マンションの入口の掲示板に
手すりに蛇がいたと書かれてあった
まだそこらにいるのかと思った
あたりを眺めると
空き地の草むらを
抜き足差し足で動く猫がいた
きっと猫が蛇に気づき
ちょっかいを出そうとしているのだろう
そう思って様子を見ていたが
蛇はいなかった
どこかに逃れたのだろう
猫は慎重にあたりを眺めまわしているばかりだった
近くに木があった
登ったのだろうか
昔々、子猫が蛇にちょっかいを出しているのを見たことがある
何年か前に、動く蛇を興味深かそうに見ている猫がいた
蛇は溝のなかに逃れていった
手すりに蛇がいたと書かれてあった
まだそこらにいるのかと思った
あたりを眺めると
空き地の草むらを
抜き足差し足で動く猫がいた
きっと猫が蛇に気づき
ちょっかいを出そうとしているのだろう
そう思って様子を見ていたが
蛇はいなかった
どこかに逃れたのだろう
猫は慎重にあたりを眺めまわしているばかりだった
近くに木があった
登ったのだろうか
昔々、子猫が蛇にちょっかいを出しているのを見たことがある
何年か前に、動く蛇を興味深かそうに見ている猫がいた
蛇は溝のなかに逃れていった
今年になって、外で蛇を見かけていない。
散歩道の途中に、よく見かける場所があり、
そこを通るときは気にしている。
見かけないと言うのは、散歩の機会が少ないせいもあるのだろう。
ただ、先般、その辺りで、蛇を見かけたという人がいた。
やはり、その辺りにはいるのだなと、なんだか安心した。
この前、室内で、透明のケースの中にいる蛇を見た。
白蛇である。
国の天然記念物に指定されている山口県岩国市のシロヘビ。
シロヘビは、アオダイショウのアルビノ。
目が赤く、からだの鱗が互いに重ならず、地肌が出ていると言う特徴がある。
手持ちの爬虫類図鑑には、
通常、白化個体は、自然界で目立ち、淘汰されるが、
岩国では、人による保護もあったのでないかと記されていた。
岩国市のパンフレットには、
「シロヘビの最初の記録として残っているものは、今から270年あまり前に書かれた『岩邑年代記』です」とあった。
いずれにしろ、もう長い歳月、命をつないできたことになる。
少年の頃、「白蛇伝」と言う話を読むか、観るかしたことがある。
もっと小さい頃、「あそこの木の枝にひっかかっているのは白蛇」と遊び仲間の年長に言われたことがある。
人の言葉を疑うことを知らず、即座に信じた。
それは、死んでいるようで、ずっと木の高い枝に見られた。
ほんとうに、蛇だったのだろうか。
散歩道の途中に、よく見かける場所があり、
そこを通るときは気にしている。
見かけないと言うのは、散歩の機会が少ないせいもあるのだろう。
ただ、先般、その辺りで、蛇を見かけたという人がいた。
やはり、その辺りにはいるのだなと、なんだか安心した。
この前、室内で、透明のケースの中にいる蛇を見た。
白蛇である。
国の天然記念物に指定されている山口県岩国市のシロヘビ。
シロヘビは、アオダイショウのアルビノ。
目が赤く、からだの鱗が互いに重ならず、地肌が出ていると言う特徴がある。
手持ちの爬虫類図鑑には、
通常、白化個体は、自然界で目立ち、淘汰されるが、
岩国では、人による保護もあったのでないかと記されていた。
岩国市のパンフレットには、
「シロヘビの最初の記録として残っているものは、今から270年あまり前に書かれた『岩邑年代記』です」とあった。
いずれにしろ、もう長い歳月、命をつないできたことになる。
少年の頃、「白蛇伝」と言う話を読むか、観るかしたことがある。
もっと小さい頃、「あそこの木の枝にひっかかっているのは白蛇」と遊び仲間の年長に言われたことがある。
人の言葉を疑うことを知らず、即座に信じた。
それは、死んでいるようで、ずっと木の高い枝に見られた。
ほんとうに、蛇だったのだろうか。
多摩動物公園正門あたりから
高幡不動へ
程久保川ぞいを歩く
ここのところ何度か歩く
歩く時に気にするのは
蛇のこと
以前よく見かけたところで
立ち止まり
どこかにいないかと眺める
いない
もう2年くらい見かけない
どうしたのだろう
空木の花が咲いていた
高幡不動へ
程久保川ぞいを歩く
ここのところ何度か歩く
歩く時に気にするのは
蛇のこと
以前よく見かけたところで
立ち止まり
どこかにいないかと眺める
いない
もう2年くらい見かけない
どうしたのだろう
空木の花が咲いていた
住まいの近くに、程久保川という小さな川がある。
そのほとりを歩くときは、いつも蛇がいないか気にしている。
よく蛇がいる場所があるのだ。
今年は、一度も見かけていない。
もう10月。
今年は、見ないままに終わりそうだ。
蛇を見かけるかどうかを、どれだけ豊かな自然が残っているか、
自分が、どれだけ、ゆとりをもって時を過ごしているかのメルクマールにしている。
自然環境の方には、大きな変化はないように思う。
あまり、自信をもっては言えないが。
ただ、はっきりしているのは、
自分が、川沿いを歩くことが少なくなっていることだ。
好ましくないことだ。
そのほとりを歩くときは、いつも蛇がいないか気にしている。
よく蛇がいる場所があるのだ。
今年は、一度も見かけていない。
もう10月。
今年は、見ないままに終わりそうだ。
蛇を見かけるかどうかを、どれだけ豊かな自然が残っているか、
自分が、どれだけ、ゆとりをもって時を過ごしているかのメルクマールにしている。
自然環境の方には、大きな変化はないように思う。
あまり、自信をもっては言えないが。
ただ、はっきりしているのは、
自分が、川沿いを歩くことが少なくなっていることだ。
好ましくないことだ。
今年になって、野外ではじめて蛇を見た。
程久保川を下流に向かってはっていた。
例年もっと早い時期に蛇を見かける。
最近、何人かに蛇を見かけたと聞いていた。
近隣の神社前、それと渋谷の恵比寿路上にということ。
蛇は現れていたが、私が見なかったということだ。
ということは、私が野外を歩くことが少ないということか。
程久保川を下流に向かってはっていた。
例年もっと早い時期に蛇を見かける。
最近、何人かに蛇を見かけたと聞いていた。
近隣の神社前、それと渋谷の恵比寿路上にということ。
蛇は現れていたが、私が見なかったということだ。
ということは、私が野外を歩くことが少ないということか。
路上に、死んだ蛇。
まだ若い蛇。
この前も、道端に死んだ蛇を見た。
干からび、いつしか見えなくなった。
葛の花が咲き、甘い香り。
橡の実を拾った。
まだ、気温は高いが、秋の気配はある。
まだ若い蛇。
この前も、道端に死んだ蛇を見た。
干からび、いつしか見えなくなった。
葛の花が咲き、甘い香り。
橡の実を拾った。
まだ、気温は高いが、秋の気配はある。
昨日、蛇を見かけた。
丘のうえから、低地への移動中のようであった。
前にも、そのあたりで蛇を見た。
丘のうえには、蛇の食べ物が少ないはず。
どうしてこんなところにいるのかなと思ったりした。
丘のうえから、低地への移動中のようであった。
前にも、そのあたりで蛇を見た。
丘のうえには、蛇の食べ物が少ないはず。
どうしてこんなところにいるのかなと思ったりした。
もう今年は見かけないだろうと思っていた。
ところが、陽気のいい9月の下旬、程久保川で青大将を見つけた。
蛇を見たら、ブログに記すことにしている。
それは、俺自身の気持ちのゆとりを示す指標となる。
つまり、自分がいかなる時と場にあるかの反照。
また、自然の豊かさを示すものでもある。
ところが、陽気のいい9月の下旬、程久保川で青大将を見つけた。
蛇を見たら、ブログに記すことにしている。
それは、俺自身の気持ちのゆとりを示す指標となる。
つまり、自分がいかなる時と場にあるかの反照。
また、自然の豊かさを示すものでもある。