神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

神戸・若宮神社(須磨)。

2007年08月17日 | ■神戸市須磨区
厄除け・家内安全・交通安全・邪気退散・大願成就

若宮神社(須磨)

(わかみやじんじゃ)
神戸市須磨区若宮町3-1-5




国道2号線沿いを少し北に入った住宅街の中に鎮座している若宮神社。



〔御祭神〕
仁徳天皇
(にんとくてんのう)



 休日になると親子連れで賑わう須磨海浜水族園。そのすぐ近く、国道2号線と妙法寺川が交差する若宮橋から若宮小学校を越えて西へ少し入ったところに若宮神社が鎮座しています。10世紀の半ばの永延年間(987~989年)に東須磨村の氏神として誉田別命すなわち応神天皇を御祭神に創建されたといわれている弓場八幡神社。その由緒ある古社の分社として明治時代の初期に創建されたのが若宮神社です。八幡大神、すなわち応神天皇そのものを勧請するのではなく、その御子神である仁徳天皇をお祀りしている事から「若宮神社」と呼ばれています。





1991(平成3)年に再建された社殿。右に見えるのは高松稲荷社の赤鳥居です。



 この地域は、1872(明治元)年に東須磨村から6軒の村民が移り住んで集落を築いた事から「六軒家」と呼ばれていました。その後次第に住民も増え、蔵ノ内坊敷溝尻若宮などの字名が付けられていきます。そして1920(大正9)年に武庫郡須磨町が神戸市に編入されて「須磨区」が発足したのを受けて、1924(大正13)年に町名改正が行われ、若宮神社にちなんで「若宮町」という地名になりました。 





社殿の右奥に鎮座する若宮地主白龍大神(左)。右は高松稲荷社の社殿。



 若宮町の町民たちを中心に支えられてきた若宮神社は、1945(昭和20)年の神戸大空襲によって壊滅的な被害を受けますが、氏子の皆さんの力添えによって仮社殿が建てられて復興されました。1987(昭和62)年には本格的に社殿の再建が行われましたが、1991(平成3)年に天皇制に反対する過激派とみられる何者かに放火され、社殿は再び灰燼に帰してしまいます。どのような歴史を持ち、人々がどんな思いで支えてきたのかを全く顧みることなく、ただ狂信的に天皇制反対を唱える浅はかな者のテロ行為とも言うべき愚行によって大きな被害を受けながらも、翌1992(平成4)年5月には氏子の皆さんの温かい御尽力によって見事に再建されました。1995(平成7)年1月17日に起こった阪神・淡路大震災でも鳥居や境内末社に被害を受けましたが、翌1996(平成8)年からは高松稲荷社の修復など次々に復興が行われ、1997(平成9)年4月には境内の整備が完了されました。





社殿の左に鎮座する末社。左側が旭毘沙門天、右側に鎮座するのが蛭子神社です。



アクセス
・JR「鷹取駅」下車、南西へ徒歩10分
・山陽電車「月見山駅」下車、南東へ徒歩15分
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拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放


神戸の神社
兵庫県神社庁神戸市支部
神戸新聞出版センター

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