城郭探訪

yamaziro

大依山砦 後半岩崎山 近江国(長浜・浅井)

2017年11月13日 | 

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お城のデータ

所在地:長浜市大依町  map:https://yahoo.jp/Iuebri

区 分:陣城(砦)

現状:山林・古墳群

築城期:織豊期

築城者:朝倉軍・浅井軍

遺 構:曲輪・土塁・堀切・竪堀・横矢・・・

標 高:365m(朝倉軍本陣)  比高差:215m

標 高:238m(長政軍本陣) 比高差:88m

目標地:浅井歴史民族資料館・浅井文化スポーツ公園

駐車場:秋葉神社の鳥居横の駐車場

訪城日:2017.11.11

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写真集:https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/967863263376249

 

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お城の概要

浅井・朝倉軍は、織田軍に襲われ孤立している横山城まで2kmの距離、大依山に陣を置き、合戦直前の4日間(元亀元年(1570年)6月24日~6月27日)をこの山中で過ごしている。『信長公記』に明確に記載されているのだ。

最初に陣取ったのが朝倉の8,000人で、そこに浅井の5,000人が加わり、合計13,000人もの大軍がこの山に4日間も帯陣していた。当時の武将達が4日間もこの山中に潜んでいたのか、浅井氏の支城である横山城があった横山丘陵である。浅井・朝倉軍は、大依山が横山城をしっかりと見渡すことができる絶好の場所にある、敢えてここに陣を置いたのだということがよくわかった。地図を見て驚いたのだが、合戦が行われた「野村」の地は、大依山と横山丘陵とを結んだ直線上のちょうど真ん中。

お城の歴史

 

姉川の戦い(あねがわのたたかい)は、戦国時代の元亀元年6月28日(1570年7月30日)に近江浅井郡姉川河原(長浜市野村町付近)で行われた合戦である。「姉川の戦い」という呼称は元々は徳川氏の呼び方であり、布陣した土地名から織田・浅井両氏の間では「野村合戦」、朝倉氏では「三田村合戦」。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%89%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

群(浅井軍の陣営)へ

ある平坦地(浅井軍先端地)。山腹の正面に横山が、大依山砦の南端。

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、木、草、空、植物、屋外、自然川の古戦場が良く見える。画像に含まれている可能性があるもの:木、空、草、屋外、自然

画像に含まれている可能性があるもの:雲、空、植物、屋外秋葉神社の鳥居前

以下図面は、長谷川博美氏の踏査図写真の説明はありません。画像に含まれている可能性があるもの:スケッチ写真の説明はありません。写真の説明はありません。写真の説明はありません。写真の説明はありません。写真の説明はありません。写真の説明はありません。写真の説明はありません。写真の説明はありません。写真の説明はありません。画像に含まれている可能性があるもの:スケッチ写真の説明はありません。画像に含まれている可能性があるもの:スケッチ画像に含まれている可能性があるもの:スケッチ写真の説明はありません。写真の説明はありません。写真の説明はありません。画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、山、屋外、自然

参考資料:城歩会の大依山砦見学会の資料・Wikipedia「姉川の戦い」

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