はたらくママのこころの中

仕事に育児・・・いつも悩みは尽きないけど、やっぱりどちらも面白い♪

スーパームーン

2011-03-29 00:46:27 | 写真
3月19日の夜。

月がとてもきれいだったので、
久しぶりに外に出て写真を撮りました。





あとから知ったのですが、この日は満月が18年間で
一番地球に近づいた「スーパームーン」と言われる日だったそうです。


この前、電車の中で女子高生が
自宅が計画停電中だったから余計に月が明るく見えた、
と話していました。


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通学路を歩かせる

2011-03-27 17:11:46 | ryu
3月の3連休中に、ryuにランドセルを背負わせて
小学校の通学路を一人で歩かせてみました。

家の鍵を閉めてから
鍵を開けて家の中に入るまでの予行練習です。

私と主人はryuに見つからないよう尾行しました。

登校時の門と、学童が終わって下校時に使う門が違うので
帰りは反対側の門に廻らせて、そこから家に帰らせました。

フラフラしながらも、まぁなんとか無事に帰宅。

ryuが自分で鍵を開けて部屋に入ったのを確認した後、
主人と私は10分ぐらい外で時間を潰してマンションまで戻りました。

「試しにインターホン鳴らしてみたら?」

家に一人でいるときは出ちゃダメ、と言っていたはずなのに
あっさり出ちゃいました。

『はい、○○○○です(←ご丁寧にフルネーム)』

「○○さんのお宅ですか?」

『はい、どうしましたか?』

「お父さんとお母さん、いますか?」

『あっ……』
 (たぶんここでマズイと気づく)

「ぼく、一人ですか?」

『いまちょっといないので、また今度にしてもらえますか?』

「お父さんとお母さんは?」

『ごめんなさい。また今度にしてください』

「ぼくに宅急便で、しまちゃん(しまじろう)持ってきました」

『はい、今すぐ行きます!』

「………」


数分後、ryuは鍵も持たずにエントランスまで走ってきました。

『あれ?パパとママ、なんでここにいるの?
 いま宅急便の人がしまちゃん持ってきたんだけど。
 あれ?どこいっちゃったんだ?』


鍵を持たずにエントランスに出てきたため、
私たちがいなければオートロックの中に入ることはできません。
もちろん玄関の鍵も開けっ放しでした。

部屋に3人で戻ってから、ryuにはすべてを話し
気をつけるように改めて言いました。

途中までは完璧だったのになぁ。
まぁでも合格点とするか。
一気には覚えられないだろうし。

うーん、まだまだ何が起こるかわからないぞ。


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卒園まで1週間

2011-03-26 23:44:15 | ryu
気がつけば3月も下旬。

ryuの保育園生活も残すところあと4日となりました。

3月も後半になれば、これまでの思い出にでも浸りながら
保育園の送り迎えをすることになるのかしら……
なんて思っていましたが、地震の影響もあり
なんだかバタバタで先週は一度も送り迎えできませんでした。

通常通り迎えに行って、さよならを言って
翌日から学童に通わせることになるのかもしれません。

でもやっぱり最後ぐらいは、
6年間の保育園生活最後の締めくくりを
きちんと自分でしたいな。


もう毎朝送る必要も
仕事帰りに迎えに行く必要も
なくなってしまうのですね。

楽なはずなのに、
どうしてこんなに寂しい気持ちになるんだろう。


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地震

2011-03-17 21:31:23 | もろもろ
地震から一週間が経ちます。

我が家は皆無事です。

地震当日、私は茅場町の東京証券会館にいました。
突然の揺れ。古い建物なので、きしむ音がしました。
怖くて机の下にもぐりました。

研修中だったので、パソコンもなく情報も入ってこない。
誰一人知っている顔がいない。研修は中止となり、
揺れがおさまったところで会社に戻ることにしました。

しかしタクシーがしばらくの間つかまらない。
たまたま一台のタクシーから乗客が降りるのを見つけ、
入れ替わりで乗り込みました。

車に乗っていれば揺れは感じないだろうと思っていましたが
とんでもなかったです。まるで遊園地のアトラクションか
何かに乗っているかのように上下に揺れました。
隣の車線に大型トラックなど来ようものなら怖くて……。

道路には今まで見たことがないくらい人が溢れていました。
特に皇居はすごい人でした。

余震が起きるたびに、ビルがしなっているのが
タクシーの中からはっきりわかりました。

会社に着いたのが16時半頃。
タクシーを降りようとしたら、前から後ろから
お客さんが走ってくるのが見えました。
運転手さんは「トイレにも行けない」と言っていました。

見慣れている景色、そしていつも通っているビルに着き
ホッとしたのも束の間。
エレベーターがすべて止まっていました。

途中までエスカレーターが動いていましたが、
非常階段で27階分上るしかありませんでした。

息を切らしながら上っていくと、
途中でグループ会社の経理部の女性とすれ違いました。
2歳ぐらいのお子さんがいるんだったかな。
「これから保育園に子供を迎えに行ってきます」
と急いで階段を駆け下りていきました。

非常階段では思わぬ再会も果たしました。
すれ違いざまに「kakoさん?」と呼び止められ見ると
4年ほど前に一緒に仕事をしたことのある方でした。
独立してコンサル会社を経営しているとのこと。
「4年前に送ったメールでkakoさんを
傷つけたんじゃないかとずっと気になっていて……」
そういえばそんなこともありましたね~と
非常階段の踊り場で笑いながら話しました。
とても嬉しかった。

ひーひー言いながらようやく自分の会社に着いたとき
心の底からホッとしました。
高層階にいる怖さよりも仲間のところに戻れた
心強さのほうが大きかったです。

そして会社の固定電話からようやく家族と連絡を
とることができました。
実家の両親がすでにryuを保育園から連れ帰ったと聞き
どれだけ有難かったことか。


その日は、電車が全線ストップ。
最初は冗談で「泊まるか歩くか」なんて話を
していたのですが、冗談ではなくなってしまいました。

夕方になり同僚たちが次々と覚悟を決めて
歩いて帰り始める中、私は父に車で迎えに来てもらいました。

同じ方面に住んでいる若い女性社員が数名いたので
一緒に乗せて帰ってもらうつもりだったのです。

7時に自宅を出た父が会社についたのが9時ちょうど。
通常だったら首都高で30分ぐらいの道のりです。

お台場から歩いてきたjunyaくん(妹のだんなさん)も
無事合流でき、これで自宅まで安心して帰れると思ったのですが……。

車がまったく動かない!!

30分間で進んだ距離は15メートル。
六本木一丁目から六本木六丁目のアマンドまで3時間かかりました。
(徒歩20分)

車に乗って1時間ほど経ったところで電車も一部動き出し、
結局、会社の女性陣には電車で帰ってもらいました。

午前0時を過ぎても多くの人が道を歩いていました。
青学が避難所として開放されており、
寒さをしのぐ銀色(アルミ?)のシートを被っている人を
たくさん見かけました。

R246も渋滞。
しかし、それまで閉鎖されていた首都高に池尻大橋から
乗ることができて、そこから10分程度で自宅までつきました。
家に着いたのは、午前2時半過ぎ。
246をあのまま走っていたら帰宅は明け方だったでしょう。

ryuはそのまま実家に預け、
一人で恐る恐る自宅の部屋に入りましたが
幸い何一つとしてモノが落ちている様子はありませんでした。

主人も通常通り仕事を終えたあとに自転車で帰ってきました。
育休中の妹も、姪っ子のyuinaも無事でした。

まだまだ予断を許さない状況ですが、
近くに家族がいてくれるだけで心強いです。
笑顔が絶えないのが本当に幸せだなと感じます。


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塞翁が馬

2011-03-01 23:41:35 | ryu
人間万事塞翁が馬とは言うが、ryuに奇跡が起きた。

2月14日のこと。
保育園から職場に電話がかかってきた。

ryuが頭を切って流血しているので病院に連れて行く、
といった連絡だった。

お友達と揉め事になり
相手が投げた積み木だか何だかがぶつかったらしい。

保育園に迎えに行くと、
たいした怪我ではなかったにも関わらず、
頭にネットをはめられ大げさな格好になっていた。

たまたま相手が投げたものがぶつかっただけで
どうせ喧嘩はryuのほうから仕掛けたのだろう、
なんて思っていたら今回はどうも違っていたらしい。

「●●君が△△子ちゃんをいじめていたから助けたんだよ。
 そうしたら●●君が積み木を投げてきて、
 ryu、ボーっとしていたからよけられなかった」

と言うのだ。
それを聞いても半信半疑だった私。

ところが翌日、その女の子からお手紙が・・・。

『ryuくん、きのうはたすけてくれてありがとう』
ハートの形のチョコレートも付いていた。

人間万事塞翁が馬。


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