ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

奇跡のりんご

2009-03-02 | 読書
「具体例をいっしょうけんめい見ていくと、
 やがて 一般解にいたる。」

と言った人がいた。

(動物行動学者、日高敏隆。『青春と読書』2009年2月号 p24)



ああ、だから。

それが 
野菜作りであれ、料理であれ、医療であれ、野球であれ、
ひとつの事に打ち込んでいる人は
まるで 求道者のように見え、

ひとつの事を極めた人は
ある種の‘悟り’を得た人であるかのように 見えるのか。



一般解へと至る道だから、

いつかは‘悟り’に至る道を求めているから、

ひとつの事を突詰めていく人たちは皆
同じような 自信や信念のカタマリを持っているように見えるのか。



そう、納得してしまった。










NHKの『プロフェッショナル  仕事の流儀』に出てくる人たちは皆
悩み、つまづきながらも ひとつの事を追い求めて来た人たちなので
同じ‘なにか’、匂いのようなもの?を持っているように感じていた。

ところが、このオッサンは違っていた。

本の表紙でも、
歯の抜けた口を パッカリと開けて笑っている。

偉そうにも 立派そうにも見えない‘プロフェッショナル’の、
一等賞ではないか?(笑)

『奇跡のリンゴ――「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』
(石川拓治著、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」製作班 監修、
 幻冬社、1300円)






りんごは愛で育てる(2006年12月7日放送)。

私はだぶん、アンコール放送で見たのだと思う。



自分たち家族が ご飯を食べることさえ棄てて
無農薬でリンゴを作ることに挑戦し続けた農民がいる。

木村秋則さんという。





私は かつて 玄米食を始めた頃に
自然食のお店で お米を置いているかどうかを尋ね、

「無農薬です!」

と自信たっぷりに言われた時に 思わず

「うそ!」

と瞬時に返してしまい、
いや~~~な顔をされたことがある(苦笑)。



だって、無農薬でお米を育てるって、手間が大変なんだよ!?

私の頭の中では 田んぼでお米を作るときに
農薬は 使って欲しくはないけれど 使わなくてはならないもの、
という位置づけだった。

それと同じように、
青森のりんご農家の人たちにとって
農薬は 使わなければ りんごの収穫ができなくなるもの、
だった。



(まだ田んぼを売り払う前のことだが、
 木村さんは 農薬も肥料も使わずに 
 一反当たり九俵余りの収穫を 
 上げられるようになったという。)



それは 木村家のりんご畑でも 同様だった。

だから、木村家は どんどん 貧乏になっていった。

田んぼも売ってしまい、お米を買って食べた。

近所では 5キロ単位でなければ 米が買えなかった。

町に通って 1キロずつ買った。

7人家族で 1キロの米を お粥にして食い延ばした。




健康保険料を払えなくて 保険証を取り上げられた。

電話は もう ずっと前から 通じなくなっていた。

PTA会費も払えなかった。

靴下の穴に ‘つぎあて’をして使った。

消しゴムは ひとつを3つに切って 子どもに渡した。

昭和30年代の話ではない。

1980年代の初め、
『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がベストセラーになった頃のことだ。

木村さんは 近所からは
「カマドケシ(竈消し)」と呼ばれ、蔑まれた。



何年たっても、必死で働いても
無農薬では リンゴは実ってくれなかった。

気弱になって「もう諦めようか」とつぶやく。

おとうさんも苦しんでいるんだよ、と伝えたくて
妻が その事を 子どもに伝えた。

文房具も満足に買ってもらえず、辛い思いをしていたはずの、
いつもはおとなしい娘が 気色ばんだ。

「そんなの嫌だ。

 なんのために、
 私たちは こんなに貧乏してるの?」



電車の中でこの本を読んでいた私は
不覚にも落涙しそうになった。

オッサンの夢は 娘の夢でもあったのだ。






ある日 木村さんは 死を決意し
首をくくるためのロープを手に
枝振りのよい木をさがしながら 山の中を彷徨う。

そうして見つけた、
「フカフカの土」という答え。

そこから始まる、逆転への再挑戦。






木村さんのリンゴは 腐らないという。

古くなって シワシワになっても 芳香を放つ、
と テレビでも言っていた。



アダムとイブが食べたという木の実には
化学肥料は使われていなかったはず。

ニュートンが万有引力を発見したリンゴにも
ウィリアム・テルが 息子の頭に載せたリンゴにも
農薬はかかっていなかったはず。

そんなものを使わなくても
美味しいリンゴは どうやら本当に 作れるらしい。

それを 私たちは 「奇跡」と呼ぶのか、。。。。。。。



それにしても、テレビ番組というものは
取材した材料の、ほんの一部しか、
紹介してもらっていないものなんだね。。

   

この本を、Y郎さんに一度 読んでもらいたいものだ、と思う。



6 コメント

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こんばんは ()
2009-03-03 22:53:06
この番組見ました。奇跡のリンゴ出来るんですねえ。
農業全般が無農薬で出来れば一番良いと思いますが、そこまでの努力はよほどでないとできませんよね。ゆずは無農薬で栽培しても米は自家消費分だけだけどやはり種モミは消毒をしています。後は極力消毒はしないですけどね。
これも、実家が山の中でよそ様の田んぼがないことで消毒しなくても迷惑をかけないということがあります。

農家の方が自家用と出荷用は別だと悪びれず言うのを聞いて唖然とした思いもありますが、農家の人が消毒した野菜を口に入れなくても消毒作業で体調を崩すという話も聞きますし、今すぐすべてをやめると言うのも無理かもしれないけど、これだけ害が言われているのだから農薬に頼らない農業というのが大事だと思いますね。やはりそれには土は一番大事だと思います。連作障害が起きるからと何年かに一度休ませていたのが、少しでも多く作ろうと土の消毒をする。消毒だけでなく薬品を使って果樹作物の糖度を上げるとか昔はあったみたいです。

歯がなくても何でも噛めると言ってすこぶる元気だった母方の曾祖母を思い出す笑顔です(笑)
風さん、ご覧になりましたか! (ジョルジュ)
2009-03-03 23:13:31
できるんですねえ、無農薬りんご。
農業全般が無農薬。やりたいですねえ。
私なんか、ムラ中の畑を有機肥料、無農薬栽培にできないものかしら、なんて考えてしまいます。
きょう 土手の上を散歩しながら そんなことを夢想していました(笑)。

作り手と 買い手との間が 異常に遠くなってしまったことに 原因があるようにも思います。
消費者が 少しずつ勉強してきているのに対して 生産者はまだまだ勉強が足りない、とも思います。厳しすぎる考えかしら?
そして 高齢化した生産者に向かって 勉強しろとは なかなか言えない、とも実感しています。

木村さんの場合も 奥さまの農薬に対するアレルギーが強かったことがきっかけかと思います。
あの探究心は 真似したくてもできるものではありません、
本当に驚異の信念の人ですね。

歯がなくても噛めるんですか? すごいです(笑)。 噛むことって、大事ですよね。そして、いい笑顔ですよね。
奥様が (風)
2009-03-06 15:29:19
農薬アレルギーだったと言っていましたよね。

曾祖母は何歳ごろから歯がなかったのか知りませんが歯茎が固くなって沢庵でも何でも食べられると言ってあまり不自由そうには言ってなかったけど、今思えば辛抱の良い人だったので言わないだけだったかもしれません。何歳で亡くなったか忘れましたが私が20歳の時なくなりましたがそれまで寝付くことはなかったです。
アレルギーがなかったら (ジョルジュ)
2009-03-07 00:06:37
奥様に 農薬アレルギーがなかったら どうなっていたでしょうね?
奇跡のリンゴは 生まれていなかったでしょうか?
農薬による健康被害は 昔は今よりもずっと多かったと思います。

噛むことが 脳に刺激を与えてくれると聞きますね。
認知症には 大いに関係してくると思います。
タクアンが噛めたら もう不自由はないでしょう!(笑)
長く寝付くこともなかった健康長寿、遺伝子をいただいているといいですね。
今までの人生も大事だったはずですが これからの方が もっと楽しくて もっと大切な気がします。
不思議 (とほ)
2009-03-07 12:11:58
凡人には理解できません。
クビをくくるほど貧乏してまで、どうして無農薬にこだわるのか。

奥さんが農薬アレルギでりんごが食べられない=無農薬のりんごを作って食べさせたい。
ってことから、無農薬にチャレンジかしら。

昔は農薬使わなくても、収穫できたでしょうに、
何かが良くない方向に変わりつつあるのかしら。
土は大事なんだねー。

そうやって作った無農薬のりんごはお金持ちの口にしか
入らないのが残念。

ま、報われた努力は聞くと気持ちがいいですね。
報われなかった努力も、足りなかったとは思いたくない。
その分かれ道は・・・・神様の気分次第?
どんよりとした曇りです (ジョルジュ)
2009-03-08 10:31:36
とことん突き詰めていく、研究者タイプの人であったようです。
その工夫の仕方は ハンパではありません。
そして(自ら飲んだり 故意に混入したり、は除いて)、
農薬は 散布する人に対して もっとも脅威となるものです。
奥さまは 農薬を使った後には 顔中を腫らして寝込んでしまうという、
敏感なタイプで、そこが出発点だったようです。

現在 栽培されている農産物は 
長い年月の間に さまざまな改良が加えられてきています。
(ああ、勤勉な日本国民よ!)
リンゴに限らず、ですが 
とりわけ リンゴは 農薬の使用を前程として開発されてきた品種です。
農薬を散布することが 青森の常識であることは 
‘奇跡のリンゴ’が誕生した今でも 変ることはありません。

無駄な努力を重ねてきた半生であったようにも思えますが
‘カンドコロ’を掴んでしまった今では ‘酢’を撒く時期や量には もう困っていらっしゃらないようです(苦笑)。
人生に無駄はない、と信じたいです(笑)。
分かれ道は・・・あきらめたらその時点で敗北、あきらめずに続けていれば 勝負はまだ決まっていない?
諦めない、というのは キツイことですね。

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