高校公民Blog

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4分の1以上欠席すると1という呪術 1 修得条件の溶解

2010-09-23 16:52:28 | 授業・教科指導
成績のブラックボックス

   高等学校の成績というのは、ほとんどブラックボックスです。今後も、このスペースに警戒の目を向けることは考えにくいのが現状です。そして、それがますます、教育の進化を止める、と私は危惧しています。この成績がブラックボックスである、という点こそ、日本の学校というものの後進性が典型的に垣間見られる問題だ、と私は思っています。

「履修」と「修得」

 さて、その前に、成績についての基本情報を確認したいと思います。高等学校の成績が義務教育と異なるのは、単に出席していても卒業できないということです。業界用語でいう、「履修条件」と「修得条件」という二つのハードルをクリアしなければいけないということです。
 「履修条件」というのは、分かりやすく言うと「出席」ですね。通常、慣例として――これには、法的根拠はない!――法定時間の3分の1以上欠席すると、履修を認めない、となっているのです。法定時数というのは、年間35週です。その3分の1以上欠課してしまうと、履修条件を満たさない、つまり、かんたんに言うと、授業には1時間も出なかった、と見なされます。この条件を満たさないと、高等学校では単位認定のテーブルに着けなくなります。したがって、来年また、履修ということになるのです。
 じゃあ、3分の2以上出席すればいいのか、というと、もうひとつ、「修得条件」というのがあるんです。これは、かんたんにいうと「成績」ですね。私たちは指導要録という文部科学省によって定められた書式に従って成績を記録します。その記載に際しては、成績は、「段階」でつけられることになっています。この5段階で「」を私たちの業界用語で「未修得」、もっと俗的には「欠点」とか、「赤点」と呼んでいますが、この「1」をとってしまうと、いくら出席していても単位修得はできないことになっているのです。

4分の1以上欠席すると「

 私の公民のような教科では、3分の1を履修条件として、通常、出席条件を「修得」条件とはしません。ところが、実技科目は、好んでこの履修条件に加えて、修得条件にも「出席条件」を付け加えるのです。それが表題の「4分の1以上の欠席」です。
  「実技科目は、授業に出て活動することが大切だ。だから、出席を修得条件とする」 この一見、当然そうな言葉の中に、まったくお話にならない、でたらめが込められているのです。
 みなさんは、お分かりになりますか?
 現在、私の所属する静岡県では、成績評価を「観点別(到達度)絶対評価」 という舌をかみそうな評価方法で評価を出しなさい、と私たちは指導を受けています。この「観点別(到達度)絶対評価」をくわえたとき、私たちは、この4分の1以上の欠席が未修得という制度が、いかに時代錯誤なものなのかが、わかります。

一つの仮定

 この4分の1以上の欠席(以下「4分の1」と略記)の問題点は、一つの仮定を設けることで明らかになります。それは、あまりに単純な仮定です。いま書きましたように、私たちは、3分の2以上の出席をすれば、成績は「1」から「5」までつけることになっています。つまり、「1」から「5」までの成績がつく可能性があることになります。いいかえると、こういうことです。

すべての授業に出ても「1」という可能性がある

ということです。 こういう生徒はまれでしょうがいないとは限らないでしょ?

全部授業は出たが、「1」

 こういう生徒を想定してみましょう。つまり、授業に出たが、修得には至らなかったという生徒です。つまり、これは、こういうことを意味します。

履修することは、修得することを保証しない。

ちょっと論理学的な表現をすると、

履修は修得の必要条件ではあるが、十分条件ではない

 この帰結は、次の疑問を提起します。

「4分の1」の生徒が、かならず、修得条件をクリアしない、とどうして言えるのか?

 この疑問をまじめに考えることではっきりすることは、「4分の1」条件を付与している教科の修得条件の基準のずさんさです。
 「4分の1」以外に、出席条件を修得条件として勘案する、などという「めんどうなこと」は大体していません。全部の生徒に全段階について、この条件を付与することを考えてください。

「全部出ればどうなるのでしょうか(笑)?」
「4分3以上出たら(笑)?」
・・・・・・・・

 この質問に回答できたら宇宙人です(笑)。
 いえ、もっと露骨に言えば、いったい、こうした「4分の1」条件を付与して成績をつけている教科集団は、「修得」というものをまじめに考えていないということです。

修得基準の溶解

 つまりこういうことです。「4分の1」条件を付与している教科集団は、こと「4分の1」については、まったく修得基準がないドロドロに溶けてしまっている、というのが現実です。だから、聞いてみればいいのです。

「履修は修得の必要条件ではあるが、十分条件ではないですよねえ?だったら、どうして「4分の1」の生徒が、かならず、修得条件をクリアしない、とどうして言えるのでしょうか?

 ここまで書いてきてあることに気付かれた方は、この業界のブラックボックスを理解した方だと私は思いますね。つまり、この問いそのものが、現場にはないのです。いえ、ないのではありません、あり得ないのです。 それは、 あり得てはならない(笑) ということなのです。フロイトが無意識と呼び、抑圧という概念で表象したことがらなのです。
 私は、この問題を先日表に出してしまいました(笑)。そのときの、この社会の、風景はこう表現すればいいでしょうね。 「みてはいけないものをみてしまった」 ここに、現代日本の教育の闇があります。


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