城郭探訪

yamaziro

西迎山城(迎山城 西の丸) 近江国(甲賀・水口)

2014年02月27日 | 平山城

東迎山城 ・ 西迎山城    甲賀郡水口町下山
   両城とも伴氏の城と伝える。どちらの城も四方土塁型で周囲に空堀や水堀がある。
  西迎山の方は丘陵が斜面であり、南背後土塁のは切り込み式で高い。

   模型写真

 

所在地:甲賀市水口町下山 map:http://yahoo.jp/9qlT2N
    旧:甲賀郡水口町下山

・別 名:迎山城 西の丸

・目標地:九品寺前を東に100m

・区 分:丘城

・比 高:30m

・現 状:雑木林

・遺 構:堀・土塁・説明板

・築城期:戦国期

・城 主:伴伝佐衛門 伴又左衛門

・路上の駐車から:2

訪城日:2014.2.20

 

迎山城  

 大字下山字迎山 津田氏作業場東30mの所の南山道路より約100mの高所にあり土盛り高平均3m内面積600㎡東の丸は傍田氏宅の東にあり城跡または物見台城主は、伴伝佐衛門 伴又左衛門

 県道164号線を挟んで、東側には東迎山城、西側に下山城が位置し、いずれも台地の先端に築かれている。

 耕地により城域は北側土塁は破壊されているが、(甲賀地区における一般的な城館)
土塁なども削り取られているが、西側と南側に高さ1m足らずの低土塁が残る。南側には空堀を配して、丘陵を掘切っている。
西側は崖状に落ち込む自然地形で、現在でも高低差は7~8mを測る。

歴 史
 この城は伴谷地域をその勢力化においた土豪伴氏の城跡です。伴氏は延慶年間(1308~1310年)に櫟野(いちいの)<=旧甲賀町>から移り住んだと伝えられ、近隣である柏木の山中氏、水口の美濃部氏と拮抗したり協力したりして領地を支配しました。

伴氏は俗に言う甲賀武士であり、戦国末期の甲賀群中惣の一員でありました。 

                   

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、淡海の城

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!


最新の画像もっと見る