ゴリアテの対戦相手

2013-05-24 | 【断想】神々
 旧約聖書サムエル記の上と下に、ペリシテ人のゴリアテの名前が出てくる。
 上での戦いの相手はダビデであり、下での相手はエルナハンである。
 ダビデとエルナハンは同一人物なのか。
 ダビデがゴリアテを倒したというのは、作り話なのか。
 この三人のうちに架空の者がいるのか。
 考古学の調査・研究で、史実が判明したものもあるが、わからないことも多い。
 そんなことが、「聖書考古学」(長谷川修一著・中公新書)に書かれていて、なんとも興味深い。
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信仰の深さ

2013-04-13 | 【断想】神々
 祈ることによる救い、信じることによる救い、それは、科学的ではないと言われるかも知れないが、確かにあることを誰もが気づいている。
 祈りの強さや信仰の深さを計る物さしをわれわれは持ってはいない。故に、虚妄とも見なされる。ただ、誰も、それだけだとは思っていない。
 わたしたちの知恵には何かが、欠落している。かつては持っていたかも知れぬ知恵を失いつつあるのでないか。
 宗教的なもの、伝統文化というようなもの、これらに対し、感性をはたらかせられぬというのは、生命体としての衰退かとも思う。
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むごいことを祈る

2011-09-16 | 【断想】神々
 生きるため、獲物を狙って、身を潜めるとき、豹は、祈るか。
 エピクロスが、人の祈りについて、語っている。
 忘れないよう、記しておく。
 「もし神が人間の祈りをそのままに聴き届けていたならば、人間はすべて、とっくの昔に亡びていたであろう。というのは、人間はたえず、たがいに、多くのむごいことを神に祈ってきているから。」(出隆、岩崎允胤訳)
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神社めぐり

2010-08-24 | 【断想】神々
 「この夏、春日大社、諏訪大社、三島大社に行ったよ」
 「どちらも立派な神社ね。諏訪大社は上社と下社があるけど」
 「そうだね、二社四宮をまわったよ」
 「わたし、神社同好会なの。全国の神社めぐりをしているの」
 「どうりで」
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すぐそこに神さま

2008-09-11 | 【断想】神々
 小さい頃、教会では、「いつも神さまとともにありますように」と祈った。
 神社では、「神よ、われに力を与えたまえ」と祈った。
 誰かの歌ではないが、神さまは、すぐそこにいた。
 おばあさんとは、お寺に法話を聞きに行きもした。
 日本人の信仰とは。
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バベルの塔

2008-08-02 | 【断想】神々
 バベルの塔は、バビロンの南側低地エス・サクンに実在していた。それは、敬神の建造物、神殿であった。塔と呼ばれているが、いわゆる上方への垂直的動きをしめす塔とは、性質の異なるものであった。
 長谷川三千子著「バベルの謎」(中公文庫)に、そのように記してあった。たいへん興味深い本だった。この本のことは、別途記したい。
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偉大なるものは天に

2008-06-30 | 【断想】神々
 主は天を雲で覆い、大地のために雨を備え 山々に草を芽生えさせられる。(旧約聖書 詩編147の8節)
 雨は恵みである。雨なくして、食料となる植物は芽生えない。恵みは天から来る。偉大なるものは、天に存するとつながっていく。このような思いは、ユダヤ教、キリスト教において顕著である。
 日本はいま、梅雨。雨は天からふんだんに降り注ぎ、それが当たり前で、特別の恵みとの思いは薄い。
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神々の通り道

2007-06-18 | 【断想】神々
 八百万の神々の世界では、いたるところに神が宿る。神木と言われる樹木も多い。その神々がどこからくるのかとなると、さまざまである。樹木そのものが神性をもつ場合もある。一般に、天から降るというのが多いと思うが、必ずしもそうではない。海の向こうからやってくるとすることもよくある。神は、岬の先の小島などを通って、樹木に至り、その枝に座したりする。
 垂直移動だけでなく、水平移動もある。
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山の神に向かいては

2007-05-29 | 【断想】神々
 山の神は男神か、女神か。キリスト教では「天に在します父なる神」と祈るが、洋の東西を問わず、総じて、天には男の神、地には、大地母神というように女の神をみるケースが多いようだ。山は、われらの生存のための食料という恵みをもたらすところであり、母性と結びつけられるということが多い。
 マタギの風習には、山に向かって感謝をしたり、願いごとをするとき、男根を晒して行うということがあるそうだ。男根を必要とし、よろこぶとすれば、男より女であろう。
 また、女人禁制の山があちこちあるが、そのわけを山の神は女ゆえに、女どうしの諍いを起こさないため、嶮しい山の危険から女を守るためとする見方がある。女人禁制を男女差別というような角度からだけ見るのは、薄っぺらである。
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宇宙の果てと木々と風

2007-05-11 | 【断想】神々
 宇宙の果てのことは、考えないことにした。俺は神ではないから。
 ただ、その神が、人間の脳がつくった神だとしたら、神にも、宇宙の果てのことはわからないだろう。
 常人たる俺にわかることといえば、こういうことだ。
 一昨夜は、風がなくて、木々もじっとわだかまったままだった。
 昨夜は風があって、木々がざわざわいっていた。
 そっちの方が気分がいい。
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日曜の朝

2007-03-11 | 【断想】神々
神さまとともに過ごした少年の日々を思う。
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マルティーニの受胎告知

2007-02-19 | 【断想】神々
 新約聖書ルカによる福音書第1章に、天使ガブリエルが、神によってガリラヤに遣わされ、マリアに懐妊を告げる場面がある。
 天使ガブリエルは言う。
 「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
 「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をその子をイエスと名付けなさい。・・・・」(日本聖書協会・新共同訳)
 この受胎告知の場面を描いた絵は数多くある。その中で、特に印象深いのが、シモーネ・マルティーニの描くアリアである。1333年の作である。
 不躾に懐妊を告げるガブリエルから、身を引きよじらせて、「いったい何ということをおっしゃるの。そんな勝手な、わたし困ります」という声が聞こえてきそうなのである。
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コクトーの「受胎告知」

2007-02-16 | 【断想】神々
 ジャン・コクトーの詩に天使ガブリエルが登場するものがある。ちょっとおもしろい。「村へ来た天使ガブリエル」との題である。堀口大學訳。
 この詩のイメージをもとに、絵を描いたことがある。傍らに百合の花を描いた。

《マドモアゼル・マリー
あなたは懐妊あそばした
あなたは夫もないくせに
男のお子さんをお生みになる。
大きにお邪魔さまでした、
ごめんあそばせ……。》
こう言って
天使が帰ってしまいます。

窓からいきなり不躾に
ものを言うこのやり方が
恋は如何なるものなるか
知ってみたいと思ってる
娘をいささかおどろかす。

雪が消えるようにして
天使の姿は消え失せて
また天国へ行っちまう。
さすが娘は恥ずかしく
両手で顔をおしかくす。
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「受胎告知」の白百合

2007-02-15 | 【断想】神々
 エル・グレコの「受胎告知」と題された絵に、白い百合らしい花が描かれている。
 もう随分前になるが、東京で「グレコ展」が開催され、見に出かけた。どれもすばらしい絵だった。凄く圧倒されたことを覚えている。
 白い百合は、マリアに懐妊を告げる大天使ガブリエルの手にある。しかし、植物学の考証によると、聖書に出てくる百合なるものは、パレスチナあたりの野生の花5~6種の集合であるらしく、その中にはほんとうの百合はなかったということである。
 そうかも知れぬが、マリアと白百合、それはそれでいい。
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黄泉の国の石榴

2007-02-01 | 【断想】神々
 古事記では、イザナギノミコトが、亡くなった妻・イザナミノミコトを冥界に訪ね、地上に一緒に戻ろうと誘った時、イザナミノミコトは、「私は、黄泉の国の不浄な竈で煮たものを食べてしまい、穢れてしまったので、戻れません」と応えている。その黄泉の国の食物とは、何であったのだろうか。
 ギリシア神話では、黄泉の国の食物として、石榴が登場する。黄泉の国の神であるハデスが、地上からさらってきたペルセポネを、戻させないために、黄泉の国の食物である石榴を食べさせるのである。それで、ペルセポネは、1年のうちの一定期間は冥界で暮らさないといけなくなる。
 冥界の食物を石榴としたこと、その果の色、形、皮と言うより殻と言った方がよさそうな硬さ、割ったときのなかの実の透明感のある深紅色、ツブツブのさま、すっぱい味、なんだか、感覚的に納得がいく。
 プロセルピナ・ロセッティの1874年作の油彩に、石榴を手にした妖艶な女性の絵がある。そのモデルは、ロセッティが思いを寄せていたひとだとか。ロセッティは何を願っていたのか。
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