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サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

マルクス主義/いいだもも(評論家)/85歳

2011年04月03日 | 毎日がメメント・モリ

作家、評論家のいいだももさん死去=「ベ平連」などに関わる


時事通信 4月2日(土)10時42分配信

 

 「マルクス主義の再生」を唱え、1960年代の学生運動に大きな影響を与えた作家で評論家のいいだもも(本名飯田桃=いいだ・もも)さんが3月31日午後3時37分、老衰のため神奈川県藤沢市の病院で死去した。85歳だった。東京都出身。葬儀は近親者のみで行い、後日しのぶ会を開く。喪主は妻玲子(れいこ)さん。
 いいださんは東大法学部卒。日本銀行に入ったが結核のため退職、その後日本共産党に入党。新日本文学会の活動に参加し、長編第一作「斥候(ものみ)よ夜はなお長きや」を発表、注目される。その一方で患者団体や農民運動の組織化に力を注いだ。
 65年、綱領論争をめぐって共産党を離れ、68年に共産主義労働者党を結成。2年間同党の書記長を務める一方、ベトナム戦争に反対する市民運動「ベ平連」などでも積極的に活動した。

漫画家にはペンネームだとしても氏名がどちらもひらがなの人は多い。
いがらしみきお、とりみき、かわぐちかいじ、わたせせいぞう、とか。
そして物書きでいうと、なぜかこのいいだももあたりに何人かいる。
きだみのる、ばばこういち、なだいなだ、ひろさちや、そしていいだもも・・・みなさん、一家言を持っておられる。
いいだももは交流はなかったらしいが、東大で三島由紀夫と同学年。首席で卒業して、日銀に入った。超エリートである。日銀を退職したのは、肺結核が原因。
その後、共産主義運動に没頭し、共産党から除名されて以降は、新左翼となった。
べ平連や思想の科学運動では、よく名前を見かけたものだ。
67年に共産主義労働者党を旗揚げし、書記長や議長となったが、この党の学生組織はプロ学同であり、法政大を拠点に、「噂の真相」編集長だった岡留安則や物書きの笠井潔、亀和田武などがいた。
いいだももはその後は、赤色戦線派を名乗ったが、もう政治の季節は退潮期に入っていた。
その後は、物書きとして多くの著作を出している。
やっぱり、エリートだから、トップに祭り上げられるのか、本人はあくまでプロレタリア世界革命の幻想を持っていたのか。
もともとは親ソ派の構造改革派の流れを組んでいた。
僕は、この人の本は何冊も読んだが、政治思想として面白かったためしがない。
けれどもマルクス主義からも離れて、ちょっと農本思想にも似たエコロジカルなユートピア論を披露していたあたりは、読みやすくもあった。
どこかで、組織に幻想を持ちつつ空回りをしていくという悲劇から、自由ではなかった・・・合掌! 

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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才能の浪費ではなかったか? (夢幻亭)
2011-04-06 20:42:56
私はセクト事情に疎いので、岡留安則さんが共産主義労働者党(の学生組織)に属していたとは知りませんでした。「噂の真相」は硬軟取り混ぜて結構面白かっただけに、廃刊が残念です。いいだももについては、結局才能を浪費しただけではないでしょうか? 
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夢幻亭さん (kimion20002000)
2011-04-07 02:38:13
こんにちは。

才能はあった人なんだと思いますね。
結局、共産党(ロシア型マルクス主義)の呪縛から逃れられなかったのかもしれません。
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