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『レジスタンスの青春』 人民戦線運動と宝木寛の生涯と~宝木実著

2007年07月18日 | 現在おすすめの本

●心に炎 抱きて  宝木 寛=点描
 ・・・我は行くなり 炎抱きて――という歌を残して、26歳の短い生涯を閉じた宝木寛。九州、大阪、東京を転々、その風土に育まれた反骨精神と、明晰な時代を見つめる眼で、平和のことば=エスペラントを選びとり、世界への扉を大きくひらいていった。だが、治安維持法は、若々しい鳩を、自由に飛ばせてはくれなかった。逮捕、拷問、入院、そして再逮捕――で肉体をボロボロに崩されながらも果敢に生きた寛の26年間を、実弟、宝木実が取材に取材を重ねた。その魂は、語り伝えられ、文字となって、平和を願う人々の胸を熱く揺さぶらずにはおかない。

●塩田庄兵衛氏すいせんの言葉より
 私はこれまで労働運動史や社会主義思想史についていくらか研究してきたが、勉強不足のため宝木寛というエスペランチストが、大阪で、プロレタリア・エスペラント運動の中心人物として国際連帯と平和のために活動し、堺の刑務所にとらわれ、26歳の若さで死んだという事実を知らなかった。(中略)
 本書は、暗い内容を物語っているが、読んでみると、意外なほどカラリとしてジメジメした感じがない。それは労働者が本来、未来のためにたたかう階級であり、歴史を創造する使命を持っているのだということを、宝木一家が代表しているのだと解釈するよりほかなさそうだ。著者は、肝っ玉おっ母さんを大黒柱に、かたくスクラムを組んでいる一家のけなげな姿を、骨肉の愛情をこめて、ダイナミックな文章で表現する。「子どもたちも、貧しさにも打ちひしがれず、みんな明るく音楽好きに育った。・・・苦しい時は笑え、歌え、ドンと来いが、わが家のカンバンだった」。(中略)
 それにしても、いま私たちは大丈夫だろうか。著者は書いている。――「あの工員のボヤッとした顔をみると、ほんまに組合ができるんかいなと思う」といっていたが、これはインテリの考え方だ。これなんだ。労働者はせっぱつまれば、圧迫感をとってやれば、催眠がとける――。ここに本書の著者の願いがこめられていると同時に、私たちの未来がかかっている。宝木寛たちは、正しかったが少数派であったから民族的悲劇を防げなかった。その志を受けつぐ私たちは歴史の進路の決定権をもつ多数派となることを急がねばならぬ。この書物は、そのことを強く訴えている。(1984年7月記)

『レジスタンスの青春』
宝木 実 著
四六判 210ページ 定価1260円

●著者紹介
 幼少のころ、次兄の寛(ゆたか)がなぜ、・・・家族の惨状もかえりみずに、入獄と重病をかけてまで平和の運動に打ち込んだのか――重い疑問が、心の底に漂っていたという。16歳でうたごえにとびこみ、以後うたごえ一筋に生きてきて、いま、兄寛のやれなかったことをやりとげたい、と願う。こんな世の中だからこそ、平和の世論を広げ、生きる希望をうたいあげていきたいと・・・。
 宝木 実(たからぎ みのる)
 1931年(昭和6)東京生まれ。大阪学芸大学中退。元関西合唱団団長。著書に『うたごえよ翼ひろげて』(共著・新日本出版社)、『大きなばら』(共著・音楽センター)


19歳のころの宝木寛


本文グラビアページより

●もくじから

 第1章 鳩は鷲に戦いを挑む
  1.寛の十字架・・・鳩が鷲と戦う抵抗の詩
  2.香春嶽(かわらだけ)・・・母 政と祖母 イトのこと
     大きな椋の木 母の政(まさ)と祖母イト
  3.兄、武則(たけのり)の闘い・・・16歳の寛とどん底生活
     武則たちの闘い
  4.荻原先生との出会い・・・寛、たくさんの命を救う
     荻原先生との出会い
  5.闇の中の光――エスペラント・・・七つの海をこえて
     創始者ザメンホフ 深夜の独習 うたでドンと来い カチューシャ
  
 第2章 機関誌『マルシュ』よ 地球を駆けろ!
  6.アデリーナちゃん・・・国際通信に胸おどらせて
     ソビエトの写真ブック
  7.小僧パンフィの手紙・・・上海のエスペランチストと寛
  8.大暴風雨と巨大な歯車・・・大阪最後のメーデー
     港南の反ファッショのうねり ひなげしの大行進
  9.地球を駆けろ『マルシュ』・・・エスペラントの機関誌たち
     さまざまな機関紙・誌の発行 急速なファシズムの成長
     英国からの手紙
  10.『フラート』=兄弟の旗・・・緑の会話、パパーゴからフラートへ
     パパーゴからフラートへ
  11.『労働雑誌』とともに・・・ペンネーム 古賀豊・高木で投稿
     『労働雑誌』への投稿
 
 第3章 ディミトロフ報告の翻訳、寄稿の日々
  12.世界に反ファッショの波・・・「ディミトロフ報告」と国際通信
     野坂参三と「国際通信」
  13.『ディミトロフ報告』の翻訳・・・藤井英男との共同作業
     米国からの小包
  14.人民戦線運動のエピソード・・・当時の大阪の労働者たち
     人民戦線運動の宣伝活動と弾圧
  15.はじめての逮捕・・・拷問と奥村秀松の獄死
  16.大正橋でのもち売り・・・武則の逮捕と一家離散
     豪雨をついて 鹿を追う狩人のように

 第4章 我は行くなり 炎抱きて
  17.嵐・・・エスペランチストたちの生と死
     治安維持法とは何か
  18.チューリップの絵・・・重病の寛と母と患者たち
  19.堺北警察 地下牢のころ・・・再検挙と拷問、ドクターストップ
     父倒れる
  20.ベアリング研究・・・府工業奨励館館長賞など受賞
  21.激浪・・・白浜に兄弟の送別旅行
     白浜温泉 兄弟の送別旅行
  22.「兄ちゃん たのむわな」・・・寛が逝った日、慕った人々

 第5章 証言
  紅顔の美少年だった・・・島本重三
  私と寛君の共同翻訳作業・・・藤井英男
  インターを歌う若者たち・・・福本正夫
  西洋人形とランチ・・・後藤玉子
  物静かな優しい兄・・・宝木京子
  寛もし生きてあらば・・・宝木武則

 第6章 宝木 寛の作品
  とうとう私もメーデーに参加した『マルシュ』
  ソヴェートの鉱山労働者からの手紙『労働雑誌』
  僕の経験『マルシュ』
  「球面体コロ研磨装置」

 第7章 年譜=宝木 寛の26年

 資料①
 資料②
 
 あとがき    

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