サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

176日目「紅心 小堀宗慶展(目黒区美術館)」目黒

2010年07月03日 | 姪っ子メグとお出かけ
姪っ子メグ おじさん、日本のレオナルド・ダヴィンチともいわれる茶人はだーれだ?
キミオン叔父 知ってるよ、それぐらい。小堀遠州だろ。村田珠光、武野紹鷗、千利休、古田織部の本流を受け継いだのが、「大名茶」の一人で、遠州。お茶だけじゃなくて、建築、作庭、築城や陶器のプロデュースもしたよね。
そうか、知ってたか。でも利休の「侘び」の世界から、その後継で織部の「奇想」が出てきたりして、その影響化にある遠州は「綺麗さび」というところに行くのよね。
うん。しかしかなり意識的に世渡りした人だと思うな。なにしろ、天才、利休は秀吉になんだか嫉妬されて殺されたみたいなものだし、織部にしたって大阪夏の陣で「スパイ容疑」を受けて、切腹したからね。怖い世界だ。
結局は利休の時代は、今井宗久、千利休(宗易)、津田宗久の三人が、織田信長の茶頭を勤めたりして三宗匠と呼ばれたわけよね。この頃の堺は、大阪よりも商人の町として、交易的にも文化的にも栄えていたようね。
そうそう、豪商がいて、自由都市的な楽市楽座があり、今の堺市からは考えられないな。
この頃の「利休形」といわれる茶碗でも茶杓でも花入でも釜でも水指でもなんでもいいんだけど、名品といわれるものはいまいろんな美術館、博物館に所蔵されているけど、その持ち主の来歴が記録されていて、面白いね。
そうそう、光栄のテレビゲームでいやになるほど「戦国」あたりのシミュレーションゲームをやったけどさ、重要なのは、やっぱり「名品」なんだ。それを献上したり、武勲の褒美にあげたりする。もちろん、その名品の度合いによってまったく価値が異なって、ゲームでは相当強くならないと、その世界に入っていけない(笑)
「武将」のゲームもいいけどさ、あのコミックの「へうげもの」の世界を上手にゲームにしてほしいなあ。モノポリーより面白いかもよ。




今回、目黒美術館は小堀宗慶さんか。遠州茶道の宗家十二世家元でご健在なんだ。
家元は譲られて、雅号を「紅心」としてる。今回の「創作と審美眼の世界」でも、ご自分で解説なさっている。
まあ、さすが「綺麗さび」の伝統を受け継いでいるというか。絵も書も茶器の見立ても、すごいな。
禅の影響もあるのかな。絵なんかは、王朝の典雅さも初期はあるけど、だんだん軽やかな水墨画の極地に入っていく。ユーモアもあるみたいで。
彼は現・東京藝大で日本画を専攻した後、学徒出陣にとられて、終戦時にシベリアに抑留されるんだよな。数年ぐらいだけどさ。シベリア抑留の悲惨は、まだまだ語られていないけど、この人のような繊細な美意識を持った人が、あのシベリアで・・・と思うと、大変だったろうね。
シベリアを描いた絵が3点そっと出品されてたよね。「シベリアの早春」だったか、極寒のシベリアで雪ノ下から小さな花が芽吹いている。そこに希望を託したんでしょうね。
明治になって茶道はいったん衰退するんだけどね、三井物産の設立者の益田鈍翁とか、財界の大物たちが名物道具を蒐集したりして、数寄者としてサロンを作っていくわけだ。まあ、財閥の連中たちが、独占資本にまかせて、買い漁っていったということもあるけどね。地方の新興成金は続々と潰れて、吸収されたり、担保に取られたり。でもまあ、本物のメキキ茶人もちゃんといたわけだ。
その頃までは、どちらかといえば禅の流れも含めて「男の世界」でしょ。だんだん女子教育に茶道が取り入れられていくにしたがって、婦女子の嗜みに変化していくのね。
じゃあ、我々も今日は日本茶を立てる甘味屋さんにでも行くか。
そうねぇ。目黒にはちょっと違うけど、「岩茶」の専門店があるから、そこに行きましょうか。

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