私の父方は長崎の出身だ。
8月9日を経験していると聞いた。
祖先のお墓も稲佐山にあって、今から37年前に一度だけお参りしたことがある。
それがはじめての長崎で二度目は無かった。
バイト漬けの学生だった夏休み
親に旅することを伝えたら不意に私のルーツを知らされて、それまで会った事の無い親族を知ることになったのだ。
父方のルーツが長崎だと知らされずにいたのは、母が昔のことを話したがらなかったから。
「嫌なことを告げたく無かったから」
そう言い放った母も90歳を過ぎた。
いつかまた稲佐山に行くことがあるかはわからないが、
孤児となった父が8月9日を生き抜いたから、私が存在しているのは確かだ。
その父はもういない。
今も何処かで罪の無い人々が戦火にある。
極めて少人数の偏った思想家から放つ脅威は、人間や犬猫、鳥も花だって一瞬で無くしてしまうのだ。
祈りを捧げる‥