Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

新海誠とコミュニケーション(1)

2008-09-18 01:26:13 | アニメーション
『新海誠を考える
~届かなかったメッセージ~(1)』

このあいだNHK「みんなのうた」の「手紙」を見ていて(聞いていて)、ふと小説版『秒速5センチメートル』の一節を思い出しましたが、そういえば、そもそも「メッセージを誰かに伝える」という行為を新海誠は大切に扱ってきたなあと思うに至りました。過去の作品をちょっと振り返ってみます。

『ほしのこえ』は地球と宇宙に引き裂かれた少年少女の「恋」を描いた映画です。「恋」と括弧を付けたのは、彼らの間に芽生えた感情は、最初はまだ恋以前のものだったと考えられるからです。一緒にいるときはお互いへの気持ちに気付かなかったけれど、離れ離れになってみて始めて、相手がいかに自分にとって大事な存在だったか分かるようになり、そしてその思いは思慕へと変わってゆくのです。

地上と宇宙に引き裂かれたノボルとミカコは携帯でメールのやり取りをしていましたが、ミカコが遠くへ行くにつれて次第にメールの届く時間が遅くなってゆきます。ミカコからの1年ぶりのメールを開いたノボルは、お互いのメールが届くまでに次からは8年以上かかることを知らされます。「光の速さで8年かかる距離なんて、永遠っていうのと何も変わらない」。ノボルは一人で大人になることを決意します。

8年後、ミカコからのメールがノボルに届きます。「25歳になったノボルくん、こんにちは。わたしは16歳のミカコだよ」。
けれども、そのメールはノイズだらけであとは読めません。8年かかってメールはノボルに届きましたが、彼女の思いはノボルには伝えられません。
ミカコは宇宙で戦いながら、声を絞り出します、「私はただ、ノボル君に会いたいだけなのに。好きって、言いたいだけなのに…!」
しかしノボルとミカコは思います。「でも想いが、時間や距離を超えることだってあるかもしれない」。

「ぼくは(私は)ここにいるよ」という想いは、果たして二人に届いたのでしょうか?

『ほしのこえ』は、携帯のメールというツールを使い、「メッセージを相手に伝える」ということを中心に話が展開します。そこでは、はじめ頻繁にやり取りされていたメールが段々役に立たなくなります。しかし、いちおう形だけはメールは相手の元に届きます。そして、彼らの思いはシンクロして、同じことを相手に伝えることを望むようになります。メッセージが誰にでも分かる形で相手に伝わることはありませんが、けれどもどうにかして伝わる可能性を残しながら物語は閉じられます。相手に届けと必死に願うそのメッセージは本当に相手に届くのか。それははっきりとは分かりません。しかし、二人の間のコミュニケーション(双方向の会話)は、かろうじて生きていると見てよいでしょう。

では、『雲のむこう、約束の場所』になると、「メッセージを相手に伝える」ことは、どのように描かれるのでしょうか。思いは相手に届くのか、届かないのか、考えてみたいと思います。

ということで、また次回~


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