池を泳ぐ蛇

2020-05-28 | 【断想】蛇

 久しぶりに蛇を見かけた。
 近くの人の少ない公園の池。
 今、睡蓮やヘラオモダカの花が咲き、
 モリアオガエルが棲む池だ。
 オタマジャクシが泳いでいる。
 その池にヤマカガシと見られる蛇がいた。


抜き足差し足

2016-06-20 | 【断想】蛇
 マンションの入口の掲示板に
 手すりに蛇がいたと書かれてあった
 まだそこらにいるのかと思った
 あたりを眺めると
 空き地の草むらを
 抜き足差し足で動く猫がいた
 きっと猫が蛇に気づき
 ちょっかいを出そうとしているのだろう
 そう思って様子を見ていたが
 蛇はいなかった
 どこかに逃れたのだろう
 猫は慎重にあたりを眺めまわしているばかりだった
 近くに木があった
 登ったのだろうか
 昔々、子猫が蛇にちょっかいを出しているのを見たことがある
 何年か前に、動く蛇を興味深かそうに見ている猫がいた
 蛇は溝のなかに逃れていった

ケースのなかの白蛇

2015-08-01 | 【断想】蛇
今年になって、外で蛇を見かけていない。
散歩道の途中に、よく見かける場所があり、
そこを通るときは気にしている。
見かけないと言うのは、散歩の機会が少ないせいもあるのだろう。
ただ、先般、その辺りで、蛇を見かけたという人がいた。
やはり、その辺りにはいるのだなと、なんだか安心した。
この前、室内で、透明のケースの中にいる蛇を見た。
白蛇である。
国の天然記念物に指定されている山口県岩国市のシロヘビ。
シロヘビは、アオダイショウのアルビノ。
目が赤く、からだの鱗が互いに重ならず、地肌が出ていると言う特徴がある。
手持ちの爬虫類図鑑には、
通常、白化個体は、自然界で目立ち、淘汰されるが、
岩国では、人による保護もあったのでないかと記されていた。
岩国市のパンフレットには、
「シロヘビの最初の記録として残っているものは、今から270年あまり前に書かれた『岩邑年代記』です」とあった。
いずれにしろ、もう長い歳月、命をつないできたことになる。
少年の頃、「白蛇伝」と言う話を読むか、観るかしたことがある。
もっと小さい頃、「あそこの木の枝にひっかかっているのは白蛇」と遊び仲間の年長に言われたことがある。
人の言葉を疑うことを知らず、即座に信じた。
それは、死んでいるようで、ずっと木の高い枝に見られた。
ほんとうに、蛇だったのだろうか。

見かけない

2015-05-20 | 【断想】蛇
多摩動物公園正門あたりから
高幡不動へ
程久保川ぞいを歩く
ここのところ何度か歩く
歩く時に気にするのは
蛇のこと
以前よく見かけたところで
立ち止まり
どこかにいないかと眺める
いない
もう2年くらい見かけない
どうしたのだろう
空木の花が咲いていた

ゆとりのメルクマール

2014-10-03 | 【断想】蛇
 住まいの近くに、程久保川という小さな川がある。
 そのほとりを歩くときは、いつも蛇がいないか気にしている。
 よく蛇がいる場所があるのだ。
 今年は、一度も見かけていない。
 もう10月。
 今年は、見ないままに終わりそうだ。
 蛇を見かけるかどうかを、どれだけ豊かな自然が残っているか、
 自分が、どれだけ、ゆとりをもって時を過ごしているかのメルクマールにしている。
 自然環境の方には、大きな変化はないように思う。
 あまり、自信をもっては言えないが。
 ただ、はっきりしているのは、
 自分が、川沿いを歩くことが少なくなっていることだ。
 好ましくないことだ。

六月になって蛇

2013-06-01 | 【断想】蛇
 今年になって、野外ではじめて蛇を見た。
 程久保川を下流に向かってはっていた。
 例年もっと早い時期に蛇を見かける。
 最近、何人かに蛇を見かけたと聞いていた。
 近隣の神社前、それと渋谷の恵比寿路上にということ。
 蛇は現れていたが、私が見なかったということだ。
 ということは、私が野外を歩くことが少ないということか。

初秋の散歩

2012-09-18 | 【断想】蛇
 路上に、死んだ蛇。
 まだ若い蛇。
 この前も、道端に死んだ蛇を見た。
 干からび、いつしか見えなくなった。
 葛の花が咲き、甘い香り。
 橡の実を拾った。
 まだ、気温は高いが、秋の気配はある。

移動中の蛇

2012-06-25 | 【断想】蛇
 昨日、蛇を見かけた。
 丘のうえから、低地への移動中のようであった。
 前にも、そのあたりで蛇を見た。
 丘のうえには、蛇の食べ物が少ないはず。
 どうしてこんなところにいるのかなと思ったりした。

秋の蛇

2011-09-25 | 【断想】蛇
 もう今年は見かけないだろうと思っていた。
 ところが、陽気のいい9月の下旬、程久保川で青大将を見つけた。
 蛇を見たら、ブログに記すことにしている。
 それは、俺自身の気持ちのゆとりを示す指標となる。
 つまり、自分がいかなる時と場にあるかの反照。
 また、自然の豊かさを示すものでもある。