城郭探訪

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田屋城   近江国(マキノ)

2016年05月29日 | 山城

 

縄張り図=『近江の山城 ベスト50を歩く』・・・中ノ谷城(馬かけの縄張図)(2015.1.18のレジュメより)

お城のデータ

所在地:高島市(旧:高島郡)マキノ町森西  map:http://yahoo.jp/9Ypr7R

目標地:極楽寺

区 分:山城

標 高:310m  登城口~比高差:205m

現 状:山林

遺 構:山麓屋形・曲郭・土塁・堀切・竪堀・説明碑 

築城期:織豊期

築城者:饗庭命鶴丸が築城。

城 主:応永年間に清原蓮廉・応永年間に田屋淡路守
訪城日:2015.10.18・2016.5.28

5月28日工程

 1 新発見山麓居館墓石 暫時見学 図面有

 2 田屋城本城    見学   図面有

 3 田屋城搦め手   暫時見学 図面無
 4 馬かけ場城     暫時見学 図面無
 5 馬かけ場城     見学   図面有
 6 森西城土塁残骸  暫時見学 図面無
 7 馬掛かけ城 堀切で 祈念撮影 

お城の概要

 田屋城は、琵琶湖の北岸高島市マキノ町森西地区の背後の丘陵通称城山(標高:310m)に築かれた山城。

 田屋城は少し変わった山城で、ほぼ同じ高さで土塁囲みの曲輪が五つある。主郭はこの中で一段小高くなった北奥にあり、「奥ノ丸」と呼ばれている。土塁囲みで南北に長い長方形の曲輪であるが、南側に内桝形状の虎口を設けている。北背後は大堀切で、東側面の部分は連続竪堀になっている。さらに北尾根には食い違いになった竪堀が両サイドに落ちている。

主郭の南下は少し低い谷間でここに二の曲郭がある。この曲輪も土塁囲みであるが、東の土塁は先の主郭の桝形へ繋がる土橋のようになっている。

二の曲郭の南に東西二つの土塁囲みの曲輪が並んでおり、西曲輪の南端から南へ伸びる尾根には二条の堀切とそれに付随する竪堀によって遮断している。東曲輪とその北東にある曲輪との間が通路となっており、その入口に桝形状の虎口がある。この虎口は西側から竪堀と土塁で防御した横矢が掛かり、北の曲輪からも土塁越しに横矢が掛かるなどなかなか堅固で、側面には竪堀が設けられて山腹の移動を防いでいる。

お城の歴史:・・・『田屋城跡を歩く』高島歴史探訪ガイドブックより

観応3年(1352)頃、足利尊氏の持童(側近)、饗庭命鶴丸(あいばみょうつるまる)が築城したと伝えられる。『海津之城私考応永年間(1394~1428)清原蓮兼(はすかね)が城主と伝えられている。

永正年間(1504~1521) 田屋淡路守が領主と伝えられる『長法寺伝』 天文7年(1538) 六角定頼のもと、高島七頭らが、海津方面を攻略。このとき浅井方で挙兵した田屋氏は、「山城へ引退」したとされる『鹿苑目録』

元亀年間(1570~1573)浅井・朝倉氏の高島における戦略的拠点として、田屋城は大規模な改造が加えられたとされる。

天正年間(1573~1592)田屋山城守由頼朝臣(よしよりあそん)が城主される。天正の頃、織田信澄(信長の甥)が廃城したとされる。『海津之城私考』 

天正10年(1582) 対柴田勝家の賤ヶ岳合戦に備え、羽柴秀吉の命を受けた丹羽長秀が城の改修を行ったとされる。

天正18年(1590)以降 一説でが、豊臣政権が実施した兵農分離政策の結果として、地侍の長としての「田屋氏」は消滅したと伝えられる。

JRマキノ駅で研修バスの乗り込む。

田屋城登城口へ

獣害ヘンスを入って、すぐ右手に 進む。

・新発見山麓居館か?安楽寺跡か?】・・・・五輪塔(墓石か?)

・森安の極楽寺の薬師堂本尊は、森西山中にあった安楽寺の本尊とも伝わる。

    コアジサイが満開      

敷割りの角に五輪塔が 基壇・土塁も

城山頂部の田屋城へ s     桝形登城路登城路の中間(休憩ベンチがある)

登城路(堀底道を200m登る)        大手口『重桝形虎口』

両側から横矢  

『伝口の丸』(三の曲廓) 公園化され、東屋や桜等植樹され、田屋城のビューポイント『琵琶湖・竹生島や対岸賤ヶ岳』を望む。

『伝口の丸』(三の曲廓)はススキや雑草で遺構は把握出来ず、竪掘り

 

東屋で昼食

 

北曲廓へ         

二の曲廓へ        

主郭の南西の竪堀 

主郭虎口へ   主郭(奥ノ丸)  内桝形虎口

    

主郭の東の箱堀(大竪堀)

 

主郭の北の土橋を持った堀切・・東側四条の連続竪堀。   

西側は連蔵竪堀 土橋   

土橋を超えると捨て曲廓登城記念!

更に進むと「駒返し」  

更に堀底道を進む     

搦手に至る 

 

この後、中ノ谷(馬かけ場)の遺構

参考資料:『田屋城跡を歩く』高島歴史探訪ガイドブック、『近江の山城ベスト50を歩く』、城郭フォーラムレジュメ、講師の説明、滋賀県中世城郭分布調査8(高島のしろ)

本日の訪問ありがとうございす!!・・・この後、中ノ谷(馬かけ場)の遺構をご期待を!


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