3月14日、日本大学芸術学部江古田キャンパスで催された、日本アニメーション学会の公開研究会に出席してきました。実はこの日は神奈川大学でロシア文学関係の学会(?)もあって、どちらへ行こうか直前まで迷ったのですが、専門よりも趣味を取ってしまいました。いかんなあ。特にテーマの一つとなっていたロシアの30年代の文学情況は、ぼくの専門と被っているのですが。それでもアニメーションの方を選んだという馬鹿さ加減。
しかし、おもしろかったです。色々な話が聞けましたし、最後のトークセッションはけっこう笑えましたしね。ところでいま少し頭が痛くて眠たいので、さっさと話を切り上げようと思います。
一人目の発表者は土居伸彰さんで、「越境するアニメーション――ソユズムリトフィルムを中心に」という題目。主に現代ロシアのアニメーション状況を紹介したものでした。その際に、ヒトルークの「ヴィニー・プーフ」、ノルシュテインの「霧の中のハリネズミ」、プリート・パルンの「I Feel the Lifelong Bullet in the Back of My Head」、コワリョーフの「妻は雌鳥」を上映。4人とも有名な監督で全員知っているのですが、実際に観たことのある作品は「ハリネズミ」だけでした。「ヴィニー・プーフ」のシリーズは別の作品なら観たことがありますが。ちなみにプリート・パルンはエストニアの作家で、明日からの(もう今日ですが)ラピュタアニメーションフェスティバルにてこの作品を含む様々な監督作品が上映予定。
ノルシュテインはヒトルークから影響を受けており、「ハリネズミ」と「ヴィニー・プーフ」は作風が似ている、という趣旨の話でした。で、この二作はとても楽しく観られるのですが、後の二作、パルンとコワリョーフの作品は意味不明でした。しかし土居さん曰く、その分からなさに意味があるそうです。コワリョーフはパルンの作品を観て衝撃を受けたそうで、実際「妻は雌鳥」のヴィジュアルはパルンのそれを思わせます。
ぼくはコワリョーフの代表作「ミルク」を初めて観たときやっぱり意味不明で、二回目の鑑賞でようやく何となく意味がつかめてきたのですが、これが非常に高い評価をかちえていると聞いていたので、こんな訳の分からないものがどうして、と内心不思議で、同時に自分の鑑賞眼のなさを嘆いていたのですが、どうやら意味のよく分からないものを作る作家のようですね。土居さんは「異質さ」と表現していましたが。もっとも、この「妻は雌鳥」を土居さんは解説していて、それを聞くとちゃんとしたストーリーがあることが分かり、驚きました。まあぼくも、妻が雌鳥だと気付かずにいた夫、という最初の設定くらいは理解していましたが、後半から皆目分からなくなっていました。しかしあの津堅信之さんでさえよく理解できていないようだったので、土居さんの理解力が異常なのかな。というか、どこかに解説があるのかもしれません。
ロシアにおいては政府による資金援助がアニメーション制作には必要かもしれない、という認識は、ノルシュテインのことを知っている人なら常識かもしれませんが、これってけっこう複雑な事情ですよね。社会主義体制下の方がよかったと言っているのですから。それにしても現在の金融危機でピロットスタジオが機能停止に追い込まれたとは知りませんでした。あの宝の山シリーズがもう作られないのか……これは世界的損失ですよ。ちなみにピロットスタジオというのは日本ではパイロットスタジオと表記されることもあり、英語表記を確認すれば明らかに後者が正しいのですが、でもロシア語ではピロットと読むんですよね。紛らわしい…
なんかさっさと話を切り上げると言いながら、長い文章を書いてます。後半は簡単に。
二人目の発表者は須川亜紀子さんで、題目は「魔法少女TVアニメーションの「フェミニスト・テレビ学」的読みの可能性」。なんというか、簡単なことを難しく言い換えている、という印象を受けました。わざわざアカデミックな言説に置き換える必要があるのかな、と疑問。もっと明快な言葉で説明して欲しかったです。ぼくもいちおう文学畑の人間ですから用語は分かるのですが、ここでその言葉を使う必要があるのかな、と考えてしまうわけです。TVアニメを学問するにはこういう真面目な言説が必要だと思っておられるのかもしれませんが、ちょっと滑稽でさえあるように感じました。ちなみに、質疑応答のとき、会場からあんまりな質問が飛んでいて、発表者に同情。どうやら質問者はフェミニズムが男性に攻撃を仕掛けるものだと思っているようなのですが、フェミニズムがそんな狭量な学問分野だと考えている人はアカデミックな領域には生息してませんからね。文学関係の学会ではまず出てこない質問だったと思います。その意味で新鮮でしたが…
最後は「「アニメブーム論」の試み」と題した討論。というか各世代を代表する人たちが自分のアニメ体験を語る、という程度のものでした。でもこのセッションが一番おもしろかったですね。小川敏明さんという66年生まれの人が妙に情熱があって、ちょっと変な人というか、いかにもってな感じの人でおもしろかったです。場の空気も読んでなかったし。まあそれはいいんですが。印象的だったのは、ジブリアニメはアニメとみなしていない、という彼の発言。確かにジブリアニメを観る人といわゆるアニメファンとは別の位相にあるのであって、あんまり重ならないんですよね。だからアニメブームとジブリとは一切関係ない、という主張になるのですが、しかしブームというのはそれまでアニメなど観てこなかった観客層を取り込み、客層を拡大したという側面があるので、だとすれば、ジブリアニメ、特にもののけはアニメブームに一役買ったと言える気がします。おたくの世界だけで起きていることは必ずしもブームとは呼べないと思います。ジブリアニメを無視し、おたく的な作品だけに注目するのはあまりに狭い考え方ですよね。棲み分けができているという現実があるわけですが、しかしもっと広い視野でアニメーションという全体を捉える必要がある気がします。
なんか頭がぼんやりしていて自分が何を書いているのかはっきりしなくなっています。
そういえば会場に藤津亮太が来ていました。あんなに髪の毛が短いとは思わなかったぜ。
あと、客層はやはりアニメファンっぽい人が多かったです。むさい野郎がいっぱい。普通の人もいましたけどね。え?ぼくはもちろん後者ですよ。
しかし、おもしろかったです。色々な話が聞けましたし、最後のトークセッションはけっこう笑えましたしね。ところでいま少し頭が痛くて眠たいので、さっさと話を切り上げようと思います。
一人目の発表者は土居伸彰さんで、「越境するアニメーション――ソユズムリトフィルムを中心に」という題目。主に現代ロシアのアニメーション状況を紹介したものでした。その際に、ヒトルークの「ヴィニー・プーフ」、ノルシュテインの「霧の中のハリネズミ」、プリート・パルンの「I Feel the Lifelong Bullet in the Back of My Head」、コワリョーフの「妻は雌鳥」を上映。4人とも有名な監督で全員知っているのですが、実際に観たことのある作品は「ハリネズミ」だけでした。「ヴィニー・プーフ」のシリーズは別の作品なら観たことがありますが。ちなみにプリート・パルンはエストニアの作家で、明日からの(もう今日ですが)ラピュタアニメーションフェスティバルにてこの作品を含む様々な監督作品が上映予定。
ノルシュテインはヒトルークから影響を受けており、「ハリネズミ」と「ヴィニー・プーフ」は作風が似ている、という趣旨の話でした。で、この二作はとても楽しく観られるのですが、後の二作、パルンとコワリョーフの作品は意味不明でした。しかし土居さん曰く、その分からなさに意味があるそうです。コワリョーフはパルンの作品を観て衝撃を受けたそうで、実際「妻は雌鳥」のヴィジュアルはパルンのそれを思わせます。
ぼくはコワリョーフの代表作「ミルク」を初めて観たときやっぱり意味不明で、二回目の鑑賞でようやく何となく意味がつかめてきたのですが、これが非常に高い評価をかちえていると聞いていたので、こんな訳の分からないものがどうして、と内心不思議で、同時に自分の鑑賞眼のなさを嘆いていたのですが、どうやら意味のよく分からないものを作る作家のようですね。土居さんは「異質さ」と表現していましたが。もっとも、この「妻は雌鳥」を土居さんは解説していて、それを聞くとちゃんとしたストーリーがあることが分かり、驚きました。まあぼくも、妻が雌鳥だと気付かずにいた夫、という最初の設定くらいは理解していましたが、後半から皆目分からなくなっていました。しかしあの津堅信之さんでさえよく理解できていないようだったので、土居さんの理解力が異常なのかな。というか、どこかに解説があるのかもしれません。
ロシアにおいては政府による資金援助がアニメーション制作には必要かもしれない、という認識は、ノルシュテインのことを知っている人なら常識かもしれませんが、これってけっこう複雑な事情ですよね。社会主義体制下の方がよかったと言っているのですから。それにしても現在の金融危機でピロットスタジオが機能停止に追い込まれたとは知りませんでした。あの宝の山シリーズがもう作られないのか……これは世界的損失ですよ。ちなみにピロットスタジオというのは日本ではパイロットスタジオと表記されることもあり、英語表記を確認すれば明らかに後者が正しいのですが、でもロシア語ではピロットと読むんですよね。紛らわしい…
なんかさっさと話を切り上げると言いながら、長い文章を書いてます。後半は簡単に。
二人目の発表者は須川亜紀子さんで、題目は「魔法少女TVアニメーションの「フェミニスト・テレビ学」的読みの可能性」。なんというか、簡単なことを難しく言い換えている、という印象を受けました。わざわざアカデミックな言説に置き換える必要があるのかな、と疑問。もっと明快な言葉で説明して欲しかったです。ぼくもいちおう文学畑の人間ですから用語は分かるのですが、ここでその言葉を使う必要があるのかな、と考えてしまうわけです。TVアニメを学問するにはこういう真面目な言説が必要だと思っておられるのかもしれませんが、ちょっと滑稽でさえあるように感じました。ちなみに、質疑応答のとき、会場からあんまりな質問が飛んでいて、発表者に同情。どうやら質問者はフェミニズムが男性に攻撃を仕掛けるものだと思っているようなのですが、フェミニズムがそんな狭量な学問分野だと考えている人はアカデミックな領域には生息してませんからね。文学関係の学会ではまず出てこない質問だったと思います。その意味で新鮮でしたが…
最後は「「アニメブーム論」の試み」と題した討論。というか各世代を代表する人たちが自分のアニメ体験を語る、という程度のものでした。でもこのセッションが一番おもしろかったですね。小川敏明さんという66年生まれの人が妙に情熱があって、ちょっと変な人というか、いかにもってな感じの人でおもしろかったです。場の空気も読んでなかったし。まあそれはいいんですが。印象的だったのは、ジブリアニメはアニメとみなしていない、という彼の発言。確かにジブリアニメを観る人といわゆるアニメファンとは別の位相にあるのであって、あんまり重ならないんですよね。だからアニメブームとジブリとは一切関係ない、という主張になるのですが、しかしブームというのはそれまでアニメなど観てこなかった観客層を取り込み、客層を拡大したという側面があるので、だとすれば、ジブリアニメ、特にもののけはアニメブームに一役買ったと言える気がします。おたくの世界だけで起きていることは必ずしもブームとは呼べないと思います。ジブリアニメを無視し、おたく的な作品だけに注目するのはあまりに狭い考え方ですよね。棲み分けができているという現実があるわけですが、しかしもっと広い視野でアニメーションという全体を捉える必要がある気がします。
なんか頭がぼんやりしていて自分が何を書いているのかはっきりしなくなっています。
そういえば会場に藤津亮太が来ていました。あんなに髪の毛が短いとは思わなかったぜ。
あと、客層はやはりアニメファンっぽい人が多かったです。むさい野郎がいっぱい。普通の人もいましたけどね。え?ぼくはもちろん後者ですよ。
小谷真理の『聖母エヴァンゲリオン』というのもありますが、難しくてよく分からなかったです。
ジェンダー論自体は興味深い分野だと思うのですが。
あと肌の黒いヒロインといえば『少女革命ウテナ』の姫宮アンシーっていうのもありますね。
コメントありがとうございます。
フェミニズム関連の本は確かに難しいものがありますよね。バトラーとかセジウィックとか、けっこう難解な概念を使っていると思います。まあ、バトラーの書いたものを直接読んだわけではないのですが。現代の「フェミニズム」はデリダを初めとするポスト構造主義の主張を取り入れているので、専門家でないとよく分からないものになっているのかもしれません。
けれどもおっしゃるようにフェミニズムやジェンダー論(あとクイア理論)自体はなかなか興味深いですし、日本のアニメに適用するとおもしろそうです。少女の形象など。
で、ウテナ(「台」という字はウテナと読むのか!)も肌の黒いヒロインなんですか。珍しいですね。そういえばヒロインではないですが「あぁっ女神さま」にも肌の黒い女性が出てきますよね、たしか。やっぱり制作者側からすれば冒険だったんでしょうね。