気ままなままに

子供たちも独立し、今や義母と主人との3にん暮らし。
義母の介護の事、日々のちょっとした楽しかった事等を書いてます。

かんがえる

2018年06月30日 11時27分20秒 | 日記
義母がこうやって
体調を崩してくると
頭を過る事が
これから先も在宅介護は可能なのか?
って事。

義母はパーキンソン症状が出ている。
我が家は、道路から家までは階段状態。
これからは雨の日はディへ行くのは
もう無理だろう。
と、主人と話している。

階段を降りることが
難しくなってきているのだ。
今は、両脇を抱え、やっとのおもいで
降りてもらっている。

これから先、益々症状は進むだろう。
道路から玄関までが平地であれば
車椅子だろうがストレッチャーだろうが
どうにでもなるだろうけれど、
ウチの場合はそれは無理だろう。

階段の手すりに
電動式椅子を取り付けるって手はある。
薄手の布団なり
毛布なりに義母を包んで
担架の様にして降ろすって手もある。
そこまでして、ディを利用するか、どうか?
となると、考えるんだなー

そうすると、
平日買い物などには私は出る事が
出来ないよねー。
ヘルパーさんって、
私の代わりに家に居てもらう。
ってのもありなのか?

これからの事を真剣に考えなきゃならない時が来た!

なんだかな〜

2018年06月28日 20時47分04秒 | 日記

義母、昨夜から発熱しております。
昨夜は38度6分
今日も1日
37度5分前後から
下がりません😓
なんでじゃーー?????

蒸し暑〜〜〜い日中、
私たちの部屋にはエアコン無いので、
エアコンの、いやいや、エアコンではなく
クーラーのある
(それも、娘たちが大学時代に使っていたものだから、かれこれ10年以上前のもの)
居間へやっとの思いで連れてきて
布団に寝せました。

でね、経口補水液やら、
栄養補助食品やら、
なんやらを
義母の様子を見ながら、

口をポカンと開けて
視線が定まっていなかったら
水分不足。との娘の言葉を
頭に置いて、
気にしながらみてましたよ。
私なりに、
一生懸命に

主人が帰ってきました。
「様子はどうか?」
「経口補水液は飲ませたのか?
いつ飲ませたんか?」
「食べ物は?」
「熱はいつ計ったのか?」
って、事細かに聞いてくるんです。

娘は娘で
「今日、体拭いてあげた?
汗をかくから、拭いてあげないとねー」
って。

熱が下がってないものだから
心配なんでしょうけど、
こーんなに
色々言われたら
私が責められてるように思えちゃって。

こんなことくらいで、
カチンと来ちゃう私は
やっばり、器小さいよねー(^_^;)

はー
こんな時、在宅介護の
難しさを思い知らされるなー
知識を得ないとなー

これまでと、これからと

2018年06月18日 10時04分07秒 | 日記
大阪地域の方、
大丈夫ですか?
少しづつ、被害状況が
出てきているようなので、
心配です。

くれぐれもお気をつけください。


先日、友達と電話での雑談中
友達から
先々施設入所も視野に入れてるのか
どうなのか聞かれたんです。

私、答えました
仕事を続けたくても
やめさせられて専業主婦やって来たから、
こうなったら、意地がある。
出来ることなら最期まで家でみる。
って。

すると、友達
「そうね、そうよね、
この先、
長くでも後10年だろうしね」って。
現在91歳

おー、そうだよねー
今までが33年でしょー
今後が長くても10年(多分)
3分の一ではないですかー

そう考えたら、
短いように思えてきた。
あの笑顔を見ることが出来るのも
10年あるかないか?

時には、
まだまだ腹の立つこともあるけれど、
悔いの残らないように
介護させてもらおうかね。

家族のみんな
頑張ろうねー!

会いたいよ

2018年06月14日 17時52分01秒 | 日記
年末、
私が心から頼っていた、
今の私があるのは
彼女のおかげ。
と言っても過言ではないくらいに、
お世話になった、
そして、感謝してもし尽くせない
大切な人が亡くなったんです。

でも、彼女に最後に会ったのは、
一昨年の年末。
お見舞いに行きたい。と、
思っていたけれど、
彼女から断られた。

「そっとしてくれたら
ありがたい。
貴女だから言えるワガママを
許して」と。

その言葉通り、
私は、彼女の事が気になりながらも
その言葉を守り
連絡は入れなかった。

ある人は
返信無用です。
と書いて
メールは時々している。
と聞いた。

私もメールをしようかな?
と、思ったけれど、
言葉の選び方が下手な私は
もし、私のメールの内容が
彼女を不安にさせたりしたら
申し訳ない。
と言う気持ちが湧いてきて
メールも出来なかった。
ただただ、
彼女からの連絡を待っていた。

そして、去年の年末、
スマホが鳴った。
名前を見たら、
彼女からだった。

体調が良くなったんだ!
私は嬉しくて、
スマホを取る手が震えた。
深呼吸をして一度したあと、
「もしもし」言葉を発した。

スマホから聞こえてきた声は
彼女ではなく、
ご主人の声だった。

「今日の午後、
亡くなりました」
と、1言。
私はパニックに襲われた。
何を言っているのかが
理解出来なかった。

取り乱した状態で、
ご主人からの言葉を聞いた。
最後はご主人の腕の中で
子供さんたちに見守られながら
静かに息を引き取った。
と話していた。
自宅での事だったそうだ。
それだけでも良かった。
仲良し家族。
皆に見守られての最期。

彼女は、
発病から亡くなるまでの
数年間
病気になった事を嘆くのではなく、
それを全て受け入れ、
自分の出来る事を
ただ黙々と、
一生懸命に
明るく、前向きに
生きたそうだ。

葬儀の時、
その話を聞いて、
改めて彼女の強さ、
生き様を教えられた。
凄い人だ。


でも、寂しい
悲しい
私の人生に
彼女がこんなに早く
居なくなるなんて
考えられないし、
考えてなかった。
その彼女がもう居ない。

どうして私は
連絡を取らなかったのだろう
手紙を出せば良かった。

何を思っても
後の祭り

今は
何事かする度に、
どんな時彼女だったら?
と考えながら
行動してる。

たくさんのことを
私に残してくれた。

私と親しくしてくれて
ありがとう。

でも、
やっぱり
もう一度あいたいよ