高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

まなざしの声 2 その正体は何か?

2006-11-13 23:57:02 | Voice

まなざしの声

「まなざしの声?」

まなざしに声があるというのは奇妙な表現です。しかし、

「目は口ほどにものをいう」

といいますね。目はけっこう雄弁に、そして強烈に、獰猛にもの語るのではないでしょうか?

みなさんも何か公衆の面前で失敗こいたとき、どこからともなくあざ笑いとともに

「バカじゃねえ!」
「黙っていろ!」
「ウザイんだよぉ!」

などというまなざしの声を聞いたことがないでしょうか?

まなざしの声の正体

以下の文章は、まなざしの正体は何か、という問いに対する、生徒のコメントです。コンテストを行い、優秀であると生徒が選挙したものです。

1 陽気な死神 
うしろにすわるとそれだけで自分の姿を直視できる人間が少なくなる。監視されることで自分の言動があらわになり笑われるのを嫌う。恥ずかしいとか思う。それだけでなく、うしろにすわれば自分を監視者にすることができる。前にすわっている人間のバカな言動をみてあざ笑うことができる。いうことが頭のどこかでわかっているため、自分が前にすわった時、自分の見えないところで自分を笑う人がいるように感じる。他人がバカなことをしたときにそれを本気でバカにする自分がいるから、どうしても自分の立場に置き換えてしまう。そういう、錯覚が「まなざしの声」の正体。

 
声は自分に自信のないときに聞こえてくると思う。そういう風になったのは中央高校に来てからだけど、発言したくてもだれも手を挙げないし、何のリアクションも示さない。まるでしゃべっちゃいけないみたいな感じになっている。そんなプレッシャー、というか圧力の中、発言したいなーと思っても聞こえてくるのは

「お前は何しゃしゃってんの?キモイよ」

的な周りの声ばかりなので言いたくなくなる。別に実際周りがそう思っているかって考えると、多分みんな同じプレッシャーを感じているので、そういう声は自分の勝手な思いこみなんだろうけど、やっぱりこの学校で自分から発言をするのは難しい。


声の正体は自己の持つ被害妄想による警告である。社会には、六法から始まり、身近なとこでは拘束などわれわれの自由を縛る「法」が存在する。これらは常に一部の権力者によって決定されている。そして、教室という小さな社会においての権力とはより野性的なものであり、その有権者とはいわゆる「不良」である。つまり、教室の後方に座ったり、発表の挙手ができないというのは、真面目を良しとしない不良によって生み出された慣習法なのである。そして、この法を犯しそうになったときの警報としてまなざしの声は発せられるのである。

4 ヤシの木
まなざしの声の正体は自分のプライドである。よーいどんで皆の前で転んだとする。その行動は「情けない、バカみたいだ」と、とても自分のプライドを傷つける恥というものである。周りの視線や空気から聞こえているように思えるが、実際は恥と思った時の自分の心の声なのである。現実、人の恥をみて気分が良くなるのが人間なので同時に外からも声があるのであろう。プライドのせいである。

5 中央生
 何だとは言えない。言えないがそこに居るのだ。それはフラフラとやってきて、その場を支配する。強い強い力を持っている。でも一方で、半数、もしくは近くの“それ”に逆らえる人間が現れた時に、一目散に逃げ出してしまう弱さも持っている。“それ”はきっと自分の中にも自分の外にも住んでいて、逆らおうとすると声を発するのだ。
「私に逆らってはいけない」と。
“それ”は集団を意識することによって生まれ、独りになった時に死ぬもの。目には見えないが、いつもそこに居るもの。ほら、あなたの後ろに・・・。


 この授業では特にですが、割と多数の人が自主的に発言をしなくて、進んで発言する人が何人かいますね。進んで発言する人の意見が、私はすごく嫌いです。というか、不愉快です。見ていて。自分が発言して他人が不愉快になる可能性があるなら、もしくはそうなったら申し訳ないので私は発言しません。発言の内容によるかもなんですが。

7 
その声はきっと過去にだれかに文句?そういう傷つく事を言われた事があるか、敏感になっているんだと思う。本当は別に何も周りは言っていなくても精神的に敏感になっていて、みんな
「何だアイツ?」
とか言っていると思い込んでいるんだと思う。被害妄想。誰かに傷つくことを言われれば、
「あっ自分ってこういう人間なんだ」って少しは思うと思う。だから、周りもそう思っているに違いないかな?って自分で勝手に考えちゃうのかも知れない。そう思ったりするのは人それぞれだと思うけど。


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4 コメント

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どーゆー学校? (YK)
2006-11-14 19:03:26
うちのクラスでは、みんなどんどん発言します。言いたいこともどんどんいえる。失敗もあり。先生もみんなに混じってわきあいあいです。集団になじめない子は、尊重してくれるから、仲間はずれもはっきり言ってないですね。それなりの人間関係は形成されています。

なんか中央さんて、みんなが、びくびくしていて、ひやひやしていて活発ではなく、お互いの成長を喜び合ったりできない陰湿で、暗い学校のイメージがあります。この受け取り方って間違いですか?
返信する
いいえ (Sin)
2006-11-15 00:05:32
びくびく、ひやひやは思いすぎかもしれないけど、
その通りだと思います。
そういう感じが分からない人もなかにはいるみたいです。
返信する
中央高校にいじめがないのはうそ! (さむこ)
2006-11-15 17:46:57
1番から7番さんまでよむと、
錯覚、プライド、被害妄想
って言葉が出てきます。これらは自分の中から出てくるものです。自分の勝手な・・・・・・・・。ホントにそうでしょうか?何か失敗したとき自分以外の何かが声を発してきませんか?これこそいじめの空気だと思います。自分が悪いのだと思い込ませる雰囲気。自分はどうしようもない人間だと思わせる空気。これこそが 

見えないいじめの正体

ではないでしょうか。「中央高校にいじめがあるの?」って変な質問をする先生が時どきいますが、(実は結構いるが)いじめがないってのは絶対うそです。木村先生がいっている

まなざしの声

こそがいじめを追及する鍵だと思います。
返信する
そうでしょうか? (Kimura Masaji)
2006-11-19 19:53:33
YKさんへ
人の幸せはうらやましいのかしら(笑)?YKさんのお書きになられたことは事実かも知れません。多分推測ですが、YKさんの学校は学年制ですね?私は学年制のクラス一斉授業というのはかなり問題があるシステムだと考えています。40人もの人間がまったく好き嫌いに関係なく放り込まれ、うまくやれ、ということが要求として無理があるのです。そんなところで生活して、問題がない方がおかしいのではないか、と思います。中央高校に来る人はある意味でその問題に敏感な人が多い。そして、それは私からみるとまともに見えます。40人もの見ず知らずの人間が、集められて朝から晩まで一緒で、月曜から金曜まで一緒で、4月6日から3月20日あたりまでいっしょ、でそれで団結しているというのは、無理があります。むしろ、そのなかで無理をガマンしている人がいると考えた方がいいと私は考えています。スーパーにいきます。みんなそれぞれ自分の目的に応じて、店を訪れます。コンサートをみても、同じ趣味の人が集まるのです。学校だけなのです。意味もなく強制的に一つの集団に押し込められているのは。中央高校はそういう無理を制度として破壊しようとしている学校です。だから、まなざしの声が問題になるのです。さむこさんがお書きになられているようにだから、まなざしの声がどうして発生するか、そこに敏感になるのです。中央高校はいじめにくい構造になっています。だから、まなざしの声がなぜ発生するのか、という問題を考えるにはもってこいの学校なのです。
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