城郭探訪

yamaziro

伴屋敷城 近江国(甲賀・水口)

2014年02月27日 | 平山城

 下山城屋敷は下山城の城主の居館 だったそうですが残念ながら最近造成されてしまって土塁等が壊されてしまいました。

  

・所在地:甲賀市水口町下山 map:http://yahoo.jp/9qlT2N
    旧:甲賀郡水口町下山

・目標地:九品寺の西隣

・区 分:平城

・比 高:0m

・現 況:空地

・遺 構:土壇、段丘、堀(思川を水掘りに、下山城を詰め城に)

・築城期:戦国期

・築城者:伴氏

・路上の駐車からの:2

・訪城日:2014.2.20

 

 伴屋敷城は、下山城のある丘陵から伸びる舌状台地の先端部に築かれていた。 単郭方形の縄張りで、かつては北と西側に土塁が残存したとか。

 現在は、完全に宅地造成され消滅していたが、切岸状の台地前端部の様相は城郭遺構の名残と云える。 また、伴屋敷城の東側にある九品寺にもかつては土塁が残存していたとか。

歴史

 伴屋敷城は、延慶年間に伴景秀によって築かれたと伝えられている。 伴氏は、甲賀郡櫟野より移り、神宮領柏木御厨の伴谷山村三郷に勢力を誇り、山中・美濃部両氏とともに「柏木三方中」を構成した有力土豪。

 平素の居館である伴屋敷城・伴氏建立の九品寺と南側の丘陵にある下山城共に伴谷の中核を成し、伴同名中の中でも伴総領家の詰の城として位置付けされている。

九品寺 浄土宗     大字下山字市場

 

由緒  応永23年(1416)伴周防守、伴氏の菩提寺のため尭譽上人を請し創建。
       開基は隆堯法印で天台宗として生まれる。慶長年間焼失し、貞亨3年(1686)僧見達再建した。当時は安土浄厳院の末寺であったが、明治23年(1890)京都市智恩院の末属となった。

墓地には大きな石塔があり慶長14年(1609)と刻してあり、又小さな石塔には文禄元年(1592)の銘がある。

 眞言宗   光明院
       下山城主伴太郎左衛門秀景、浄土宗九品寺創建により、廃寺となり、又本尊等も不明である。

 

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)

本日も訪問、ありがとうございました


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