お城のデータ
所在地:甲賀市甲賀町高野字山出 (甲賀郡甲賀町高野字山出) map:http://yahoo.jp/Ftob7t
築城期:室町時代
築城者:
初城主:大原源三
区 分:丘陵城
標 高:231m 比高差30m
遺 構:曲輪・土塁
目標地:県道4号線沿いの福生寺(背後の丘陵に高野東城)
駐車場:路上駐車
訪城日:2014.7.16
お城の概要
甲賀町高野の寺井集落の北方丘陵先端部に位置し、集落より比高30mを測る。北東の尾根続きには堀切などの遺構は見られない。
中心の曲郭は、南側を除く土塁に囲まれた城の曲郭1あり、いちばん広く東の土塁の高さ4m、北側3m、西側2mである。北東隅に階段と四阿(あずまや)が壊れているが、設けられ開口している。その上に祠を祀る。歓談上から平坦地が東方へ120m続くが堀切はなく自然の地形と見る。
尾根の南側下に平坦地曲郭3は20mの方形、曲郭1と曲郭3の間に帯曲郭状4の平坦地で結ぶ。主郭の西側に曲郭2(20m×30m)、さらに下に平坦地を見る。
西山麓には下池(50m×80m)が水堀。城の四方に大小の溜池が残るが後世の灌漑用溜池か。
歴 史
大原源三(文書によっては源三郎)は鈎の夜襲で功を上げ甲賀21家に数えられている。
勝井氏系図によれば、盛景の子家朝の筋で父は家村(垂井四郎)である。家村は大原中の甲斐屋敷(垂井城跡)の主であり油日神社の「油日神社再建奉加帳」に「垂井甲斐守」の名がみえる。
その家村の子に家貞、為家、惟家の兄弟があり、為家が大原源三のことである。源三は戦国期には大原中の他大原市場、高野等を領有した
登城口
遠景
目標地:県道4号線沿いの福生寺(背後の丘陵に高野東城)
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)、淡海の城、日本城郭体系11、近江の城郭
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