城郭探訪

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景清道

2015年09月22日 | 歴史講座・フォーラム

 滋賀県東近江市内の景清道

平氏再興の祈願の為、尾張国(名古屋市)より、遥か京都の清水寺の薬師如来へ参詣のために通った道と言われており、又、眼病平癒のために通った道であると言い伝えられている.
歴史的には、かなり古い道筋らしいが、田舎の畦畔の小径、人里離れた山道、湖辺など通り、特に屈曲が多く狭くて人目を避け近道となっている点、世を憚る特定な人物が往来して居たのでないかと思われる。
資料によると一説には、当時は各地の通行の取調べが厳しい時代からすれば、関所の公道を避け、ひそかに通った間道「陰道」・「かげ京道」の転音化したものとする説が有力である。

平家に仕えて戦い、都落ちに従ったため俗に平姓で平景清とも呼ばれているが、藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)で、伊藤景清ともいう。通称、上総七郎(上総介忠清の七男であるため)。信濃守(1180年)、兵衛尉。「悪七兵衛」(あくしちびょうえ)の異名を持つほど勇猛であった。

平安末期における治承・寿永の乱(源平合戦)において活躍した。『平家物語』巻十一「弓流」において、源氏方の美尾屋十郎の錣を素手で引きちぎったという「錣引き」が特に有名である。壇ノ浦の戦いで敗れた後に捕られ、一説には預けられた八田知家の邸で絶食し果てたといわれる。

「悪七兵衛」の「悪」は悪人という意味ではなく、「悪党」と同様に勇猛さを指すものとされるが、壇ノ浦の敗戦後に自分を匿った叔父の大日房能忍を疑心暗鬼にかられて殺害してしまったためにそう呼ばれるようになったとの伝承もある。ただし近年は能忍の死因は病死または事故死とする説が有力。

実在したとはいえ生涯に謎の多い人物であるため、いわゆる平家の落人として扱われる事は少ないが、各地に様々な伝説が残されている。このためか各種の創作において主人公としてよく取り上げられている。

『吾妻鏡』の記述によれば、景清には兄がいて、上総五郎兵衛尉忠光といい、鎌倉二階堂の永福寺の造営中、源頼朝を暗殺しようと土工にまぎれこむも、怪しまれて捕まっている。

歴史書

天敵・・義経

源氏・・・頼朝

景清物

 

古典芸能において、「景清」または「何某誰々実ハ景清」が登場する作品を、一括して景清物(かげきよ もの)と呼ぶ。

各地の景清伝説

桑実寺の「景清の背比べ石」(滋賀県近江八幡市)

景清道(近江八幡市慈恩寺町)景清眼洗いの井戸(滋賀県彦根市)

歴史的には、かなり古い道筋らしいが、田舎の畦畔の小径、人里離れた山道、湖辺など通り、特に屈曲が多く狭くて人目を避け近道となっている点、世を憚る特定な人物が往来して居たのでないかと思われる。
資料によると一説には、当時は各地の通行の取調べが厳しい時代からすれば、関所の公道を避け、ひそかに通った間道「陰道」・「かげ京道」の転音化したものとする説が有力である。
「景清道」は、遠き尾張国の熱田より北国路に向い、大垣過ぎで中山道に入り関ケ原より近江に来ており、柏原から醒井から息郷・番場を通り、鳥居本より彦根に至り、ここより景清道らしき古道が現存し、伝承されている。
近年の土地開発で、陰道を偲ぶ箇所は一部に過ぎないが、地域に根付いている事は確かである。現在の地図では明確でないが、通説によれば、彦根より宇尾、堀、極楽寺、楡(にれ)、安食中、三津、肥田、百々、長野西、長野東の旧道を通り、愛知川の御幸橋に至っているようである。

愛知川は、御幸橋付近で渡し舟で五個荘町簗瀬に着き、宮荘の五個神社の横に出て、景清も参詣したであろう、入口に清水が湧き出る荘厳な行願禅寺を通り過ぎ、

大城神社の森を目指して真直ぐに自転車道が伸びているのが「景清道」である。

五個荘小学校前の、通学道路を横切り、金堂に菅原道真公を祀る立派な大城神社横の、いかにも景清道らしい細い小径を経て石塚に至り、繖山の麓の清水谷を経て、安土町石寺(栢尾)に入り、有名な蓮池を通る。

ここより景清道、山中に向い紅葉で名高い近江の名園教林坊を通り過ぎ、山林道を西にとり、険しい鳥打越にさしかかり、峠を過ぎるとすぐ近江八幡市と安土町が一望出来て、今と変わらぬこの風景に、景清は遠い都に心を馳せ、そうして遠望出来る鶴翼山麓の旅庵寺に思いを寄せたことであろう。
ここから山手に行けば、瓢箪山古墳近くを通り、桑實寺参道入口に至る。桑實寺よりは、真直ぐに農道が伸びている。上豊浦に至ると、景清ゆかりの袈裟切地蔵堂を拝し、小中の行者堂前を西に向い、沙々貴神社街道(安土・西生来線)を横切り、小路と思われる道を、ちはし地蔵堂前を経て、浄厳院裏の慈恩寺を通り過ぎ、山本川の新橋「景清橋」を渡り近江八幡市に入る。景清道は、長田町にある農協カントリー前の田園の中を直線に鷹飼町に伸びており、その問には、県立八幡工業高校のグランドの傍らを通っている。

繖山麓の景清道http://blog.goo.ne.jp/kkkk_015/e/4b0ad77d2fbe5b9f71e4a11ee679e701

景清道ウオークと観音寺御屋形 近江国(安土)http://blog.goo.ne.jp/kkkk_015/e/31404453e37fef4643e95d9df439aeec

参考資料:ウィキペディア

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