干拓地。“浜”と呼ばれる街に、シュウジは家族と穏やかに暮らしていた。人々が近寄らない“沖”と呼ばれる場所に住む鬼ケンが変死したとき、幼いシュウジはひとり泣いた。鬼ケンに助けられたことがあったからだ。やがて中学生になったシ... 続き
「おまえは・・・」と見守り続けていた神を、たしかに感じることができた。
重松清の原作小説「疾走」を読んだときの衝撃をまだ、覚えている。
この時代の、不安なこころに揺れる少年、少女を描かせたら、重松清の右に出る説話者はいない。
なかでも、この「疾走」は、シュウジという心優しい少年が、浮遊し解体していく現代の家族にあって、この世の中の受苦を不可避的に背負っていくさまが、とても痛痛しく描かれている。
この小説(映画でもそうなのだが)は、不思議な文体で書かれている。
たとえば、こんな風に。
「どうして?」
おまえは訊くだろうか。
「どうして海を陸に変えなきゃいけなかったの?」
言葉を覚えてから、おまえは何度も、ほんとうに数えきれないほど何度も、「どうして?」を口にしてきた。おまえの小さな体と、後ろがほんの少しでっぱった頭の中には、いつだって疑問符がぎっしり詰まっていた。
最初はわからないのだ。いったいだれの叙述で、物語は進められていくのだろう、と。
物語の途中から、自分の過ちで弟を殺人犯(死刑囚)に追い詰めてしまい、神父となり、シュウジ(手越祐也)やエリ(韓英恵)を保護者のように見守っていく人物(豊川悦司)が登場する。たしかに、この神父が、シュンジの運命をみとることになる。
映画のなかでのナレーションでも豊川悦司の声で「おまえは・・・」と語られたり、彼の書く手紙の中で「おまえは」と呼ばれたりする。
けれども、本当は、もう少し違う位置から語られているような気がする。
この少年の短い人生をみつめる「神の目」といいかえてもいいかもしれない。
重松清はペンを進める作家の目を、あたかも、受苦するシュンジを見守る神の目におきかえたような文体で、淡々とこの15歳の少年の疾走を、見続けているのだ。
SABU監督はもともと「走る」映像に執着する人だが、この作品でもシュウジやエリに「沖」と「浜」が地続きとなったこの干拓地の殺伐とした風景の中を、そのときだけは辛い現実を振り切れるんだ、というように走らせている。結局、エリはバブルの開発狂騒をのせて走るダンプの積荷が崩れてびっこになり、シュウジは好きだった兄も両親も離散した家で、ひとり、手首を切ろうとするのだが・・・。
この作品はまた、シュウジという少年にマグマのように潜んでいた「性」を、強引に、引き摺り出している。
幼いとき会った「アホどもが・・・」が口癖の、惨殺されるヤクザの鬼ケンによって。
その情婦ではじめてオンナを意識させられたアカネによって。
そのアカネの新しい情夫で変態男の新田によって。
新田に囲われる家出娘のミユキによって。
静かに狂っていった兄シュウイチが放火犯となり出現することになった赤犬の幻影によって。
エリを弄ぶ醜いエリの叔父によって。
「おまえは俺だ」と叫ぶ死刑囚の神父の弟によって・・・。
少年は「アウォーン」と燃え盛る夜に向かって、吠える。涙が止まらない。
「誰かいっしょに生きてください」シャッターに書き付けられた言葉が、揺れる。
S.E.N.Sの音楽が、胸を締め付ける。
こんなにも鮮烈な作品を手にすることが出来るのなら、凡庸な愛の感動本の100冊と引き換えにしても、惜しくはない。
星の数が多いですね。
僕も本作には胸打たれました。
小説読もうと思ってまだ手付かずだ…
原作の衝撃ほど今回はSABU監督の手腕は震えなかったのかなぁと思いました。 SABU監督は好きな監督さんなのですが。 手越クン、今ならもう少し違った主人公を演じれるような気がします。
>こんなにも鮮烈な作品を手にすることが出来るのなら、凡庸な愛の感動本の100冊と引き換えにしても、惜しくはない。
素晴らしい! 同感です^^
何度かTB試みたのですが、反映されませんでした><
同じgoo同士なのに何故でしょうね?
というわけで、URLだけ置いておきますm(__)m
http://blog.goo.ne.jp/cyaz/e/72bd2cd6cd31ce74b82fcaa4586dd81f
ちょっとこれは、個人的な思い入れが強いんでしょう(笑)
手越クンは初々しくてよかったですよ。
だんだん、役者意識が増してくると、かえって凡庸になたりして(笑)
RECENT ENTRYを拝見したら、「疾走」があったので、こちらにもTBを送らせていただきました。こちらの作品のほうが好きなので(爆)
わたしは映画から本の順に読んだのですが、どちらもよいと思いました。映画も頭がぐらぐらするくらいに疾走感を楽しみましたが、原作の、特に下巻の「濃さ」もじっくりと味わうことができ、満足しています。
キャストも、原作の描写のルックスとはだいぶ異なっていますが、オニケンなど本質は表現できていたのではと思います。
いいですよね。
オニケンとアカネの登場のシーン。
ゾクゾクしました。
僕も、この年頃、そっくりな体験があったんです。
映画を観てから原作が気になり読んでみました。
やはり原作の方が内容が濃くどっしりしていましたね?
多感期の頃が思い出され胸が締め付けられる思いでした。
思春期というものを、残酷だけど、リアルに描いた作品ですね。シュウジの人生は特別だけど、多くの思春期の少年、少女に可能性は内在されています。
本当に原作をなぞるように忠実に映画化していましたね。
ただ、執拗な描写が原作の魅力でもあるので
やはり僕にはちょっと物足りない印象でした。
まあ原作ファンの戯言なんでしょうけど。
手越君のファンの女の子がたまたまこれを見て
重松作品を触れる機会になればこんな良いきっかけはないですよね。
まさかそういう事も含めてSABU監督はこの原作を
ジャニーズの男の子を使って撮ったんじゃ?
っていうのは深読みしすぎでしょうか・・・。