サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09354「隠し砦の三悪人 」★★★★☆☆☆☆☆☆

2009年02月11日 | 座布団シネマ:か行

黒澤明監督の傑作『隠し砦の三悪人』を『日本沈没』などの樋口真嗣監督がリメイクした歴史娯楽大作。切羽詰まった状況下で、それぞれ身分の異なる若者たちが果敢に敵に挑む姿をスピード感あふれる映像でみせる。主演に嵐の松本潤、自国の運命を握る姫役に長澤まさみ、姫とともに行動する侍を阿部寛が演じている。窮地に陥りながらもあきらめずに前進する彼らの知恵とパワーに圧倒される。[もっと詳しく]

森田芳光版「椿三十郎」の★ひとつに較べれば、樋口真嗣版はとても野心作ではあるのだが・・・。

★4個であるが、もちろん1958年の黒澤明監督の本家「隠し砦の三悪人」のことではない。
50年ぶりに樋口真嗣監督によって製作された「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」のことである。
黒澤明監督に関しては、昨年度僕は、DVDデジタル・リ・マスター版で、すべての作品を再見した。
そのなかで、もちろん「隠し砦の三悪人」も、たぶん30年ぶりぐらいになるが観賞した。
黒澤明監督の数多い作品の中でも、この作品はお姫様を守るノンストップ活劇時代アクションとして、とても娯楽的な作品である。
ストーリーも単純明快であり、なにより真壁六平太(三船敏郎)と田所兵衛(藤田進)の槍決闘であるとか、太平(千秋実)と又七(藤原釜足)の太郎冠者、次郎冠者になぞらえたらしいのだが、独特のボケとつっこみとか,お姫様を演じる上原美佐が映画初出演ということもあり棒読みのセリフがまた気の強いお姫様役にあっていたりとか、とにかくキャラクターが光っているのだ。そのぶん、とても大衆娯楽としての資質をもった作品であった。



海外の黒澤信奉者たちにも、この作品のファンは多く、ジョージ・ルーカスの「STAR WARS」シリーズが、この「隠し砦の三悪人」にモチーフを得て製作されたことは、あまりにも有名な逸話である。
キャリー・フィッシャー演ずるレイア姫は、雪姫そっくりの気質だし、あのC-3POとR2ーD2のコンビも、太平、又七がモデルとなっている。
そうしたエピソードを知るにつれ、僕たちはちょっと胸を張って、得意気な気持ちになったりする。
黒澤監督が、「天皇」と呼ばれながらも、日本の映画界をある意味でどのように呪詛してきたことか、そして自らは「トラ・トラ・トラ」の降板で、ハリウッドとの摩擦を体験し、後には自殺未遂の引き金にもなったのではと噂が囁かれたことなどを差し引いて考えたとしても、やはり日本に黒澤明ありということは、溝口健二や小津安二郎や成瀬巳喜男などもそうなのだが、とても嬉しいことなのだ。



だからといって、日本の若い映画人たちが、そうした映画の先達たちに畏敬の念を持ったとしても、萎縮してもはじまらない。
今の時代には今の時代の技法もあり、認識もあり、大衆の願望もある。
「ローレライ」や「日本沈没」で興行的にはヒットを飛ばし、次作が期待されていた樋口真嗣監督が、「最高の娯楽作品」を製作したいという意気込みで、この「隠し砦の三悪人」を題材に選んだこと、そしてスタッフにある意味で日本の現在の娯楽映画界のトップ水準の陣形を擁したことは、賞賛に値することだといってもいい。
黒澤作品から、ちょうど半世紀が経過している。
そのこともタイムリーといえるかもしれない。



樋口真嗣監督は、とても大胆に原作を換骨奪胎し、樋口版「隠し砦の三悪人」を造形したように見える。
樋口監督お得意のVFXは、しかし意外なほどこの作品では使用されていない。
熊本城で撮影したらしい秋月城の冒頭での炎上シーンや、日本最大のセットスタジオである東宝スタジオ第7ステージに構築された山名の砦が炎上した後に、六平太らが脱出してくるシーンぐらいが印象に残るぐらいである。
樋口監督らスタッフは愚直なまでに国内でのロケ地候補を採集し、セットや舞台美術も手間暇かけて造作し、殺陣の演出や馬での疾走シーンなども古典的とも言える周到な訓練と準備で臨んでいる。
ストーリーとして、もっとも大きく変更したのは、2点である。
ひとつは、脱出劇につきそう太平と又七というキャラを、武蔵(松本潤)と木こりの新八(宮川大輔)というキャラに変更したことである。
ことに、武蔵は主役とも言うべき位置に格上げされ、雪姫(長澤まさみ)のハートを射止めるかっこいい役となっている。



もうひとつは、前作の槍の使い手で、最後は敵を裏切り味方に寝返るという役の田所兵衛を捨象したことだ。
かわりに、真壁六平太(阿部寛)の対決役としてダースベーダーのような兜をかぶった鷹山刑部(椎名桔平)という憎まれ役を、設定している。
こうした設定変更は、樋口監督に必然性があれば、いくら往年の黒澤ファンが眉を顰めようとも、あながち悪いことではない。
この作品で、樋口監督に請われてティザーポスターを制作した漫画家の井上雄彦の「バカボンド」を思い浮かべればいい。
過去のどの宮本武蔵像とも異なる世界を、井上雄彦は造形し、熱狂的な支持を集めている。



樋口監督の意図した世界は、「壮大なアドヴェンチャーロマンス」ということに尽きるように思われる。
その志やよし、けれども、そうした世界が表現できたかどうかというと、それはまた別物である。
観客はどうしても、キャラクターを演じる役者に感情移入をする。
前作を知っている観客たちは、三船敏郎VS阿部寛、上原美佐VS長澤まさみ、藤田進VS椎名桔平、千秋実+藤原釜足VS松本潤+宮川大輔という構図で見てしまう。
個人としての役者がどうのというレベルではなく、時代劇としての存在感がまるで薄っぺらいものになってしまうのだ。



脚本の問題で言えば、前作は菊島隆三、小国英雄、橋本忍という黒澤映画を支えた脚本の野武士たちが、黒澤明を交えて、丁々発止しながら脚本を練り上げている。
その脚本と演出とが相重なって、前作「隠し砦の三悪人」のとても緻密に計算された人間描写やペーソスやユーモアや気品が生み出されている。
ある意味、映像のテンポや、音楽の盛り上げ方や、衣裳の工夫や、舞台美術の迫力や、VSX手法も含めた特撮手法に置いては、今作のほうが上ではないかと思えるところがある。
けれども、決定的なのは、人間描写が(そこにいたる脚本や演出)が、あまりに弱いというところである。
樋口監督はどの作品を見てもそうなのだが、向こう受けする舞台設定にはとても優れた監督なのだが、人間描写がそのぶん、中途半端という風に思えるのだ。
単純に、得意・不得意ということであるかもしれない。
特に、お姫様の気品も、また男装時の色気も、まったく感じさせない長澤まさみの起用は、失敗であると思う。
あの火祭りのシーンで、前作では円舞する日劇ダンシングチームに混じって、上原美佐が頬を上気させて、恍惚として踊り、それはまことにエロティックでもあったのだが、今回、長澤まさみは自意識過剰のたこ踊りしかできていない、といったら言い過ぎか・・・。



黒澤時代劇ということで言えば、森田芳光+角川春樹のコンビが、主役である椿三十郎に織田裕二、敵役である室戸半兵衛に豊川悦司を起用し、「あえて脚本を一字一句変えない」というこだわりをもって、名作「椿三十郎」をリメイクした。
こちらは、なんのためにリメイクしたのか、まるで僕にはわからない駄作と思えた。
レヴューする気力もないが、★ひとつは明白である。







 

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2 コメント

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弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2009-11-03 00:44:23
全くずぼらにも地上波の大幅カット版を観たわけですが、出来栄えのほどは伺える放映にはなっていたと思います。

「椿三十郎」同様、一番差があるのは役者の重量感・迫力でしょうか。ファンタジー的とは言え、一応時代劇ですから、もうちょっと何とかならんもんかねえ、と苦笑しながら観るしかなかったですね。

確かにCGは意外と少なかったです。しかし、逆に何でもかんでもCGに見えてしまう昨今(苦笑)。
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オカピーさん (kimion20002000)
2009-11-03 17:14:15
こんにちは。

時代劇の所作はなかなか難しいですね。
日本人の体型も、姿勢も、変わってきていますからね。

山田洋次監督なんかは、そのあたりにはとてもこだわって演技指導をなされていますけどねぇ。
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