城郭探訪

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・安閑(あんかん)神社の「神代文字石」

2013年06月17日 | ブロガーによる歴史探訪情報発信

安閑神社全景

祭神は、継体天皇の長子安閑天皇。境内には「神代文字(かみよもじ・じんだいもじ)」ともいわれる謎の図像が陰刻された石がある。

JR安曇川駅の近くにある安閑神社(あんかんじんじゃ)の「神代文字石」
 駅から徒歩10分のところにありますが、駅前の交番で聞いても、知らないと言われました。交番にあった詳細な住宅地図にあったので・・・ お巡りさんが知らないのも無理ないくらい、小さな神社。

 

琵琶湖湖西、安曇川近辺には継体天皇に纏わる史跡も多いが、JR湖西線安曇川駅近くの北出集落にはその子、安閑天皇を主神とする神社があり、境内傍に「神代文字石」と呼ばれる見慣れない象形を線彫した石が置かれて居る。

「神代文字石」とは言え、文字と云うより子供のイタズラ書きのようにも見えるそれはペトログリフとも呼ばれ、当時の事象をシンボライズした形で表しているとも言われて居る・・・。

ここでも、はてさて・・・・、安閑天皇を主神とする此の安閑神社は式内社でもなく村の小さな鎭守に過ぎない。この「神代文字石」も近くの小川で橋桁に使われていたそうで、出所は全く不明だとか??・・・蕨手紋のように見える触手のようなもの、方形渦巻きのような形、波頭のようにも見える下方三角形・・・・興味深いが其処から先に進めない・・・・・、

いずれ人工的に何かの目的が有って刻まれたものには違いない。安山岩と言う比較的軟らかい石に浅く削られたものにしてはかなり保存が良いようにみかける。傍らには力石と呼ばれる・・・・・、これはただの、のっぺら坊。

 

 

 

 

 

 

門題の石は、神社の柵の中ではなく、上の写真で言えば、向って右の手前の方にありました。「力石」と2つ並んで立ててあり、次のような説明がありました。

 神代文字の石

字とも絵とも判別のつかない陰刻がされた石である。 元は知らないで橋に使われていたというが、一説には古墳の一部ではなかったか、とも言われる。 この陰刻の解明は未だなされていないが、この種の記号文字は神代文字と呼ばれ、不思議な歴史の貴重な遺産である。 

下に掲げるのは、吉田信啓著『ペトログラフ・ハンドブック』(1994)のカラーページに掲載された同じ石の写真です。上下が逆になっています。場所も、写っている背景からすると、別の場所のようです。
 この解説板の「古墳の一部」という説は、なるほどと思いました。九州の装飾古墳の壁画と同様の造型感覚を感じるからです。
 しかし、そうでなく、「雨乞いの儀式のための石」かもしれません。
 今の置き方で、この「絵」を読み解いて見ましょう。
 まず、上下にある平行に並んだ3本の線、これは、漢字の「川」=「水」です。地上と天上の双方に川があります。天上の川は「天の川」でしょうか。それとも、空の青が天上の水と考えられていたのでしょうか。
 下方には、山の形も見えます。そして、山の頂上から、上方に向って、蕨形の「気=雲」が立ち昇っています。「気」の一部は、四角形の渦になっています。この形は、「雷文」です。すなわち、「積乱雲」でしょう。
 ただ、右上の曲線が気になリます。石の角の部分が傷んでいて、はっきりしないのですが、この曲線の具合はどうも「蛇神」の尾のように思えます。上記の気象現象を「蛇神」が支配している図なのでしょうか。

 

  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
参考:『ペトログラフ・ハンドブック』より
 
ペトログラフは、岩に刻まれた古代人の祭祀の痕跡です。古代文字の場合もあれば、盃状穴の場合もあります。
 しかし、それが、現在、地表にあるものとして見られるのは、大変幸運な場合に限られます。「聖なる山」は、後の時代にも「聖なる山」ですから、仏殿などの建築のために山頂が整地されてしまうことも珍しくないでしょう。また、木々が茂り、木の葉で埋まってしまう可能性も大いにあります。

 

 

 

参考資料:パンフレット各種・現地説明板・専門員のガイド説明・PCホームページ/blog 等々

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