船乗りの航跡

地球の姿と思い出
ことばとコンピュータ
もの造りの歴史と生産管理
日本の将来

グローバル化への準備---まず、日本人たれ(2)

2012-06-24 | ビジネスの世界
前回の日本人たれ(1)から続く。

(2)まず、日本人たれ
京都は、西山、北山、東山と呼ばれる山々に囲まれた東西約12kmの盆地である。その南側は、桂川、鴨川、淀川、木津川の合流地を経て大阪方面に開けている。

盆地の東側の山々は東山36峰、北の比叡山から南端の稲荷山まで続いている。最後の稲荷山は、稲荷神社の総本山、その歴史は和銅四年(711年)に遡る。

稲荷神社の本殿から、三ノ峰、二ノ峰、頂上の一ノ峰(233m)へと参道が通じている。頂上まで一気に登るとかなりきつい参道である。二ノ峰は中之社あたり、あの清少納言も苦しさを我慢しながら登った坂道である---“稲荷に思ひおこしてまうでたるに、中の御社のほど、わりなうくるしきを、念じのぼるに…(枕草子158段、993年)”。

頂上の上之社の左手の小道を進むとほどなく灌木の斜面にでる。その斜面に立つと、右前方の眼下に京都駅が東西に横たわり、その右手には京都の市街地が箱庭のように展望できる。京都駅には、新幹線の細長い列車がゆっくりと出入りする。右前方に西山の最高峰、愛宕山(924m)が見える。比叡山(848m)と鞍馬山(584m)は右手の森に隠れている。

1200年の歴史を持つ京の街を一望するとき、さまざまな史実がビデオの早送りのように頭の中を通り過ぎて行く。時には早送りを止めて、平安神宮前の京都府立図書館の文献で詳しく調べ、改めて過去を振り返る。この点で、稲荷山と平安神宮前の図書館が筆者の頭の中で結びついている。

見たところ静かな街並みだが、平安の頃、この盆地をたびたび襲った火の災い、風の災い、水の災い、地の災いの話が方丈記に出てくる。その方丈記は、この斜面の反対側、視界には入らないが5~6km東の日野山の奥で記された(1212年)。

南を見れば、南西に岬のように突き出る山の端は山崎、そこには水無瀬の宮がある。昔、業平一行が花見酒を酌み交わした場所である。“世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし”と業平、これに対して“散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき”との返歌(伊勢物語82段、905年)。高校の古文で教わったこの歌に感銘し、さっそく自転車で水無瀬の宮を訪れた。その時の様子は今も記憶に残っている。

この一ノ峰の斜面に立つとき、眼下の街並みの歴史を思うと同時に、自分の将来についてあれこれと考えた。

話は変わるが、この稲荷山には、「おもかる石」という試し石がある。

伝えによれば、石燈籠に向かって願い事をする。次に石燈籠の空輪(頭の丸い石)を両手で持ち上げる。持ち上げたときに予想より軽ければ願いが叶い、重ければ叶わないとのことである。

2002年にたまたま撮影した写真があるのでここに紹介する。

本殿近くの千本鳥居を抜けると、奥社奉拝所という小さな社に突き当たる。

            「おもかる石」への道(千本鳥居を抜けると奥社奉拝所)
            

奥社奉拝所の右奥に、石燈籠が2基、写真のように並んでいる。

            2基の石燈籠(奥社奉拝所の右奥)
            

多くの人々がこの石を持ち上げたので、空輪と受け口はかなりすり減っている。それぞれの願いは、千差万別、その内容と結果は知る由もない。

            「おもかる石」(すり減った空輪)
            

筆者が、この「おもかる石」を知ったのは高校生の頃だった。その時から、稲荷神社の熱心な信者ではないが、この「おもかる石」のご厄介になった。その頃の願いは“船乗りになりたい”だった。清少納言と同じように“稲荷に思いおこしてもうでた”といえる。

船乗りの願いは2年後に実現したが、その後も次々と願い事が出てきた。そのたびに、「おもかる石」に幸先(さいさき)を尋ねたが、答えは必ず“叶う”だった。それもそのはず、腹に力を入れて本気で持ち上げると「おもかる石」は意外に軽かった。ある意味では、吉や大吉ばかりのお神籤ともいえる。それでも、何もしないよりましと、真剣に「おもかる石」を持ち上げ、期待どおりの“叶う”に安心した。

コネも知り合いもいない海外への夢には、かなり無理がある。その雲を掴むような願いに、“叶う”とのお告げを受けて、本気になって夢に向かって歩き始める。姉には、いつまでも夢を追っていると叱られた。

夢の手掛かりを探すとき、名を名乗らなければ誰も相手にしてくれない。簡単な自己紹介と手紙の目的をタイプライターで書けば、必ず返事が返ってくる。ダメという返事や無回答も貴重な情報、その情報で一つの可能性を消去する。このような試行錯誤で少しずつ夢を具体化していく。善良な願いでかつ本気であれば、必ず手応えが返ってくる。

夢は、こころに描くだけでは実現しない。また、他力本願や金の力でも実現しない。自分の道は自分で切り開く、それが人生だと考えた。別の言い方では、自分の井戸は自分で掘るともいう。いつとはなく、このことを「おもかる石」から学び取った。この意味では、あのすり減った石は唯の空輪でなく、人のこころにやる気を起こさせる貴重な石だといえる。

商船大学への夢と「おもかる石」のお告げだけでは見事に不合格。そこで、本気になって平安神宮に近い予備校と府立図書館に通うのが日課になった。その結果、2年も浪人したが夢が叶った。やはり、努力なしには何事も成功しないと知った。

浪人の頃、図書館に近い南禅寺の疎水、丸山公園、桜並木の山科疏水【補足1&2参照】などを希望と不安、時には不合格という絶望を抱えて独り自転車で徘徊した。その後も「おもかる石」や京の街並みに助けられながら、ただ一度の人生は貴重、その貴重な人生を、努力を惜しまず、思う存分生きようとこころに決めた。

この肉体と考え方はメードインジャパン(日本製)、次回はその頭の一部にコンピューターと英語の知識を装備する。

【補足説明1】
 長く日本の中心だった京都は、明治維新の東京遷都(1869年)で産業の衰退と人口の流出で危機に直面した。しかし、当時の北垣知事や技術者たちは琵琶湖疏水の建設で京都の活性化に成功した。飲料水、水力発電、工業用水と水運を確保し、新しい工業や日本最初の路面電車で京都を単なる歴史的な古都に終わらせなかった。
 困難へのチャレンジと時代の先端技術を導入した結果が琵琶湖疏水である。今も、音もなく流れる続ける疏水だが、その流れは人間の英知と実行力をわれわれに物語っている。春はさくら、秋は紅葉が美しい桜並木の山科疏水は、知る人ぞ知る穴場である。インターネットで「琵琶湖疏水」を参照すると面白い。

【補足説明2】
 日本の平安時代と同じ頃、ペルシャ(イラン)にはオマル・ハイヤーム (Umar Khaiyam:1048年-1131年)という人がいた。彼は、数学者かつ正確なジャラーリー暦を作成した天文学者である。さらに、哲学者で詩人でもあった。彼の四行詩(ルバイヤート)は、英国人のフィツジェラルド(Edward FitzGerald、1809-83年)の英訳(1859年)で一躍有名になった。日本でも明治時代に訳本が出たが、小川亮作はペルシャ語の原詩を和訳した(岩波文庫、S22年)。
 143段の詩集で、イスラム教に反するが、酒をこよなく愛する詩人の四行詩は日本の「無常」にも通じる。ドライであっけらかんとした無常観は的を射ている。
 大学浪人時代に知った“(大切な)酒を売って何を買う?(110段)”は筆者の頭で“魂を売って何を買う?”に変化して、今もこころにかかる問いである。

次回に続く。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化への準備---まず、日本人たれ(1)

2012-06-10 | ビジネスの世界
2.グローバル化への準備

現在、日本は歴史的な円高ドル安ユーロ安に見舞われている。このような世界の経済情勢で日本企業の海外シフトはさらに加速する。

ここで、本題の「グローバル化への準備」に入る前に、幾つかの統計で日本の姿を再認識して、今後の参考にしたい。

(1)日本の現状
昨今の流行語 グローバル化は別として、海運業界ではすでに4、50年前からグローバル化が始まっていた。それには、海運関係者以外の人々は気付いていないので、「工場管理7月号」の筆者の記事で【コラム2】として次のように実情を紹介した。

【コラム2】 外航船のグローバル化
 1960年代、日本は世界有数の海運国、外航船と乗組員は100%日本国籍、地球の津々浦々で仕事をするグローバルな存在だった。もちろん、50年以上の昔から航海日誌(Logbook)や操船用語は英語(世界標準語)だった。やがて、高コストの日本船と乗組員は低コストの外国勢に置き換えられ、少数の船会社がオペレーターとして生き残った。50年後の現在、日本国籍の外航船とその乗組員は無きに等しい。しかし、日本船や日本人船員抜きでも国際物流はますます発展している。これがグローバル化の1つの形である。
 グローバル化が進む現在、やがて在日外資系会社と同様に日本企業の業務報告やE-mailは英語になり各国の社員と情報を共有すると考える。さらに、今から50年後には人口が9000万人割れと高齢者が40%の日本、そのとき日系工場と日本の姿はいかになっているであろうか。今なすべきことは多い。
(主典:実際のトラブル事例から学ぶグローバル化の流れに乗ったITシステム構築の鉄則(上)、工場管理7月号、日刊工業新聞社、2012年)

この【コラム2】を裏付けるデータを、朝日新聞Globeの記事“「特急通過」、落ち込む日本”に見付けたのでここに引用する。

        
       (出典:朝日新聞Globe、May 15, 2012)

上のグラフから【コラム2】が指摘する「50年後の現在、日本国籍の外航船とその乗組員は無きに等しい」ことがわかる。また、グラフの“2003年10月神戸商船大学を神戸大学に統合”は、筆者のコメントである。同じ頃、国は東京商船大学と水産大学を合併して東京海洋大学を新設した(全国5校の商船高等専門学校には変更はない)。

さらに、次の表は【コラム2】の「日本船や日本人船員抜きでも国際物流はますます発展している」ことを示している。

     
      (出典:朝日新聞Globe、May 15, 2012)

【筆者のコメント】
1)1970年代の便宜置籍船の台頭で、価格の競争原理が国際海上物流を支配し始めた。これに対し
  て、日本政府は無策どころかコスト削減のためには商船大学も不要と考えた。
2)国際物流は地球人口の増加と共に増加するのは明らかである。しかし、日本は国際物流と造船の
  大きな市場から撤退し、物流の制海権を放棄した。
  四面海に囲まれた海運国が制海権を放棄すれば、その先には無条件降伏が待っている。
3)過去50年で失った制海権を回復するために今から50年かかると仮定する。その間に日本の人口
  は9000万人割れで高齢者が40%になる。船腹は金で確保できようが、船乗りは促成できない。
4)国際海上物流への国の無策は、「特急列車の通過駅」だけでなく、記事も指摘する有事においては
  最も大切な補給路を絶たれることになる。この事態の“想定外”は許されない。

 余談だが、第二次世界大戦の敗因の一つにロジスティックス(Logistics)があった。ロジスティックスは兵站(ヘイタン)学といい、物資や兵員輸送や後方支援に関する軍事学である。
 戦後、各地からの復員者たちは「自分たちの部隊は勝っていた」といいながら帰国した。それは、ロジスティックスを重視しない日本軍の戦略の結果だった。各地の戦線は、物資の補給を考えずやみくもに敵地の奥深くまで進攻した。勇敢な前進あるのみだったらしい。しかし、その勝ち戦が裏目に出て、補給路を断たれて孤立したと戦後の分析で明らかになった。
 その後、経営学などでロジスティックスという言葉とその重要性を知った日本企業は、運送業の社名などにロジスティックスという言葉を多用した。
 現代のロジスティックスはサプライチェーン(Supply Chain)であり、製造業の生命線である。なお、ロジスティック、つまり物流ネットワークの最適化には線形計画法(LP:グローバル工場---機能階層(5)、2012-02-25参照)を使用する。

さらに、日本の現状認識を新たにする2つの統計がある。それは、下に示す国連分担金とODA(国際協力政府開発援助)の支出金額である。いずれも世界第2位であり、「ノー」と云えない日本の姿を示している。

     
【国連の補足】
1)安全保障理事会の常任理事国=米、英、中、仏、ロシアの5ヶ国(第二次世界大戦の戦勝国)
  非常任理事国=各地域から10ヶ国を選出(任期2年)=アジア2、アフリカ3、中南米2、西ヨー
  ロッパ2、東ヨーロッパ1、以上が選出枠の国数である。
  拒否権:常任理事国にはあり、非常任理事国にはなし(日本は、金を出すが口を出さない)。
2)国連の分担金は、GNP(またはGNI:国内総所得)を目安に国連が決定する。
  日本はGNP(GNI)世界第3位、しかし、分担率は第2位で金額は約236億円(80円/ドル)である。
  日本の分担率と分担額などに疑問があり、外務省に問合せたが表は正しいとの回答だった。

     
ODAも年間約1兆5812億円(80円/ドル)の支出で世界第二位である。日本は、背丈を超えた過大な国際貢献をしている。これは、分不相応、ファーストクラスで出張する赤字会社の社長(【コラム7】参照)と云える。

母校を国家に消された船乗りの心情では、未曾有の被災、他国民よりまず自国民を最優先で支援しろと叫びたい。現在も国連分担金を滞納する国もあるが日本は真面目に支払っている。しかし、有事の日本、国連分担金とODAを1年や2年停止しても大勢に影響がない。まず自国の原状回復と被災者の癒しに全力を投入すべきである。それが国家の第一の責務であると同時に、せめてもの罪ほろぼしになる。

【筆者のコメント】
1)第二次世界大戦の終戦は1945年、以来世界情勢は大きく変化した。にもかかわらず、国連は当時
  の戦勝国を基軸にした運営体制を継続している。それは、すでに時代遅れの国際機関といえる。
2)国連とODAは共に政治経済の利権が絡む世界、きれいごとで済む世界ではない。もちろん、国連や
  ODAを否定しないが、これらを美化する必要はない。
  アメリカは、国連のリストラを求めて分担金の一部を支払わない時期があった。
3)かつての南北問題(北半球の先進国と南半球の途上国との格差)は様変わり、今では先進国や途上
  国に関係なくそれぞれの国内に深刻な格差が生じている。
4)この地球を覆うグローバル化の波、そこには新しいタイプの社会モデルが必要である。それは、国際
  協調のあり方の見直しである。この見直しは、海外進出企業だけでなく国連や日本のODAにも有効
  である。すでに「援助する国」「される国」の時代ではない。
5)「工場管理8月号」では、日本と進出先国が協調することにより、新しい道が開けて日本も蘇生すると
  提唱した。8月号には、グローバルシステムを開発中の話(【コラム7】参照)なども紹介した。

グローバル化の波に呑まれて、船尾に日章旗を掲げる商船がほとんど見られなくなった。しかし、日本の外航商船と同様に日系工場とその日本人社員を絶やしてはいけない。

ではどうする?この問いには即答できない。しかし、無責任な国家に頼ると失敗する。それが問題であり、このブログの課題である。

【コラム7】エコノミーで飛び回る社長
 あるアメリカの中堅企業が戦略システムを開発中に、業界の不況で会社が赤字になった。そこで社長は世界の事業所を一ヶ所ずつ回ってあらゆるコストの削減を求めた。その頃の社長はエコノミークラスで飛び回っていた。そのことを知ったとき、(世界中の)皆はあの社長らしいと納得した。
 もちろん、赤字会社の社長がファーストクラスでは様にならない。ファーストやビジネスをエコノミーに変えた効果は疑問だったが、プロジェクトは継続した。社長はエコノミー、コンサルタントはビジネスで気が引けたが、アメリカの担当者に規定だから心配しないでといわれた。5~7年に亘る戦略システムの開発、この間にいろいろな事が起こる。
(主典:実際のトラブル事例から学ぶグローバル化の流れに乗ったITシステム構築の鉄則(下)、工場管理8月号、日刊工業新聞社、2012年)

今回は「日本の現状」が長くなったが、次回は本題、「日本人たれ」に進んでいく。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ再開のお知らせ

2012-06-01 | ことばとコンピューター
「ブログ再開のお知らせ」

4月10日以来中断していましたが、今月から再開します。

ブログを中断している間に、次の内容を要約・加筆した記事を日刊工業新聞社の月刊誌「工場管理7月号」と「8月号」に掲載して頂くことになりました。

1.グローバル工場---ビジネスモデル 2011-12-11
2.グローバル工場---機能階層(1) 2011-12-25
3.グローバル工場---機能階層(2) 2012-01-09
4.グローバル工場---機能階層(3) 2012-01-24
5.グローバル工場---機能階層(4) 2012-02-10
6.グローバル工場---機能階層(5) 2012-02-25
7.グローバル工場---機能階層(6) 2012-03-11

記事のタイトルは、特別記事「実際のトラブル事例から学ぶグローバル化の流れに乗ったITシステム構築の鉄則(上)(下)」(発売日:2012年6月20日と7月20日)となります。

内容は、日本の製造業がグローバル化の流れにうまく乗れるようにと願う記事です。それは、工場経営者へのお願いでもあります。ぜひ日刊工業新聞社の「工場管理7&8月号」をご購読ください。

---◇---◇---◇---◇---◇---

2010年8月26日に「ほのるる丸」の姿とともにスタートしたこのブログ、早くも2年近くが過ぎました。

「船乗りの航跡」は「紺碧の海に描く一筆の白い航跡」、それは様々な国や地域を訪れる筆者の航跡、同時にあの懐かしい「ほのるる丸」の航跡に重なります。

現在、長い航海で得た知識・経験・考察をこのブログにまとめています。もしその一部が日本の何かに役立てば望外の喜びです。

燃料が尽きるまで走り続ける私の分身「ほのるる丸」に対して国際信号旗、U旗とW旗を送ります。(国際旗旒(キリュウ)信号:U旗+W旗=安航を祈る、“安全な航海を祈る”の意味)

読者の皆様、どうか今後もこのブログを見守ってください。

【参考】「船乗りの航跡」の航海日誌(Logbook):
2010/07/01 「生産管理の理論と実践」 COMM BANGKOK社
 目的=日系工場の若い日本人に生産管理の基本を紹介⇒基本を踏まえた自己流は大きく伸びる。
2011/06/01 「Theory and Practice of Production Management」 COMM BANGKOK社
         (生産管理の理論と実践の英語版=図表と内容は日本語版と同じ)
 目的=現地社員に日本人と同じ内容の知識を紹介⇒知識の共有は相互理解と新しい協調を育む。
2012/06/20 & 07/20 「特別記事」工場管理7月号&8月号、日刊工業新聞社
 目的=海外工場の実態を経営者に紹介⇒現地人との共同作業で新しい日本の道が開けると提唱

 
次回以降、日本語力、コンピューターの知識、英語力と外国語の知識、日本への提言へと進みます。

以上

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする