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京都訪問---四条通りの変化(続き)

2015-10-25 | 地球の姿と思い出
今回は、前回の「比叡山(2015-08-25)」の続きであるが、内容的には前々回の「四条通りの変更(2015-08-25)」の続きである。

(3)新しい四条通り
前々回に「四条通りの変化」で紹介したが、四条大橋から烏丸交差点まで約1.2kmの四条通りは、片道2車線から1車線になり、その分だけ歩道が広くなった。この思い切った工事の完成予定は当月(10月)末だが、ここでは18日から21日の状況を写真で紹介する。

この工事には渋滞の心配などで反対があったというが、結果はどうか?

今日は10月18日の日曜日の正午ころ、下の写真のように広々とした幅6.5mの歩道を四条烏丸から三条大橋まで歩いてみた。

            新しい四条通りの横断歩道
            

歩いた結果、この時間帯では深刻な渋滞は見られなかった。ところどころに設けられた幅2.3mの停車スペースに長時間居すわる車もなく、車の流れはスムーズだった。少なくとも、7月の祭日に四条大橋から烏丸までタクシーで経験したような渋滞はなく、また、道路の構造から今後はあのような渋滞は起こりにくいと直感した。

下の写真は、四条大橋西詰から東山に向かう四条通りだが、歩道が広くなったせいか南座(右の大きな屋根)も以前よりすっきりと見えた。筆者が子供のころから南座の向かいは洋食の菊水(茶色のビル)、フィンガーボウルの水は指を洗うもの、飲んではいけないと兄に教えられた。母に連れられて行った“春のをどり”や“都をどり”などの記憶がこの写真で、今ふたたび、鮮明になった。

            四条大橋の西詰めから南座、祇園方面を望む
            

以前のこの辺では、狭い歩道を人びとは「セカセカ」と行き交っていた。しかし、今は写真のようにちょうどいい広さ、「セカセカ」は1200年を超える悠久のこの地にはそぐわない。

下の写真は平日(月曜日)の昼前の四条通りである。車道は意外に閑散としているが、歩道では観光客らしきさまざまな人びとと行き会った。

            月曜日の昼前の四条通り
            

聞くところによると車線数の削減による渋滞を恐れて四条通りを敬遠する車もあるとか、不要不急の車であれば近づかない方がいい。

下の写真は品物のデリバリーである。歩道には十分なスペースがありカートと歩行者とのトラブルはないという。

            荷物の配送
            

大型店舗では、宅配会社と契約しているので品物の搬入搬出には問題はないとのことだった。また、開店中に店の奥までカートで商品を直納しているケースもあった(直納=商品置場などに直接品物を納品すること)。

京都は観光地、市バスや私鉄のバスの路線が縦横に走っている。今回の工事では、河原町から烏丸にかけて四条通りに分散していたバス停を、四条河原町(D,E)と四条高倉の2ヶ所に集約、乗客の乗降を効率化したという。

それぞれのバス停には「おりば」が2ヶ所、「のりば」が1ヶ所だけ決めてある。下の写真は四条高倉バス停(烏丸の近く)、前方のバスは「のりば」の位置、後方のバスは「おりば」に停車している。「おりば」と「のりば」の分離で乗降が楽になった。

            バス停の状況
            

写真で分かるように片道1車線のために後続の車は停車中のバスに頭を押さえられる形になる。この時、バスの後方に車列ができ、一時的に渋滞が発生する。写真のバスの右に中央分離帯のゼブラ・ゾーンがあるので、バスを追い越す後続車も見かけた。

下の写真は、大手デパート横の停車スペースである。配送車の代わりにタクシーが4台、客待ちをしていた。4台のスペースで満杯、他の空車は駐車スペースがないので通り過ぎて行った。このデパートの倉庫はバックヤードにあるので、写真の停車スペースをタクシーが占拠しても支障はない。

            停車スペースのタクシー
            

タクシーに限らず、停車スペースは4、5台分で十分と考える。2車線の歩道側を一時停車(駐車)や走行に利用するのではなく、このようにはっきりと「停車スペース」と設定するのがよい。停車スペースの台数には限りがあるので、そこには自律・他律の両面からルールができ上がり長時間駐車を防ぐことができる。それでも厚かましく駐車する車があれば、遠慮なく取り締まることができる。

新しい四条通りは、すべてを解決したとはいえない。ときどき、信号と信号の間に下の写真のように車がつながることがある。四条通りでは青から次の青までの信号のサイクル・タイムは約75秒(河原町交差点は145秒)だった。

            平日午後3時ころの車列
            

バスの乗客が増える夕刻は下の写真のような状態になる。中央のゼブラ・ゾーンで停車中のバスを追い越す車も見たが、4日間の観察では信号2回待ちを超える渋滞は見なかった。

            平日午後6時ころの車列
            

今回の変更を評価すると、歩道=「大いに良くなった」 車道=「やや良くなった」 全体=「大いに良くなった」といえる。

今回は四条通りを行ったり来たり、バスも試乗した。ついでに、主な目抜き通りを詳しく観察した。

下の2つの写真は現在の四条通りと河原町通り、道幅は1950年代から変わらない。しかし、歩道沿いの店々には当然ながら新旧交代が起こっている。

            河原町交差点から四条通りの祇園方面(東方向)を望む
            

            河原町交差点から河原町通りの三条方面(北方向)を望む
            

昔から今も健在の老舗やデパート、一方では有名な書店、瀬戸物店、食堂、喫茶店などがいつの間にか消え去った。市電も消えて久しい。また、昔は外国でKyoto,Japanと云ったが今はKyotoだけで通用する。

都会は生き物、過去に縛られず未来に向かって変化する。そのため外国の観光客が増えて、四条通りが1車線になった。その新しい四条通りにも改善の余地があり、次にくる改善は、たとえばコンパクト・シティーの参考として役に立つ。

ここで視点を変えて、次回はハノイの様子を紹介する。

羽田から5時間、そこには日本と異質の世界、たとえば下の写真のような日常生活がある。そこではバイクが主役、車はバイクの波に埋没している。この交差点には信号があったが、一般的には信号はなく、信号なしのロータリーも多い。そこではバイク、人、車が混然一体となって止まることなく流れている。四条通りとは別世界だが、そこで生まれ育った人びとが四条通りのあちこちを歩いている。

            ハノイの交差点(2015-10-12撮影)
            

このようなハノイでの体験を「食」や「言語教育」や「観光」に触れながら「ハノイ旅行」として3回ほどに分けて紹介する。次回の内容は、「日本とグローバル社会の英語教育---ハノイ旅行(6)(2015-01-10) 」の続きである。

「ハノイ旅行」の後に本題の「日本の将来---5.展望(21)」を続ける。


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