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必殺マグナム

2019-03-20 09:21:04 | 映画
スーパー・マグナムはデス ・ウィッシュ3だが、必殺マグナムはデス・ウィッシュ シリーズではない。しかし、ブロンソンフォロワーにとってそんなことはたいした問題ではない。
ポール・カージー的存在はマッドマックス的現代都市におけるジョン・ランボーなのだ。
その作品群は寓話であり、古典芸能の様式表現であり、スター・ウォーズのように、遠い昔の話的なものであるがゆえに常に現代的、同時代的なものとしてある。

3月19日(火)のつぶやき

2019-03-20 02:23:47 | 感想

デス・ウィッシュ3

2019-03-19 14:03:17 | 映画
デス・ウィッシュ3はブロンソン主演の邦題スーパー・マグナムという1985年の痛快(やや不愉快)超B級映画で、音楽はジミー・ペイジなのだが印象に残らない。
ブロンソンは常にカッコいいが、狼よさらばの悲哀に満ちた雰囲気はあまりにも独特の味わいだった。
しかし狼よさらばのことは棚に上げておくとするならば、この超B級映画としてのあり方の模範ともいえる作品はまあ微笑ましくもある。
悪党のボスの髪型は空前絶後でたぶんここ以外ではマッドマックスの世界にしかいないはずだ。
街中でマグナムをぶっ放しマシンガンを乱射しとどめはバズーカなのだからまあなんていうかご満悦だ。

休日の午前中からなかなか結構なものを鑑賞した。

その後お口直しにラストジェダイを早送りで観た。
エピソード9に向けて不安になった。

ケイシー・マスグレイブスについて

2019-03-11 10:36:28 | 感想
 2018年のフジロックフェスティバルを私はYouTubeの生中継で見ていた。結局お目当てのボブ・ディランはライブ配信されず、一般の人がアップしたツイッターで見たのだったが、そんなフジロックでの大きな発見は、アンダーソン・パークとケイシー・マスグレイブスだった。アンダーソン・パークはアルバム『マリブ』も素晴らしいが、そのステージパフォーマンスの躍動感が圧倒的だった。生命力がみなぎっていて、かつ暑苦しくもなく、むしろ瑞々しさがほとばしっていて清々しい。
 そして初めて目にしたケイシー・マスグレイブスは、オーソドックスな美しい歌声のカントリーシンガーという印象だった。私は、エミルー・ハリスやアリソン・クラウスなどのカントリー女性シンガーの歌が好きなので、ほぼ同じ路線をケイシー・マスグレイブスにも感じ、普通に好きになった。聴いていて、穏やかで優雅な気持ちにさえなれる。
 さて、そのケイシー・マスグレイブスのアルバム『ゴールデン・アワー』が、今年のグラーミー賞最優秀アルバム賞を受賞した。これは意外なことだった。グレタ・ヴァン・フリートが最優秀新人賞を取るとの我が予想が外れ、やや落胆しつつ授賞式を鑑賞していたわけだが、きっとアルバム賞はドレイクの『スコーピ音』が取るだろうと何となく予想していて、そもそも『ゴールデン・アワー』を未聴でもあったので、なおのこと想定外といったところだった。
『ゴールデン・アワー』は単なる優れたカントリー・アルバムではなかった。歌手としてのケイシー・マスグレイブスの美しい表現力は言うまでもないのだが、そのサウンドが素晴らしい。これはプロデュース、編曲、演奏、楽曲構成等全体的な作品の完成度の高さの勝利である。ジャンルを超えて、最優秀アルバムの名に相応しい作品だ。サウンドはシンプルであるが、高度に計算されているように感じられる。特定の傾向に収まっていない。フォーキーであるとか、カントリーとか、テイラー・スイフトとか、ビヨンセとかとは関係がない。さりげなく突出した何かがある。誰かは知らないけれど、プロデューサーが立派だったのだろう。
 自分もそうだが、現在、CDなどアルバム単位で音楽を聴くことが少なくなり、もっぱらストリーミングなりダウンロードなりのネット関連で聴くことがほとんどなのであるが、そんな時代に、この完成された、ビートルズの『サージェント・ペッパー〜』以降の伝統的な流れを汲んだ作品として、『ゴールデン・アワー』は長らく記憶されるにちがいない。カントリーなんか興味ない、と思っている方々も、念のため聴いておくべきではなかろうか。
 アルバムのラストを飾る曲、「レインボー」は、ピアノの伴奏だけで歌い上げる静かで美しい曲だ。盛り上がるような派手さはなく、地味ではあるが、歌声の力によって存在感をかもしだしている。(レディー・ガガの「SWALLOW」もそんな感じだ)。この曲の目立った点はといえば、もちろんその歌唱方法、すなわち急にハイトーンになる箇所の意外性などは印象的であるのだが、それとは別に、言葉の発声の仕方、特にその区切り方が独特のような気がした。(初期宇多田ヒカルもそんな感じだったかも)。
 歌の初めのフレーズ「when it rain it pours」のpoursの発音、そして、それに続く「but you didnt even notice」のところの、フレーズを締めくくる「notice」の発声の仕方は少々不思議な感覚をもたらす。単独で聞くならば、普通の単語の「notice」なのだが、旋律の流れからすると、奇妙に短い発音に感じられる。むろん、丁寧に言葉をつぶやいているような歌なので、そのような表現なのだろうけれども、次のフレーズの末尾「know is」とは当然韻を踏んでいるのだが、やはり独特の発音の美しさがある。英語という言葉のもっている美しい響きがそこに表現されているかのように思う。ボブ・ディランのいくつかの歌にも同じことを感じる。ただ、おそらく英語というのは、それほど美しい響きを持った言語ではないのではないだろうか。
 サビの部分に含まれる「umbrella」の美しい響きその他、カントリー特有の美しさなのかもしれないが、至るところにそれがある。それら言葉の連なりを耳にすることが、それだけで快楽となるのである。