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高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

プライバシー権なんてららら

2006-06-18 09:35:36 | 政治分野の授業

プライバシー権の定義

 多くの憲法書によれば、プライバシー権は近年

「一人で放っておいてもらう権利」

という古典的な意味から

自己情報をコントロールする権利

というように意義変換がなされているってなっています。
 さて、ではみなさんは、下の問題にどのように答えますか。これは私の2006年度の『現代社会』の試験問題です。試験問題ですが、実話です。私が相談を受けたものを、試験問題にしたのです。

「これから先生がテストをできた順に点数と名前を呼びながら返却します」といって実行したとします。これが、「プライバシー権」を侵害するという立場に立ち、どうして侵害するのかを説明しなさい。そのさいに、「プライバシー権」とはどのような人権かを明確に記述すること。
 

「この程度は当然」という反応の前提

 正解例を示す前に、あなたにお尋ねしますね。みなさんはこの教師の指導をどのようにお考えになりますか。じつは、こと私の職場をみれば、この程度で驚くことはできませんね。

「この程度は当然」

こういう、教員はかなりの数にのぼるとみています。
 さて、このようなことが堂々と行えてしまう前提をどのようにみなさんはお考えになりますか?どうして、このようなことが平気で行えてしまうか、ということです。
 じっさい、これを実施した教員は正当だと考えて実施したのです。どのような、社会経済的条件がこのような姿勢を認めてきたのか、そして、現在、なぜこのような姿勢が問われているのか、それはどういう状況転換がなされたからなのか?
 ちなみに、私はこういう姿勢が十分正当性を得ていた時代から、もはやこうした姿勢ではどうにもならなくなった時代への転換を学校は迫られているとみています。正確にいうと迫られているのに構造転換ができず、時代錯誤を繰り返しているとみています。
 おざなりに考えてはいけません。このような姿勢では食っていけなくなる、そういう転換点なのだ、というのが私の認識です。それは道徳ではありません、必然です。

生徒に見られたイマイチの解答例

 多くの生徒のみなさんが答えて間違いではない――というより殆ど正解なのだけれど、「イマイチ」の解答例が下のものです。

「なぜ、プライバシー権を侵害しているかというと、生徒の点数やデキが悪いという事実を公表してしまったから

 これが惜しいのは、こういうことです。プライバシー権というのは、その公表をするか、しないかの決定、つまり、情報のコントロール権が本人にあるということです。ですから、本人に対する了解を得れば、すべて公開はいけないということにはならないのです。
 したがって、問題なのは、公表をしたことではなく、公表をすることについて本人に同意、了解を得なかったことなのです。

「なにィ!このクソバカヤロー、てめえら○○に、了解だ?ふざけるな」

 これが今まで通っていたのです。それが、少し挑発的に書けば

「なにィ!このクソバカヤロー、てめえらオレの了解もなしになんだって公表したんだ?ふざけるな」

 というのが〈常識〉になるだろう、ということなのです。
 それにしても、何ゆえこれまでとおってき、何ゆえこれから通らなくなっていくのか?
ちなみにこの問題は経済という角度になります。考えてみてください。


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