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鯖(さば)煮弁当/カフェオレから社会問題へと飛躍

2016年05月10日 | 田舎生活の衣食住
 鯖の醤油煮
 ニラ饅頭
 キンピラゴボウ(ゴボウ、ニンジン)
 シメジ卵焼き







 鯖は、生姜を効かせて煮ました。生姜味の醤油煮って美味いよな。
 ニラ饅頭は、焼売の皮を使ったのですが、失敗。餃子の皮の方が扱い易い。本当はニラ焼売にする予定だったので、餡も焼売用に味付けして片栗粉をまぶしましたが、上手くできなかったので、2枚の皮に餡を挟んで、四隅を裏に折り曲げて、何とか形を整えました。
 しかし、結果は、焼売の皮の方が薄いので、ニラの緑が奇麗に出ました。
 余程見るに耐えない物は、その場で胃袋に収めましたともさ。証拠隠滅は基本でしょう。

 カフェオレを飲みながら、「これ、コーヒー牛乳とどこが違うのだろうか」と、考え出したら、カフェラテとか、カフェなんたらかんたらとか、区別がつかなくなっていきました。
 昔は、ウィンナーコーヒーくらいしかなかったものなあ。
 そして思い出がぐーんと遡り、幼稚園の頃、牛乳アレルギーとかいう名目で、ひとりだけ、コーヒー牛乳やフルーツ牛乳を飲んでいた園児がいたけれど、あの子、パンやケーキは喰ってたんだよなあ。
 それって、単に嫌いなだけじゃない? 先生も承知で贔屓だったんだろうなあ。
 ミッション系の幼稚園だったので、クリスマスには、「キリスト誕生」の劇を演じるたのですが、その子、マリア様の役をやっていたもの。
 そうそう、昔は学芸会とかの劇の配役を、先生が勝手に決めても、園児や生徒は、「そういうものだ」と思っていたものでした。
 教師の依怙贔屓なんて、朝飯前の当たり前。合唱団などに選出されるのは、担当教師のお気に入りばかりだったものですよ。
 気分次第で、叱られたり八つ当たりも、あったしなあ。
 今は、親が黙っちゃいねえのでしょう?
 しかし、当時の子どもは、それを理不尽だとは思わなかった、妙に素直さもあったものでした。
 大人になって思うのですが、社会に出たら、もっともっと納得できないことや、理不尽なことや、嫌なことってあるのだから、子どもの時から、社会の仕組みを学ぶのも悪くはないってな。
 今って親が叱らないものだから、我が侭なガキって増えているよなあ。近所のガキがどうしようもないので、見兼ねて怒ったら(何度怒っても繰り返す鳥頭)、母親が出てきて、「怒ってくれる人がいないから」だとさ。それがおめーの親としての役目だろうが!
 子どもはつくるだけではなく、きちんと社会人としてのモラルやマナーを身に付けさせてこそ初めて、親なんじゃないのか!
 そういう自覚のない親。そのバカガキの親もそうだけれど、結局親が分かっちゃいねーんだよなあ。
 だから、「子ども手当」に反対なんだよ。他人様の血税なのだから、受給したい人は試験なり面談なりを受けるべきであって、きちんと社会に貢献できる子にのみ与えるべきだと思うのです。

 ご飯前だけ、我が尻にまとわり付くぽこにゃん。如何にも旧知の間柄みたいな感じですが、食べを終わると逃げて行くんだぜ。人間でも、こういう奴って居るよな。都合の良い時だけ親しい振りをする奴ってさ。
 ぽっちは、ぐーと一緒だと、食が進むようですが、ぐーは、もう爺なので小食(笑)。ぽっちもチビの頃は脇目も振らずにご飯に一直線で、むしゃむしゃ食べていましたが、最近では、食べたい時と食べたくない時があるようで、ある意味、大人になった…のかなあ。
 



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