気ままなままに

子供たちも独立し、今や義母と主人との3にん暮らし。
義母の介護の事、日々のちょっとした楽しかった事等を書いてます。

会いたいよ

2018年06月14日 17時52分01秒 | 日記
年末、
私が心から頼っていた、
今の私があるのは
彼女のおかげ。
と言っても過言ではないくらいに、
お世話になった、
そして、感謝してもし尽くせない
大切な人が亡くなったんです。

でも、彼女に最後に会ったのは、
一昨年の年末。
お見舞いに行きたい。と、
思っていたけれど、
彼女から断られた。

「そっとしてくれたら
ありがたい。
貴女だから言えるワガママを
許して」と。

その言葉通り、
私は、彼女の事が気になりながらも
その言葉を守り
連絡は入れなかった。

ある人は
返信無用です。
と書いて
メールは時々している。
と聞いた。

私もメールをしようかな?
と、思ったけれど、
言葉の選び方が下手な私は
もし、私のメールの内容が
彼女を不安にさせたりしたら
申し訳ない。
と言う気持ちが湧いてきて
メールも出来なかった。
ただただ、
彼女からの連絡を待っていた。

そして、去年の年末、
スマホが鳴った。
名前を見たら、
彼女からだった。

体調が良くなったんだ!
私は嬉しくて、
スマホを取る手が震えた。
深呼吸をして一度したあと、
「もしもし」言葉を発した。

スマホから聞こえてきた声は
彼女ではなく、
ご主人の声だった。

「今日の午後、
亡くなりました」
と、1言。
私はパニックに襲われた。
何を言っているのかが
理解出来なかった。

取り乱した状態で、
ご主人からの言葉を聞いた。
最後はご主人の腕の中で
子供さんたちに見守られながら
静かに息を引き取った。
と話していた。
自宅での事だったそうだ。
それだけでも良かった。
仲良し家族。
皆に見守られての最期。

彼女は、
発病から亡くなるまでの
数年間
病気になった事を嘆くのではなく、
それを全て受け入れ、
自分の出来る事を
ただ黙々と、
一生懸命に
明るく、前向きに
生きたそうだ。

葬儀の時、
その話を聞いて、
改めて彼女の強さ、
生き様を教えられた。
凄い人だ。


でも、寂しい
悲しい
私の人生に
彼女がこんなに早く
居なくなるなんて
考えられないし、
考えてなかった。
その彼女がもう居ない。

どうして私は
連絡を取らなかったのだろう
手紙を出せば良かった。

何を思っても
後の祭り

今は
何事かする度に、
どんな時彼女だったら?
と考えながら
行動してる。

たくさんのことを
私に残してくれた。

私と親しくしてくれて
ありがとう。

でも、
やっぱり
もう一度あいたいよ

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