)から続く。

3)日本と英語圏での仕事
卒業後は、日本とアメリカ系製造会社、国連機関やタイの日系工場で働いた。仕事では必要に応じて日本語と英語を使った。

日本の製造業では、世界各地の事業所に出張した。その頃アメリカの友人から、以前より英語がうまくなったといわれた。多分、学校で学んだ英語が実務という荒波にもまれて、一皮剥むけたと思った。

ビジネスでは、口頭表現力以上に文章力が大切になる。特に、グローバル会社のE-mailは、社内外の関係者にもCC(Carbon Copy)を配信するので注意したい。要領を得ない長文は、面識がない関係者から「あの人のメールは意味がない」と無視されることもある。これが度重ると、やがてToやCCから外されて組織内で孤立する。

E-mailはグローバルビジネスの必須ツールで便利な反面、言語障害を関係者の目にさらけ出すもろ刃の剣でもある。この点を念頭に、日頃、筋の通ったコミュニケーションで実績を積み重ねる。この積み重ねで、仕事上の信用が高まる。それは、英語の上手下手(ジョウズヘタ)の問題を超えて、その人のセンスと信用の問題につながっていく。

1990年代中頃まで、筆者はWordstar(ワードスター)という英文ワープロを使っていた。文章のスタイルと文法のチェックだけでなく、「この言葉は冗長」とか「文章が長すぎる」とか「この使い古された表現はダメ」などと指摘する非常に優れたソフトだった。筆者の英語は、このソフトでさらに鍛えられた。当時、アメリカには熱烈なWordstar愛好者がいたが、Windowsへの対応が遅れたので、残念ながら90年代中頃にはMicrosoft Wordに淘汰された。貴重な先生を失ったとの思いがある。

下に示す"The Elements of Style"は、Wordstarのパッケージに入っていた小冊子である。Wordstarの文章チェックは、この小冊子に準拠していたと思われる。

            The Elements of Style by W. Strunk Jr. & E. B. White
            Macmillan Publishing Company, 1979 (ISBN 0-02-418200-1) $4.95
                 

序説によると、この本は、第一次世界大戦の終末期、1919年頃のコーネル大学Strunk Jr.教授の英語コースの教科書だった。学内では"The Little Book"の名で知られ、文章の基本的なスタイルと句読法および「言葉と表現のよくある誤り(Words and Expressions Commonly Misused)」を示している。

当初、Strunk Jr.教授の個人的な印刷物だったが、59年頃には、大学と一般市場向けにWhite氏が改訂版を出版した(57年頃、先生は亡くなった)。その後、79年には第3版、さらに現在の第4版に版を重ねている。ここ100年近くの間に、この本は大学生だけでなく、アメリカ社会で広く知られるようになった。筆者も作文教室の Reading Assignment(先生が指定する本を読む宿題)で読んだ記憶がある。曖昧でなく誰にでも分かる簡潔な文章が最も良い英語という教えである。

上のイメージに示した第3版は、B6判程度(107mm×178mm)で本文85ページ、2~3日で読み切れる内容である。何度も精読して、原文をそのままで頭に入れて頂きたい(暗記はNG)。どうしても必要ならば英和でなく英英辞典の使用をお勧めする。"The Elements of Style"の本質を頭に叩き込めば、日本語や他の言語の作文にも役立つ内容である。

国会図書館は、数冊の英語版と訳本を所蔵している。また、インターネットでも閲覧できるので、ぜひ一読して頂きたい。【参考:「The Elements of Style」】

4)タイでの仕事
一般にはタイと呼ぶが、正式の国名はタイ王国(Kingdom of Thailand)で公用語はタイ語である。国民の95%が穏和な仏教徒、彼らは王様を厚く尊敬している。不敬罪があるので言動には注意が必要である。

タイでの仕事は、日系工場のITや生産管理へのアドバイスだった。事務所の社員(Office Staff)は英語を理解するので仕事に支障はなかった。また、日系工場の書類は、英語またはタイ語/英語の併記だったので、現場指導でも問題はなかった。

日系工場の常用語、たとえ日本語でも、タイ人社員はそれらを正しく理解している。しかし、日本語の改善提案などの場合、タイ人通訳(社員)の翻訳したタイ語は、どれほど正確に現場従業員に伝わっているかという疑問がある。もし疑問があれば、現場で片言タイ語、英語、身振り手振りで直接やり取りすれば、確実に担当者と理解し合える。

10年程の経験だが、多民族・多言語のタイでは日本語より英語の方がはるかに通じやすい社会である。学校では、英語教育に力を入れている。最近は、6歳児からの英語教育の是非が話題になっているが、たとえば、バンコクのアサンプション大学(Assumption University)の授業は英語、筆者の知る限り大学院のITや生産管理の教科書もアメリカの大学で見かけるものだった。

また、街の書店でも英語の専門書は多く、英語/タイ語またはタイ語/英語辞書は書店ばかりでなくインターネットでもかなり充実している。しかし、日本語の専門書は種類が少なく日系書店で見かける程度である。また、日本語/タイ語またはタイ語/日本語辞書の内容は貧弱との印象がある。

話は変わるが、ある自動車関係の日系工場で業務の現状分析を実施した。【参照:このブログ「現状分析3(2011-09-25)」】

その工場の公用語は、タイ語、日本語および英語だった。このような事情で、現状分析は英語版と日本語版が必要だった。そこで、時間短縮のために筆者は英語で現状分析を実施、その内容を翌朝に日本本社にE-mailで送信、翌々朝には本社から和訳を受信する。このような英語と和訳の送受信で、2ヶ月後に英語版と日本語版の現状分析報告書をほぼ同時に完成した。

タイ工場の公用語の一つを英語とするこの会社、さすがに日本本社の人材は厚く英語の和訳は正確で迅速だった。自動車業界の会社は、すでに欧米他社との接点が多く、業務の英語化は一歩先を進んでいる。グローバル化が進展した企業では、必然的に英語が共通言語になるのである。とはいうものの、その工場はただの英語至上主義でなく、工場の主役としてタイ人とタイ語を重視していた。

あるとき、工場長が交代した。新しい工場長は「土地の言葉を理解せずして、タイの人たちのこころを掴めない」と、50の手習いでタイ語を一から学び始めた。人気のない事務所で宿題のタイ文字の書き取りをしている彼の姿を今も思い出す。努力の甲斐あって2年もたたないうちにタイ語は上達し、周囲のタイ人たちに信頼される存在になった。

次回の「(4)日本の外国語教育に思うこと」に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---英語と他の言語(2):船乗りの英語

2012-09-10 | ビジネスの世界
「英語と他の言語(1)」から続く。

(3)英語の世界
学校を出てから今日まで50年、最初の仕事は船乗り、三等航海士だった。あの頃から英語の世界を歩き始めた。そこで、今回は、英語に対する自分なりの考えを紹介する。

まず、50年も付き合った自分の英語力を自分なりに評価する。

1.発音は典型的なジャパニーズイングリッシュ、単語を日本語流にはっきりと発音している。
  しかし、ハワイのバス停などで見知らぬおばさんに行先を尋ねると、分かり易い英語と褒
  められる。
2.専門分野の生産管理とコンピューターでは、自分の英語に自信がある。
3.日本語より英語の文法は合理的だと思っている。特に、英語の関係代名詞は便利だと思う。
4.内容によるが、TVやラジオのイギリス英語は30~60%、アメリカ英語は60~100%聞き取れる。
  なお、エリザベス女王や英国首相のスピーチなどはスムーズに90%以上聞き取れる。
5.自分は英語に堪能な人とは思わない。会議などで分らないときは、分からないと聞き返す。
  あるとき、あなたは内容をよく理解しているので「分らない」といえるといわれた。さらに、その
  カナダ人社長は、(会議などで)日本人は笑って(答えを)曖昧にするのでやり難いとも言った。

このような英語力であるが、ここで自分の英語歴を振り返る。

1)船乗りの英語
外航船の操船命令とその復唱は英語、また、航海日誌と機関日誌は公文書(事故などの証拠物件)、昔から英語だった。日本人のパイロット(水先案内人)は日本語、イタリア人はイタリア語、ドイツ人はドイツ語で操船命令を出すと乗組員は混乱する。そのため、世界各地でよく使われる英語が使用言語(working language)になったようだ。【補足説明参照】

【補足説明】
HP「われら海族」の「航海日誌の書き方」からサンプルを引用する。ただし、サンプル英文の括弧()内の単語および各行の日本文は筆者が付加した。

・・・こんな感じ
0820 Stationed for leaving port.
   8時20分、出港のため総員部署に付いた。
0840 Pilot Capt. Tanaka (came) on board.
   パイロットのキャプテン田中乗船
0850 Took tugs “Kirishima maru” & “Ajikawa maru” on her port bow & port quarter.
   タグボート(曳船)霧島丸と安治川丸を左舷船首と左舷船尾に配置した。
0855 S/B eng.
   スタンバイエンジン(機関は待機状態になった)。
0900 Let go all shore lines & left Osaka for Tokyo.
   すべての係留ラインを解き放し、東京に向け大阪を出港した。
0902 Dead slow ast'n eng. & used it var’ly.
   機関後進極微速、以後エンジンを適宜使用した。機関後進極微速(キカンコウシンキョクビソク)は旧日本
   海軍の操船用語、商船では“dead slow astern”(デッド・スロー・アスターン:世界共通語)という。
0910 Cast off all tug.
   すべてのタグボートを切り離した。
0920 Cleared out the B.W.E. & Pilot left her.
   防波堤出入口を通過、パイロットは退船した。(BWE=Breakwater Entrance)
0930 Full ah’d eng.
   機関前進全速、商船では“full ahead”(フル・アヘッド)という。
0936 R/up eng. & Dismissed the station.
   機関は平常運転に入り、総員部署を解散した。(R/up=Rung upは「仕事を終えた」の意味)
・・・以上で「航海日誌の書き方」からの引用は終り。

今も昔も変わらないが、航海日誌の1行は長くても20語程度の短文である。港に着けば外国人作業者が荷役を始める。その荷役の指示も英語、4年間も世界を航海していると英語が当たり前になる。しかし、その発音や言い回しには港みなとの違いがあっておもしろい。

たとえば、英語の“Folks(人々)”をドイツ人は“Volks(独語)”というがこの違いにドイツらしさを感じる。また、“Very“や“Fantastic”の発音でも、時には“V”が“F”、“F”が“V”に聞こえるが“訛り”の違いである。さらに、カーゴ(Cargo=積荷)をカルゴと発音すのはインドやイスラム系である。筆者は、この発音にさまざまな香辛料の味とその味にまつわる懐かしい光景を思い出す。もちろんあり得ない話だが、もし世界中の英語が標準的な発音に統一されると、自動翻訳やロボットには好都合だが、世界各地の特色が消滅するおそれがある。

訛りは別として、船乗りの英語はだれにでも伝わる英語でなければならない。あいまいな発音やブロークン・イングリッシュは事故につながる。ちょっとした命令の誤解でも、海の事故はダメージが大きい。

2)アメリカで学んだ英語
4年間の船乗り生活で、感じるところがあってアメリカの工学部大学院に留学した。専門教科の宿題、小論文(Term Paper)、発表(Presentation)、作文教室(Composition)などでは、
1.「Straightforward(率直、簡単な)な文章」
2.「32語以下の短文」
この2点を指導された。両義にとれる(Ambiguous)言葉と表現はNGだった。32語の論拠は忘れたが、この数字は今も頭に焼き付いている。誰にでも分かる英語が最上だと、工学部の先生たちからも叩き込まれた。これには、多民族国家の教育を感じとった。

ちなみに、コンピュータープログラミングでもAmbiguousな表現はNG、yesかno、1か0、二進数(binary digit:バイナリー・デジット→デジタル)の世界である(ambiguousという単語はコンピューター解説書で学んだ)。

なお、当時の留学必須アイテムは、ポータブルタイプライターと無地のビジネススーツだとアメリカ文化センターの資料で知った。タイプライターは宿題や論文で使用、ビジネススーツは論文などの発表で使用するとのことだった。なお、柄物スーツはNGと但し書きがあった。

ヒューストン大学でも作文教室以外では、手書き文章の提出はダメだった。タイピストに頼めばレターサイズ1枚45セント、数式などが入れば手間が掛かるので1枚1ドル、1ドル360円時代だったので、すべての宿題や論文は自分でタイプした。タイプした誤字を消しゴムで消せる紙を利用したが、丁寧にタイプすることで英文に強くなった。なお、数式や図などは手書きOKだった。

作文教室では、書きたい内容を頭に描き、文脈をパラグラフ(段落)のフローチャートにして先生に説明する。1つのキーワード(=話題:トピック)を1パラグラフと考えて、キーワードのフローチャート(流れ図)を試作する。話題を変える時はひし形(分岐マーク)で分岐する。この時、分岐先の位置を流れに沿って分かりやすくする。もちろん、分岐先は新しいパラグラフや既存のパラグラフである。

参考だが、卒業後に日本の民間研究所で共同研究をしたとき、チームで報告書を作成する方法も同じだった。まず、全員でキーワードのフローチャートを作成、その後に各自の担当部分を文章化した。もちろん、文章スタイル、用語と表現などの標準(ひな形/例文)もあった。

キーワードのフローチャートができた時、先生は個々のパラグラフの内容と全体の流れにアドバイスをする。フローチャートを完成し、パラグラフを主題文と支持文で順次文章化すれば作文は完成する。この方法は、コンピューター・プログラムの制作と全く同じだった。

ここで補足になるが、キーワード(=話題:トピック)がそのパラグラフの話題になる。その話題を説明する1行の文章をTopic Sentence主題文という。さらに、その主題文を説明する文章をSupporting Sentence支持文という。したがって、1つのパラグラフは1つの主題文と複数の支持文から成り立つが、支持文なしで主題文だけのパラグラフもOKである。以上を要約すると、1つのパラグラフ=1つの主題文+0~複数の支持文となる。【参考:英語と他の言語(8):文章の形式(Form)(2013-02-25)】 
 
1960年代中頃の日本の大学では、このような指導はなかった。しかし、アメリカの高校・大学がコンピューター教育を重視する理由が分かった。その理由は、まず頭の中の考えをキーワードのフローチャートに展開、次にフローチャートの流れを整理統廃合する:このプロセスはしっかりとした論理展開の涵養に役立つ。日本でも文系・理系に関係なく、コンピューター教育は必要だと思った。

一方、読解力については専門書を多読し、知らない単語は読み飛ばす。何回も同じ単語に出会ううちに、前後の関係から自然にその単語の意味を覚えてしまう。どうしても分らないときは英英辞典で調べる。経験では、専門語は普通の英和辞典に載っていないことが多い。そのため、いつの間にか英英辞典だけを使うようになる。多読が決め手であり、図書館の開館時間は週100時間以上、卒業間際の学生は、24時間利用できる自分の個室を確保できた。当時、160万冊の蔵書と250万巻のマイクロフィルムがあった。

このような大学生活、その間に出会った次の3つのエピソードは今も覚えている。

【エピソード1】
 大学では、主な試験や小論文の成績を学部ロビーの壁に貼り出す決りがあった。この成績の公開をめぐって「日本人(筆者)の英語は、われわれ(英語が日常語になっているインドの留学生)の英語より劣っているのになぜ成績が(A)なのか?」と先生に質問があったという。これに対する先生の答えは「君たちの英語は耳から入った英語で文章が話し言葉になっている。しかし、彼(筆者)の文章は文法とスタイル共に論文として立派に通用する」とのことだった・・・この話は、後日、台湾からの留学生に聞かされた。
 これを知ったとき、日本の中学・高校の英語教育に感謝した。中学・高校で英文法をシッカリ教わったので読み書きの基礎が身に付いた。“話す“と“聞く”は教室でなく実社会で身に付けるもの、場数を踏めば自然に上達する。もちろん、コンピューター言語でも文法の知識が必須、後は年齢に関係なく場数の問題である。
 10年以上も接するタイ語は耳から入った外国語、日常生活に不便はないが、基礎知識がないので「読めない」「書けない」の正真正銘の文盲である。幸い、英語(文学&会話各3年間)の他にラテン語系のフランス語(文学&会話)はそれぞれ3年間、スペイン語(貿易実務)は1年間の教育を神戸商船大学で受けたのでタイ語ほど酷くはない。
 また、日米で活躍するある著名な日本人経営者の「日本人の英語は、スタイルは論文調だが、文法は正しく、ビジネスでは十分に通用する」という言葉を思い出した。事実、世界には口が達者でもまともな文章/e-mailを書けない人は意外に多い。

【エピソード2】
 「ほのるる丸」の航海日誌(Logbook)は英語だった。したがって、英語の講義には問題なし、もともと自然科学系の理論や数式は世界共通のため違和感はなかった。ついでだが、航海日誌は外国でも通用する公文書(e.g.事故の証拠物件)、書き直し(改ざん)は不可だった。このため、筆者に限らず船乗りにはインクで文字を丁寧に書く習慣があり、その文章は読み易かった。
 ある時、子供の発熱で授業を休んだという級友(アメリカ女性)に頼まれてノートを貸した。その結果、筆者のノートは読み易いと評判となり他にも借りに来る人がいた。やがてこの話は“統計学”から“コンピューター”に飛び火、授業中に筆者が取る“ノートが分かり易い”という理由で、コンピューター関係教科(Advanced Numerical Analysis)の助手にもなり、研究室と給料を与えられた。もちろん、学費減免と学内で購入する書籍の教職員割引はありがたかった。

【エピソード3】
 専門教科の「ネットワーク論」で、面白いテーマを見つけて小論文に打ち込んだ。しかし、この教科の宿題、クイズ(突然の簡単な試験)、中間試験はおろそかになったので、成績は振るわなかった。
 「コロンブスの卵」のような小さな発見を小論文にまとめ、先生から高く評価された。期末試験の1週間前、先生は学生たちに向かって「筆者の小論文から(5問中)1問だけ出題しようと思うが、どう思うか?」と皆の賛否をはかった。約20名のクラスメイトは、賛同の拍手で答えた。そこで直ちに、筆者の小論文を各自がコピーするようにと指示がでた。
 さらに先生は、「宿題や中間試験の成績は芳しくないが、彼は小論文に打ち込んだ。出席点には問題がないので、彼に(A)を与えようと思うが、皆はどう思うか?」と続けた。これに対して、また賛同の拍手があった。あの拍手は今も耳に残っている。
 日本人の小論文を修士課程の学生たちが期末試験(Final Exam)の問題として学んでくれる・・・このことが嬉しかった。このとき、英語は上手くないが、やればできるという“Can Do精神”を学んだ。アメリカには、日本にない感動がある。

やがて修士号(MS:Master of Science)を得て、国連専門職を目指して歩き始めた。

次回の「3)日本と英語圏での仕事」に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---英語と他の言語(1):主要国の公用語と使用言語

2012-08-25 | ビジネスの世界
「コンピューターの知識(3)」から続く。

3.英語と他の言語
このブログの「ことばとコンピューター(2011-06-04)」で述べたが、世界標準規格(ISO639-3)は459の言語を定義している。たとえば、3桁コード、ainはアイヌ語、ojpは中古日本語(古文)、jpnは日本語である。この459の言語に方言などを加えると五千以上との説もあり、今では世界の言語の数は正確に数え切れないというのが定説である。

数えきれない言語が存在するこの地球、グローバル化とともに言語の違いが一つの難問として浮かび上がってきた。

(1)言語の知識
言語には無頓着だった日本でも、近年では社内公用語や使用言語などといったことばがニュースになっている。まずここに、ほんの一部に過ぎないが世界の言語事情を眺めてみる。

1)公用語(Official Language)
組織、団体、国、地域などが文書や会話に使用する公の言語をいう。重要な文書や全国放送には公用語を使う。

2)使用言語(Working Language)
Working Language の和訳は、使用言語、作業用語、業務用語、使用用語、または実用的な言語である。使用言語は公用語の一つである。このブログでは、Working Language を使用言語という。

3)母語(Mother Tongue)
幼児期に家庭で最初に習得し、自由に使える言語をいう。母国語ともいう。国際機関などの職員の母語と使用言語が違うときは、その点を考慮して勤務を評定する。(このブログ「時代の流れ」(2012-3-25) 専門職以上の評価を参照)

(2)世界の現状
日本では標準語を国語として教えており、各地に方言があるものの言語環境は単純である。しかし、世界の言語環境はかなり複雑で、不明な点も多い。ここでは、公用語と使用言語の現状を分かる範囲で説明する。

1)国際連合(United Nations)
公用語(Official Language):
アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語の6言語
使用言語(Working Language):
英語、フランス語

他の主な国際機関の公用語:
国際電気通信連合(ITU) - 英語、フランス語、スペイン語
万国郵便連合(UPU) - 英語、フランス語
国際労働機関(ILO) - 英語、スペイン語、フランス語
国際司法裁判所(ICJ) - 英語、フランス語
国際刑事裁判所(ICC) - 英語、フランス語
国際海洋法裁判所(ITLOS) - 英語、フランス語
国際標準化機構(ISO) - 英語、フランス語
など、これらの機関では公用語が使用言語である。

2)欧州連合(EU)
公用語:
ブルガリア語、チェコ語、デンマーク語、オランダ語、英語、エストニア語、フィンランド語、フランス語、ドイツ語、ギリシア語、ハンガリー語、アイルランド語、イタリア語、ラトビア語、リトアニア語、マルタ語、ポーランド語、ポルトガル語、ルーマニア語、スロバキア語、スロベニア語、スペイン語、スウェーデン語、以上23言語
使用言語:
すべての公用語が使用言語である。また、手話の公用語も定めている。

法令や公文書は23言語で作成するが、重要度が低い場合は必ずしもそうではない。しかし、公用語の維持管理では、人材とコスト面の負担が大きい。

EUの言語について興味深い報告が「HP of Satoshi Iriinafuku - EU社会の実像」にあるので、以下に引用する。

     EUの言語の現状
     

2006年2月21日、欧州委員会は、EU市民の外国語能力に関する報告書を発表した。これは、2005年11月5日から12月7日かけて実施されたアンケート調査結果に基づいているが、調査は、EU加盟25ヶ国と、ブルガリア、ルーマニア、クロアチア、トルコの計29ヶ国において、15歳以上の市民、2万8694人を対象にして行われた。

それによると、56%の市民が母語以外の外国語で会話を楽しむことができる。これは、2001年の調査時(EU15ヶ国)より、9ポイント上昇しているが、特に、ルクセンブルク、スロバキア、ラトビアでその割合が高くなっている(それぞれ、99%、97%、95%)。その理由として、欧州委員会は、ルクセンブルクのように、複数の言語(ルクセンブルク語、フランス語、ドイツ語)が一国の公用語にされていることや、近隣国との結びつきが強いことなどを挙げている。

もっとも、44%の市民は母語しか話せない。アイルランド(66%)、イギリス(62%)、イタリア(59%)、ハンガリー(58%)、ポルトガル(58%)、スペイン(56%)の6ヶ国では、その割合が50%を超えている。

外国語として最もよく使われているのは英語であり、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語がこれに続いているが、母語として最もよく話されているのはドイツ語である(18%)。
・・・中略・・・

「母語ぷらす2」
なお、欧州委員会は、母語以外に2つの言語の習得を長期的な目標に設定しているが、それに賛同した回答者は50%で、46%は反対している。なお、この要件を満たすと答えた者は28%であるが、とりわけ、ルクセンブルク(92%)、オランダ(75%)、スロベニア(71%)でその割合が高かった。

母語以外に、3つの言語をマスターしている者は11%であった。このように多くの言語を駆使しうる者は、若年層に多く、留学経験のある高学歴者とみられている。

半数以上の市民は、すでに6歳の頃から外国語を学んでおり、外国語能力の重要性は強く認識されているが、過去2年間に外国語を学んだか、または、それを向上させた者は、18%に過ぎず、学習意欲の低さが浮き彫りになっている。
以上で「HP of Satoshi Iriinafuku」からの引用は終り。

3)ドイツ語を公用語とする国
EUの公用語は23言語であるが、加盟国にはそれぞれの公用語がある。もちろん、その国の公用語はEUの公用語である。すべての加盟国の公用語を挙げるのは省略するが、ドイツ語を公用語とする国は次のとおりである:
 ドイツ連邦共和国
 オーストリア共和国
 スイス連邦(他の公用語=イタリア語、フランス語、ロマンシュ語)
 リヒテンシュタイン公国
 ルクセンブルク大公国(他の公用語=ルクセンブルク語(ドイツ語の方言)、フランス語)
 ベルギー王国(他の公用語=フランス語、フラマン語)
 オランダの一部

たとえば、スイス連邦の使用言語の6割以上がドイツ語(またはスイスドイツ語とよばれる方言)であるが、公用語でない英語を必須単位にする学校が多い。ドイツ語とスイスドイツ語はかなり違うため、実際には英語を使う傾向にある。

4)カナダの公用語
カナダでは10州のうち、8州の公用語は英語、ニューブランズウィック州は英語とフランス語、ケベック州はフランス語だけが公用語である。

筆者の経験では、販売管理の受注センター(電話と夜間録音)は、英語とフランス語で注文を受け付け、それぞれの担当者が応対していた。コンピューターシステムは、英語とフランス語の2言語データベースで対応した。

5)インドの公用語
人口は、日本の約10倍、12億2千万人である。1965年の憲法で公用語はヒンディー語と定められ、植民地時代の公用語(英語)を15年でヒンディー語に切換えるとした。しかし、ヒンディー語の使用率が低い州、たとえば、タミル・ナードゥ州などからの反対があり、現在でもヒンディー語と英語の併用が続いている。

ヒンディー語はインド共和国の公用語であるが、他にも22の公的な言語を定めている。しかし、この22の言語は公用語と定義されない曖昧な存在である。

さらに、インド共和国の公用語とは別に州ごとに公用語を定めており、州の公用語にはヒンディー語と22の言語も含まれている。たとえば、アッサム州の公用語は英語とアッサム語、タミル・ナードゥ州は英語とタミル語であり、アッサム語とタミル語は共に22の言語に含まれている。しかし、ミゾラム州は英語とミゾ語であり、ミゾ語は22の言語には含まれていない。また、すべての州と直轄領は英語を公用語に含めている。

なお、共和国憲法では英語を公用語と認めないが、28州のうち3州、7直轄領のうち3直轄領は英語だけを公用語にしている。

インドの日常語は、方言を含む約850の言語といわれるが、大学のすべての授業は英語である。インドの公用語では、建前はヒンディー語、本音は英語と22の言語といえる。

ここで筆者のタイでの見聞になるが、1990年頃に進出した日系工場、数社は当時から社内公用語は英語である。しかし、建前は英語、本音は日本語とタイ語だった。ただし、業務システムは英語/タイ語であり、日本語/タイ語の画面は見たことがない。日本企業の言語問題は、「古くて新しい」課題である。

ここまで、世界の言語とその現状を、英語を中心に垣間見た。このような現状を踏まえて、次に、日本人の英語には何が重要かを筆者の経験と観点で検討する。

次回の「英語と他の言語(2)」に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---コンピューターの知識(1):コンピューターの歴史

2012-07-10 | ビジネスの世界
「まず、日本人たれ(2)」から続く。

2.コンピューターの知識
江戸時代の寺子屋は、庶民教育に大きく貢献したと思う。当時、寺子屋のおかげで「読み書きソロバン」ができることは当たり前、できなければ恥ずかしいという風潮があったと想像する。このためか、今日でも日本人の高い識字率と暗算能力は国際的に定評がある。

「読み書きソロバン」のソロバンは江戸時代の必須知識、同様に今日の情報化社会では、コンピューターの知識は必須条件である。ここでは、ソロバンをコンピューターに置き換えて話を進める。

まず、コンピューターの歴史とその本質を振り返る。

(1)コンピューターの歴史
ソロバンの起源には諸説があり特定し難いが、紀元前の時代から存在したのは確かである。紀元前のソロバンの他に、人類はさまざまな計算機を考案してきた。パスカルの加算機(1649年)やライプニッツの乗算機(1674年)などは、歯車を利用した機械式計算機として有名である。

1940年代に入って、数字そのものを扱うデジタルコンピューターがアメリカとイギリスに現れた。1942年に軍事目的のABC(Atanasoff-Berry Computer、米国)、45年のノイマン型コンピューター(英国)と46年のENIAC(米国)など、目的に応じたコンピューターが開発された。たとえば、ENIACは真空管 18,800本 リレー1,500個を使用する弾道計算用のコンピューターだったという。

さらに、50年から60年代には月面着陸を目指すアポロ計画に応じて、コンピューターは大きく進展した。それらは汎用コンピューターと呼ばれ、ロケットなどの技術計算ばかりでなく、会計などの事務計算にも利用されるようになった。その後、数々の技術革新を重ねて今日のコンピューターに至った。

60年代と現在のコンピューターの違いを整理すると次のようになる。

1)CPU(Central Processing Unit:中央処理装置)の小型化と高速化
CPUは記憶・演算・制御をつかさどるコンピューターの中枢である。40年代のCPUは真空管、リレー、トランジスターを使用していたが、60年代からIC(集積回路)やLSI(大規模集積回路)を使用するようになり、CPUの小型化と高速化が実現した。

2)データ記録の高密度化
コンピューターはデータを磁気テープなどに記録する。その状態を「データを記憶している」という。60年から70年代にかけて、データの記録方法が大きく進展し、記憶密度が非常に高くなった。したがって、単位面積当りのデータ記憶量が増大した。この頃は、磁気ディスク、磁気ドラム、磁気テープ、ICやLSIなど、データの記録媒体は日進月歩だった。その結果、数値や文字データだけでなく、白黒画像、カラー映像、さらにデータ量が多い動画の処理が可能になった。

3)通信ネットワークの進展
 60年代には、アメリカの大学や研究機関のコンピューターを結び、広域ネットワークを構築しようとするアーパーネットプロジェクト(Arpanet Project)がスタートした。その目的は、宇宙開発、コンピューター技術、臓器移植などの先端技術を国全体で推進することにあった。
 このプロジェクトで開発されたコンピューター同士を結ぶ通信規約、TCP/IP(Transmission Control Protocol/Internet Protocol)は、60年代中頃から実用段階に入り、現在のLANやインターネットでも使われている。
 ヒューストン大学の授業でも他大学やNASAなどにTSS(Time Sharing System)を接続していた。TSS端末の画面はソニーテクトロ二クス製、67年頃には有人カプセルのシミュレーション実習などに使っていた。教室で、ソニーテクトロの画面が一番良いと先生に褒められ、日本人として嬉しかった。
 通信ネットワークの媒体も、銅線(電線)と電波の他に光ファイバーに進化し、高速・多量データ伝送が地球規模で実現した。

4)データベースソフトの発達
 データベースソフトの分野では、アポロ計画と共にIBM社が開発に乗り出したIMS(Information Management System)、さらに生産管理システムに必要な部品展開用のBMプロセッサー(BOM Processor)は、データベースソフトの原点になった。
 データとデータを結び付るポインターやオンライン処理中の排他制御(Exclusive Control)は、データベースソフトの基本機能である。これらの基本機能は、60年代後半から実用段階に入り、その後も改善を重ねて、今日の高度なデータベースソフトが実現した。この頃から、通信機能付きデータベース(DB/DC:Data Base/Data Communication)が主流となり、遠隔地からデータベースを利用できるようになった。

高速CPU、大容量メモリー、通信技術、データベースソフトが互いに相乗して、80年代には大型汎用コンピューターは全盛期を迎えた。次に、90年頃から大型汎用機のダウンサイジングが流行語になり、企業ではコスト削減のために、安価で手軽なクライアント/サーバーシステムへの乗り換えが盛んになった。この頃には世界の通信ネットワークの信頼性も向上し、英語圏ではe-mailやインターネットが急速に広がった。

このようなコンピューター技術の大躍進を背景に、「工場管理7月号」で紹介したグローバルシステムの開発が90年代初頭に可能になった。グローバルシステムの実現は地球規模の通信ネットワークの賜物だったが、開発作業(各国の共同作業)そのものが国際ネットワークで容易になった点も大きい。

その一社はアリゾナの半導体製造業、他の一社はカリフォルニアのソフト製造業、2つのグローバルシステムだった。それぞれのプロジェクトでは、関係書類(標準語=英語)を本社の文書管理サーバーで一元的に管理し、各国の事業所はその情報を共有した。

各国選出のジョイントプロジェクトチームは、定例会、個別打ち合わせ、各国持ち帰り宿題の成果を文書管理サーバーに提出し、プロジェクトの進捗状況やシステムトラブルの解決状態も全世界に公開した。このようなプロジェクト管理のおかげで、筆者は2社のプロジェクトに同時に参画することが可能になった。

今日の情報化社会では、個人、企業ともにコンピューターの本質を理解していることが望ましい。コンピューター教育では出遅れた日本、次回は、65年頃のアメリカの教科書と筆者が社員教育用に作った珍しい資料(76年/95年)で、現代の「ソロバン」を“見れば分かる”ように説明する。

「コンピューターの知識(2)」に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---まず、日本人たれ(2)

2012-06-24 | ビジネスの世界
前回の日本人たれ(1)から続く。

(2)まず、日本人たれ
京都は、西山、北山、東山と呼ばれる山々に囲まれた東西約12kmの盆地である。その南側は、桂川、鴨川、淀川、木津川の合流地を経て大阪方面に開けている。

盆地の東側の山々は東山36峰、北の比叡山から南端の稲荷山まで続いている。最後の稲荷山は、稲荷神社の総本山、その歴史は和銅四年(711年)に遡る。

稲荷神社の本殿から、三ノ峰、二ノ峰、頂上の一ノ峰(233m)へと参道が通じている。頂上まで一気に登るとかなりきつい参道である。二ノ峰は中之社あたり、あの清少納言も苦しさを我慢しながら登った坂道である---“稲荷に思ひおこしてまうでたるに、中の御社のほど、わりなうくるしきを、念じのぼるに…(枕草子158段、993年)”。

頂上の上之社の左手の小道を進むとほどなく灌木の斜面にでる。その斜面に立つと、右前方の眼下に京都駅が東西に横たわり、その右手には京都の市街地が箱庭のように展望できる。京都駅には、新幹線の細長い列車がゆっくりと出入りする。右前方に西山の最高峰、愛宕山(924m)が見える。比叡山(848m)と鞍馬山(584m)は右手の森に隠れている。

1200年の歴史を持つ京の街を一望するとき、さまざまな史実がビデオの早送りのように頭の中を通り過ぎて行く。時には早送りを止めて、平安神宮前の京都府立図書館の文献で詳しく調べ、改めて過去を振り返る。この点で、稲荷山と平安神宮前の図書館が筆者の頭の中で結びついている。

見たところ静かな街並みだが、平安の頃、この盆地をたびたび襲った火の災い、風の災い、水の災い、地の災いの話が方丈記に出てくる。その方丈記は、この斜面の反対側、視界には入らないが5~6km東の日野山の奥で記された(1212年)。

南を見れば、南西に岬のように突き出る山の端は山崎、そこには水無瀬の宮がある。昔、業平一行が花見酒を酌み交わした場所である。“世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし”と業平、これに対して“散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき”との返歌(伊勢物語82段、905年)。高校の古文で教わったこの歌に感銘し、さっそく自転車で水無瀬の宮を訪れた。その時の様子は今も記憶に残っている。

この一ノ峰の斜面に立つとき、眼下の街並みの歴史を思うと同時に、自分の将来についてあれこれと考えた。

話は変わるが、この稲荷山には、「おもかる石」という試し石がある。

伝えによれば、石燈籠に向かって願い事をする。次に石燈籠の空輪(頭の丸い石)を両手で持ち上げる。持ち上げたときに予想より軽ければ願いが叶い、重ければ叶わないとのことである。

2002年にたまたま撮影した写真があるのでここに紹介する。

本殿近くの千本鳥居を抜けると、奥社奉拝所という小さな社に突き当たる。

            「おもかる石」への道(千本鳥居を抜けると奥社奉拝所)
            

奥社奉拝所の右奥に、石燈籠が2基、写真のように並んでいる。

            2基の石燈籠(奥社奉拝所の右奥)
            

多くの人々がこの石を持ち上げたので、空輪と受け口はかなりすり減っている。それぞれの願いは、千差万別、その内容と結果は知る由もない。

            「おもかる石」(すり減った空輪)
            

筆者が、この「おもかる石」を知ったのは高校生の頃だった。その時から、稲荷神社の熱心な信者ではないが、この「おもかる石」のご厄介になった。その頃の願いは“船乗りになりたい”だった。清少納言と同じように“稲荷に思いおこしてもうでた”といえる。

船乗りの願いは2年後に実現したが、その後も次々と願い事が出てきた。そのたびに、「おもかる石」に幸先(さいさき)を尋ねたが、答えは必ず“叶う”だった。それもそのはず、腹に力を入れて本気で持ち上げると「おもかる石」は意外に軽かった。ある意味では、吉や大吉ばかりのお神籤ともいえる。それでも、何もしないよりましと、真剣に「おもかる石」を持ち上げ、期待どおりの“叶う”に安心した。

コネも知り合いもいない海外への夢には、かなり無理がある。その雲を掴むような願いに、“叶う”とのお告げを受けて、本気になって夢に向かって歩き始める。姉には、いつまでも夢を追っていると叱られた。

夢の手掛かりを探すとき、名を名乗らなければ誰も相手にしてくれない。簡単な自己紹介と手紙の目的をタイプライターで書けば、必ず返事が返ってくる。ダメという返事や無回答も貴重な情報、その情報で一つの可能性を消去する。このような試行錯誤で少しずつ夢を具体化していく。善良な願いでかつ本気であれば、必ず手応えが返ってくる。

夢は、こころに描くだけでは実現しない。また、他力本願や金の力でも実現しない。自分の道は自分で切り開く、それが人生だと考えた。別の言い方では、自分の井戸は自分で掘るともいう。いつとはなく、このことを「おもかる石」から学び取った。この意味では、あのすり減った石は唯の空輪でなく、人のこころにやる気を起こさせる貴重な石だといえる。

商船大学への夢と「おもかる石」のお告げだけでは見事に不合格。そこで、本気になって平安神宮に近い予備校と府立図書館に通うのが日課になった。その結果、2年も浪人したが夢が叶った。やはり、努力なしには何事も成功しないと知った。

浪人の頃、図書館に近い南禅寺の疎水、丸山公園、桜並木の山科疏水【補足1&2参照】などを希望と不安、時には不合格という絶望を抱えて独り自転車で徘徊した。その後も「おもかる石」や京の街並みに助けられながら、ただ一度の人生は貴重、その貴重な人生を、努力を惜しまず、思う存分生きようとこころに決めた。

この肉体と考え方はメードインジャパン(日本製)、次回はその頭の一部にコンピューターと英語の知識を装備する。

【補足説明1】
 長く日本の中心だった京都は、明治維新の東京遷都(1869年)で産業の衰退と人口の流出で危機に直面した。しかし、当時の北垣知事や技術者たちは琵琶湖疏水の建設で京都の活性化に成功した。飲料水、水力発電、工業用水と水運を確保し、新しい工業や日本最初の路面電車で京都を単なる歴史的な古都に終わらせなかった。
 困難へのチャレンジと時代の先端技術を導入した結果が琵琶湖疏水である。今も、音もなく流れる続ける疏水だが、その流れは人間の英知と実行力をわれわれに物語っている。春はさくら、秋は紅葉が美しい桜並木の山科疏水は、知る人ぞ知る穴場である。インターネットで「琵琶湖疏水」を参照すると面白い。

【補足説明2】
 日本の平安時代と同じ頃、ペルシャ(イラン)にはオマル・ハイヤーム (Umar Khaiyam:1048年-1131年)という人がいた。彼は、数学者かつ正確なジャラーリー暦を作成した天文学者である。さらに、哲学者で詩人でもあった。彼の四行詩(ルバイヤート)は、英国人のフィツジェラルド(Edward FitzGerald、1809-83年)の英訳(1859年)で一躍有名になった。日本でも明治時代に訳本が出たが、小川亮作はペルシャ語の原詩を和訳した(岩波文庫、S22年)。
 143段の詩集で、イスラム教に反するが、酒をこよなく愛する詩人の四行詩は日本の「無常」にも通じる。ドライであっけらかんとした無常観は的を射ている。
 大学浪人時代に知った“(大切な)酒を売って何を買う?(110段)”は筆者の頭で“魂を売って何を買う?”に変化して、今もこころにかかる問いである。

次回に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---まず、日本人たれ(1)

2012-06-10 | ビジネスの世界
2.グローバル化への準備

現在、日本は歴史的な円高ドル安ユーロ安に見舞われている。このような世界の経済情勢で日本企業の海外シフトはさらに加速する。

ここで、本題の「グローバル化への準備」に入る前に、幾つかの統計で日本の姿を再認識して、今後の参考にしたい。

(1)日本の現状
昨今の流行語 グローバル化は別として、海運業界ではすでに4、50年前からグローバル化が始まっていた。それには、海運関係者以外の人々は気付いていないので、「工場管理7月号」の筆者の記事で【コラム2】として次のように実情を紹介した。

【コラム2】 外航船のグローバル化
 1960年代、日本は世界有数の海運国、外航船と乗組員は100%日本国籍、地球の津々浦々で仕事をするグローバルな存在だった。もちろん、50年以上の昔から航海日誌(Logbook)や操船用語は英語(世界標準語)だった。やがて、高コストの日本船と乗組員は低コストの外国勢に置き換えられ、少数の船会社がオペレーターとして生き残った。50年後の現在、日本国籍の外航船とその乗組員は無きに等しい。しかし、日本船や日本人船員抜きでも国際物流はますます発展している。これがグローバル化の1つの形である。
 グローバル化が進む現在、やがて在日外資系会社と同様に日本企業の業務報告やE-mailは英語になり各国の社員と情報を共有すると考える。さらに、今から50年後には人口が9000万人割れと高齢者が40%の日本、そのとき日系工場と日本の姿はいかになっているであろうか。今なすべきことは多い。
(主典:実際のトラブル事例から学ぶグローバル化の流れに乗ったITシステム構築の鉄則(上)、工場管理7月号、日刊工業新聞社、2012年)

この【コラム2】を裏付けるデータを、朝日新聞Globeの記事“「特急通過」、落ち込む日本”に見付けたのでここに引用する。

        
       (出典:朝日新聞Globe、May 15, 2012)

上のグラフから【コラム2】が指摘する「50年後の現在、日本国籍の外航船とその乗組員は無きに等しい」ことがわかる。また、グラフの“2003年10月神戸商船大学を神戸大学に統合”は、筆者のコメントである。同じ頃、国は東京商船大学と水産大学を合併して東京海洋大学を新設した(全国5校の商船高等専門学校には変更はない)。

さらに、次の表は【コラム2】の「日本船や日本人船員抜きでも国際物流はますます発展している」ことを示している。

     
      (出典:朝日新聞Globe、May 15, 2012)

【筆者のコメント】
1)1970年代の便宜置籍船の台頭で、価格の競争原理が国際海上物流を支配し始めた。これに対し
  て、日本政府は無策どころかコスト削減のためには商船大学も不要と考えた。
2)国際物流は地球人口の増加と共に増加するのは明らかである。しかし、日本は国際物流と造船の
  大きな市場から撤退し、物流の制海権を放棄した。
  四面海に囲まれた海運国が制海権を放棄すれば、その先には無条件降伏が待っている。
3)過去50年で失った制海権を回復するために今から50年かかると仮定する。その間に日本の人口
  は9000万人割れで高齢者が40%になる。船腹は金で確保できようが、船乗りは促成できない。
4)国際海上物流への国の無策は、「特急列車の通過駅」だけでなく、記事も指摘する有事においては
  最も大切な補給路を絶たれることになる。この事態の“想定外”は許されない。

 余談だが、第二次世界大戦の敗因の一つにロジスティックス(Logistics)があった。ロジスティックスは兵站(ヘイタン)学といい、物資や兵員輸送や後方支援に関する軍事学である。
 戦後、各地からの復員者たちは「自分たちの部隊は勝っていた」といいながら帰国した。それは、ロジスティックスを重視しない日本軍の戦略の結果だった。各地の戦線は、物資の補給を考えずやみくもに敵地の奥深くまで進攻した。勇敢な前進あるのみだったらしい。しかし、その勝ち戦が裏目に出て、補給路を断たれて孤立したと戦後の分析で明らかになった。
 その後、経営学などでロジスティックスという言葉とその重要性を知った日本企業は、運送業の社名などにロジスティックスという言葉を多用した。
 現代のロジスティックスはサプライチェーン(Supply Chain)であり、製造業の生命線である。なお、ロジスティック、つまり物流ネットワークの最適化には線形計画法(LP:グローバル工場---機能階層(5)、2012-02-25参照)を使用する。

さらに、日本の現状認識を新たにする2つの統計がある。それは、下に示す国連分担金とODA(国際協力政府開発援助)の支出金額である。いずれも世界第2位であり、「ノー」と云えない日本の姿を示している。

     
【国連の補足】
1)安全保障理事会の常任理事国=米、英、中、仏、ロシアの5ヶ国(第二次世界大戦の戦勝国)
  非常任理事国=各地域から10ヶ国を選出(任期2年)=アジア2、アフリカ3、中南米2、西ヨー
  ロッパ2、東ヨーロッパ1、以上が選出枠の国数である。
  拒否権:常任理事国にはあり、非常任理事国にはなし(日本は、金を出すが口を出さない)。
2)国連の分担金は、GNP(またはGNI:国内総所得)を目安に国連が決定する。
  日本はGNP(GNI)世界第3位、しかし、分担率は第2位で金額は約236億円(80円/ドル)である。
  日本の分担率と分担額などに疑問があり、外務省に問合せたが表は正しいとの回答だった。

     
ODAも年間約1兆5812億円(80円/ドル)の支出で世界第二位である。日本は、背丈を超えた過大な国際貢献をしている。これは、分不相応、ファーストクラスで出張する赤字会社の社長(【コラム7】参照)と云える。

母校を国家に消された船乗りの心情では、未曾有の被災、他国民よりまず自国民を最優先で支援しろと叫びたい。現在も国連分担金を滞納する国もあるが日本は真面目に支払っている。しかし、有事の日本、国連分担金とODAを1年や2年停止しても大勢に影響がない。まず自国の原状回復と被災者の癒しに全力を投入すべきである。それが国家の第一の責務であると同時に、せめてもの罪ほろぼしになる。

【筆者のコメント】
1)第二次世界大戦の終戦は1945年、以来世界情勢は大きく変化した。にもかかわらず、国連は当時
  の戦勝国を基軸にした運営体制を継続している。それは、すでに時代遅れの国際機関といえる。
2)国連とODAは共に政治経済の利権が絡む世界、きれいごとで済む世界ではない。もちろん、国連や
  ODAを否定しないが、これらを美化する必要はない。
  アメリカは、国連のリストラを求めて分担金の一部を支払わない時期があった。
3)かつての南北問題(北半球の先進国と南半球の途上国との格差)は様変わり、今では先進国や途上
  国に関係なくそれぞれの国内に深刻な格差が生じている。
4)この地球を覆うグローバル化の波、そこには新しいタイプの社会モデルが必要である。それは、国際
  協調のあり方の見直しである。この見直しは、海外進出企業だけでなく国連や日本のODAにも有効
  である。すでに「援助する国」「される国」の時代ではない。
5)「工場管理8月号」では、日本と進出先国が協調することにより、新しい道が開けて日本も蘇生すると
  提唱した。8月号には、グローバルシステムを開発中の話(【コラム7】参照)なども紹介した。

グローバル化の波に呑まれて、船尾に日章旗を掲げる商船がほとんど見られなくなった。しかし、日本の外航商船と同様に日系工場とその日本人社員を絶やしてはいけない。

ではどうする?この問いには即答できない。しかし、無責任な国家に頼ると失敗する。それが問題であり、このブログの課題である。

【コラム7】エコノミーで飛び回る社長
 あるアメリカの中堅企業が戦略システムを開発中に、業界の不況で会社が赤字になった。そこで社長は世界の事業所を一ヶ所ずつ回ってあらゆるコストの削減を求めた。その頃の社長はエコノミークラスで飛び回っていた。そのことを知ったとき、(世界中の)皆はあの社長らしいと納得した。
 もちろん、赤字会社の社長がファーストクラスでは様にならない。ファーストやビジネスをエコノミーに変えた効果は疑問だったが、プロジェクトは継続した。社長はエコノミー、コンサルタントはビジネスで気が引けたが、アメリカの担当者に規定だから心配しないでといわれた。5~7年に亘る戦略システムの開発、この間にいろいろな事が起こる。
(主典:実際のトラブル事例から学ぶグローバル化の流れに乗ったITシステム構築の鉄則(下)、工場管理8月号、日刊工業新聞社、2012年)

今回は「日本の現状」が長くなったが、次回は本題、「日本人たれ」に進んでいく。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする