復習をします。学習指導要領上では、必履修科目についてこのように規定しています。
「すべての生徒に履修させる各教科・科目(以下「必履修教科・科目」という。)は次のとおりとし,その単位数は,第2款の2に標準単位数として示された単位数を下らないものとする。」
この文章の中に、おやっ?と思わせる箇所があります。それは、なんでしょうか?ということでした。おわかりになりましたか?
学校で暮らしていると、そして、生徒というポジションに立っていると、おやっ?て思うことがあるはずなんです。
「おや、古畑さん、どうも、古畑さんならわかると思っていましたけど、どこですか?それは?」
「ええと、それはですね。一番はじめの文章にあるんです。ふふふ、一番初めの「すべての生徒に履修させる各教科・科目」の「させる」です。」
「え?それがどうしておかしい、と?」
「つまり、こうです。この文章は、文部科学省が出しているものですよねえ?」
「はい、そうです。」
「ということは、この「させる」にあたる「させられる」のは教員ですよね。」
「どうして?」
「だってこの文章はいってみれば業務連絡なわけですから。文部科学省という本店が、支店の店員である教員に「生徒に履修させる」んです。わかりますか?つまり、義務を帯びているのは、生徒ではありません。教員が義務を負っているんです。「させる」」
「ということは、生徒は?」
「権利者なんです」
「そういうことになりますね。」
「だから、おかしいんです。金を払った。じゃあ、商品は自分のものだ。これが権利者ってものです。ところが、実際は違います。ここに学校の深い呪術が存在しています。学校では、教員が「生徒にさせる」つまり、生徒=義務者になっているのです。ちがいますか?」
「え、まあ、確かにそうかもしれませんね。文部科学省が、学校関係者に生徒に最低限度「させる」ものとして、命じているものがいつのまにか「生徒に命じ」ているだけのものとなり、教員から「義務」感が脱落しているのかもしれません。学年制の学校へ行きますよね。すると、そこには、必履修という感覚が一切ありません。全部、生徒がしなければならないもの、というようになります。教員は、どれが必履修かもよくはかんがえていません。なぜなら、学校が、ほとんどすべて履修する科目を決めてしまうからです。その点、単位制高校はまだわかりますね。選択科目が多いから、確かに」
「ええ、でも。ここでも、「させる」の「させられる」対象が教員であるという自覚が教員にも生徒にもほとんどない。つまり、学校には、法律上、権利者がいるはずなのに、いないってことになるのです。これが驚きなんです。学校には権利者がいない(笑)」
「ってことは」
「いいですか、権利は義務があるから発生します。ところが、学校には権利者がいないんです。ということは、義務さえないんです。ふふふ、わかりますか?」
「ええ?」
「学校は権利と義務という関係以前の社会だってことです」
「・・・」
「授業料じゃなくて」
「年貢(笑)」
「そうなんです。古畑仁三郎でした。」
必履修という義務 1 学習指導要領上の意味 その1
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